☆クリムの動きとレイリアの変化
イオルフの里があった当時マキアとレイリアが親しくしていたのが、クリムです。彼は男性故に国に囚われることはなかったですが、その後身を隠し、国に囚われたレイリアを救出しに現れます。これは何度か続くわけですが、注目すべきなのは、クロムの行動によってレイリアの気持ちに変化があることですね。
1回目、最初のパレード。捕まりそうなマキアを逃がすためレイリアは自分のお腹に尖った髪飾りを向けます。短刀ではなく髪飾りというのが印象的で、しかも首じゃなくお腹に向けたところ。レイリアにとって無理やり飾り付けられたアクセサリーやお腹の子よりも、マキアの方が大切だったんですね。鎖もないのに逃げ出さないレオルと自分を重ねていたレイリア、髪が解かれて見せた自然な姿がその意思を強調します。
2回目、夜間での内部侵入。目の前でイゾルに斬られるクリム、レイリアはその時彼が死んでしまったと誤解し、これは次に本人と出会うまで解けません。誤解の理由は作中で語られません。なぜこの伏線を張ったのでしょう?私はとても気になりました。
クリムとレイリアはとても仲が良かったんですよね。なのでレイリアにとってクリムは、マキアとは違う愛の関係性があったと思います。だからこそ今の状況で本人と会いたくなかった、離れてなお自分を求めてくる彼に今の醜い自分を見てもらいたくなかった、という気持ちがあったかもしれません。
それが自分を精神的にさらに追い詰めることになり、自分を救出しに現れるクリムとの関係を、心のどこかで断ち切りたいという思いに変化したのではないでしょうか?
こういう気持ちは、現代人は誰でもあると思います。けれど、糸を織ってきた種族であるイオルフが、自ら糸(関係性)を断とうとする。とても寂しい話ですよね。しかも相手は同じ不老長命、殺されない限りすぐには死にません。だから目の前で斬られたことで、頭の中で好意的な解釈をした、と私は考えます。
じゃあ断ち切った結果どうなってしまうのかというと、後述するマキアを呼ぶシーンに繋がります。
そして3回目。周辺諸国を巻き込んだ大規模襲撃。
とうとう一対一でクリムとレイリアが対面します。
自分が王子達に置いてかれたことも気にしていないのか、娘を探して城を彷徨っていたレイリアは、クリムと出会い、自分が誤解していたことに気づきます。
クリムはレイリアの状況を理解していました。その上で、不本意で産まされた娘に会いたがるレイリアを受け入れることができず、火を放って心中を図る。しかしイゾルに阻止され、今度こそ命を落とします。クリムは最後まで救われず、悲しいキャラでした。
クリムから逃れたレイリアは、その後屋上に現れます。この時の気持ちの変化がラストシーンに影響しているのではないかと、私は考えてるんですが、どうでしょう~
☆マキアを呼ぶレイリア
話が前後しますが……メドメルに会うことを禁止され、大事なクリムも目の前で斬られたレイリアがついに狂い、イゾルに怒りをぶつけ「メドメルに会えないなら、マキアを連れてきて!!」と叫びます。
なぜここでマキアが出てくるのか?これは、マキアがエリアルの名付けをするシーンと、同じ心理なのではないかと思うんです。
つまり、もはや人としての生をも否定された生活に耐えられなくなった結果、新しくきづいた関係性が心の中で崩壊してしまい、クリムも失ったことで、もうレイリアの中にはマキアしか残っていなかったんですね。もはやレイリアにとって目の前の男とは妻と従者ではなく、自分と自分を捕らえている仲間のひとり、ぐらいに関係性が死んでしまった。そこで、娘に会えない自分が母親であるかどうかも分からなくなり、何もかも自暴自棄な状況でレイリアが望んだのがマキアに会うことだった、のではないでしょうか。
もしパターンとしてこのシーンを描いているならば、「人は自分にとって大切な関係を失ったときに、どういう行動をとるのか」というテーマを感じます。
マキアにはエリアルがいましたが、レイリアにはもうマキアしかいなかった。
それがふたりの行動を分けた理由かもしれません。
☆メドメルへのメッセージ
先々でマキアと出会う旅の商人バロウというキャラがいます。10代半ばで容姿の変化が止まるイオルフ、その血を半分継いでいるバロウはマキアと共にラストシーンまで登場します。つまり不老長命なんですよね。なのでイオルフの性質が現れるのに純血である必要はないということになる。これがわかるのが作品の最後なのって、ある意味残酷だと思うんですけど、それは視聴者の視点であって、マキアやバロウ以外の人物は、血を分けた子供で判断するしかないんですね。研究するにも対象がひとりしかいないし。メドメルに特性が現れなかったことが判明して、実際にそこから進展することはなかった。
真実が求めようとしない以上、少なくともその行動は理性じゃなく、感情。衝動的なものから起こるものだと思います。
このレイリアとメドメルのシーンもそれで、だからこそ今まで挙げたシーンのどれよりも、色んな見方をできる場面だと思います。
だから、私の考えもそのひとつに過ぎないことをご了承ください
ここで改めて、レイリアとメドメルの関係性をみてみましょう
メドメルは恐らく出産後の数日しかレイリアに会ってない。あのシーンで一緒にいた乳母さんと、ほとんどの時間を過ごしてきたはずです。物心つく前ですし、母の子守歌を聞いてたこともない。
マキアのストーリーで例えると、名前を付けたところで取り上げられ、以降はイドにずっと育てられるようなものですよね。しかも別部屋。
マキアと違うのは、レイリアが家庭を知ってることです。
そして見落としがちなんですけど、レイリアってまだ全然若い。
それは年齢がどうというよりも、振る舞いに表れている。レイリアは娘に会いたいとしきりにいいます。それは当然の気持ちだと思いますが、一方で娘のことを慮る様子は出てこないんですよね。母にずっと会えてない娘に、いまどういう様子なのとか、ちゃんとご飯食べてるのとか、レイリアはそういうことを口にしていない。私にはこのキャラ作りは意図があるように感じます。
軟禁された状態で娘を気遣う気持ちがなくなり、会うことそのものが目的になったのか。
母として何もしてないので、レイリアも自身が母であるという自覚が身についていないのか。
私は後者よりの考えなんですが、レイリアは恐らく最後の最後で、このことを分かってたんじゃないかなぁと思います。
つまり、自分は母としてまだ幼いということを。
クリムから逃れたこの時のレイリアは、色んな感情がないまぜになっている。
娘やマキア、求めるものがありそれに向けて生きながらも、同時にその一切から解放されたかった。楽になりたかった。
だから屋上に向かった、でもそこに誰かがいることを予想していたわけでもなかった。
クリムとのやりとりがきっかけで、つながりの長さ。親密であればあるほど、断ち切るのが難しいことに気づいたレイリア。
母として幼いのは精神的にもそうだが、関係性という意味でもそうで、メドメルとのつながりはまだ浅く、だからこそ切るなら早い方がいいと
これはレイリアの自己満足になるかもしれませんが、レイリア本人は囚われていた時と違い、自分のことだけ考えていたわけではないと思います。
それはなぜかって、メドメルと会えたからです。
屋上に現れたレイリアに、メドメルは最初「誰……?」といい、乳母の「レイリア様…」という言葉で自分の母親だと気づく。
レイリアは自分がイオルフの民であることを明かし、その後「わたしは飛べる」と呟いて、娘の目の前で屋上から飛ぶ。
飛んできたレオルに飛び乗ったレイリアはマキアと共に去っていく
レイリアは大空から叫ぶ。「私のことは忘れて!!私も忘れる!」
そして去っていたレイリアを横目にメドメルは、ひとり言のように
「お母様って、お綺麗な方なのね」と呟く。
……このシーン、すごい劇的で、美しくて、人間味を感じました。岡田麿里さん本当にすごい。どうしてかって、この短いやりとりで、偶然と矛盾がキャラを大きく動かしてる。
レイリアは大きく成長した娘を見て、安心したのと同時に
今まで自分が執着していたことの愚かさに気づき、
母として何もしてない自分がこれから関わってしまうのは、メドメルにとって良くないのではないか、と考えたのではないでしょうか。
正直メドメルが分からなかったように、レイリアもメドメルのことを分からなかったという可能性をあると思うんです。
だから母としてではなく、ひとりのイオルフとして名乗った。
娘が母親を想う前に、関係を断つために。
お互いにさよならをするために、飛んだ。
しかし偶然助かってしまったので、想いが伝わらなくなってしまうかもしれない。
だからレイリアは去り際に自分の想いを言葉にした。「忘れて!私も忘れる!」と。
お互いにさよならをするために、言葉にした
……しかしここで言いたいのは、言葉にすることで、さらにそれを意識してしまう、人間の矛盾です。
例えば「気にしない気にしない」というほど、意識が向くし
「忘れる忘れる」というほどその存在は、記憶に残りがちです。
「忘れて!」と言われたメドメルは、逆にレイリアのことを、いっそう強く記憶に残してしまうのではないでしょうか?
そしてそれは言った本人もそうで、「忘れて!」と言ったレイリアは
直後に気づくんですよね。「忘れられるはずがない」って。
「つながりを断つためにした行為が、かえって結びつきを強くした」
まさにこの作品にふさわしいメッセージを飾るシーンだと感じました。
そしてメドメル。
自分の母親を見てもそうだと分からなかった彼女は、母の愛を知らずに育ってきた。
だから行ってしまった母親に寂しさや悲しみではなく、
綺麗という、ある種表面的な表現で母を語るメドメルが、
逆に視聴者に強い寂しさを感じさせる。
だから、あのセリフが何よりも、レイリアを救ってるんですよね。
それが、彼女が娘に対して望んだことなのだから
……この作品は、人と人とのつながりって何?という疑問に、とことん向き合った物語だと思います。
「つくる」だけではなく、「失う」、「強くする」、「変える」、「守る」、「断ち切る」、そして「受け継ぐ」。
その様々な側面を丁寧に描いたすばらしい作品として、いつまでも受け継がれていってほしい。
文章 パルメザン
P.S.マキア×エリアル組も色々書きたいことはあるんですよ
ディノがなぜあのタイミングで謝罪の言葉を言ったのか、とか
とりあえずまだ1回しか行ってないので、もう一回観に行きます