ところでヨーロッパ文明において劇場は特別の意味を持つ。出版(press)の無い時代に演劇は教養の主たる源泉であり、演劇を観ることは古代アテナイ市民の義務であった。演劇を観るためにアテナイ人は貨幣を支払ったのではなくて貨幣を受け取った。アテナイ人が教養豊かなのは洗練された悲劇や喜劇を観たからであり、ペルシア人を始めとする野蛮人(バルバロイ)は壮麗な神殿や宮殿を持つが劇場を持たなかった。野蛮人からアテナイ人を区別したのは劇場の存在であり、劇場は文化の象徴であった。しかしスパルタでは劇場は禁じられていた。アテナイ人は劇を演じたり観たりしただけであるが、スパルタ人はみずから劇的に生きたからである。

古代ギリシアに関する教養を基礎にして、アテナイ主義者であるダランベール(1717-83)とスパルタ主義者であるルソーの間に劇場の必要性を巡る論争が生じた。ダランベールは『百科全書』の「ジュネーヴ」の項目において、ジュネーヴ共和国の民主政と文化を称賛しながら、ジュネーヴでは喜劇が喜劇俳優らの放縦な生活の故に禁じられていることは残念であると述べる。誇り高いジュネーヴ市民ルソーは『ダランベールへの手紙』(1758.Rousseau.pp.1-125)において反論する。大都市におけるような腐敗した劇場はジュネーヴ共和国には無用である(ibid.pp.14-114)。ジュネーヴ共和国自体が健全な劇場である(ibid.pp.114-125)。ここから「国家は劇場である」という思想が現れる。ルソーは言う。「もっと良くするには、観客を見世物にして下さい、彼ら自身を俳優にして下さい。」(Faites mieux encore : donnez les Spectateure en Spectacle ; rendez-les acteurs eux-mêmes ; ibid.p.115)ルソーの劇場は舞台と客席が混然一体となった劇場であり、テルモピュライで死んだスパルタ兵のように、すべての市民は劇的に生きなくてはならない。これが近代的徴兵制度の一つの源泉である。しかし素人俳優に限界があるように徴集兵にも限界がある。ギリシア兵もローマ兵も職業化することによって強くなった。

「国家は劇場である」という思想はアメリカのクリフォード・ギアツ(1926-)の『ヌガラ―19世紀バリの劇場国家』(Geertz. 1980)を連想させる。バリ島の上部構造であるヌガラ(negara)と基礎であるデサ(desa)は区別されるが(Geertz.p.4)、両者の間に原理的対立は無い。19世紀におけるバリ島の国家についてギアツは言う。「それは王と諸侯が興行主、僧侶が監督、農民が脇役と舞台装置係と観客であるような劇場国家であった。」(It was a theatre state in which the kings and princes were the impresarios, the priests the directors, and the peasants the supporting cast, stage crew, and audience. ibid.p.13) バリ島の「国家儀礼」(state ceremony.ibid.p.129)は「劇場国家の演劇」(the dramas of the theatre state.ibid.p.131)として現れるが、それは『旧約聖書』におけるダヴィデやソロモンの国家儀礼と本質的に同じものであり、宗教から区別された本来の意味(proprement dit)での演劇とは無縁のものである。バリ島の劇場はアジア的劇場であってギリシア的劇場ではない。『旧約聖書』の世界こそがマルクスのアジア的生産様式(MEGA2.p.101)という概念の源泉であるが、そのことを知らないギアツはバリ島の国家は「アジア的生産様式」(Asiatic mode of production. Geertz.p.69)ではないと主張する。ギアツはマルクスを批判したと思い込んでいるが、マルクスが大の『聖書』通であったことを知らず、俗流マルクス主義を相手にしたにすぎない。マルクスが『聖書』通であった限り、『聖書』知識の不足は社会科学者にとって致命的である。

しかし「国家は劇場である」という思想は、日本の小泉純一郎(1942-)が内閣総理大臣(2001.4.26-06.9.26)として演出した「小泉劇場」に現れている。「世論の動向を注意深くうかがい、機をみて素早く決断し、それをメディアの前で「どうだ」と言わんばかりにアピールする―。ハンセン病訴訟断念などでみせたこの小泉手法は、舞台と客席が最高潮に達した瞬間に見えを切る歌舞伎に似通う。」(『日本経済新聞』2002.3.28.p.2)

「国家は劇場である」という思想を仲介にして『道徳感情論』と『国富論』が国家論の中で結合されることによって「アダム・スミス問題」は最終的に解決される。すなわち、国家は劇場であり、舞台と楽屋と客席から成り立つ。舞台は政治社会、すなわち市民社会であり、重要人物である将軍や銀行家が登場して政治という道徳的仮面劇を演じる。楽屋は政界であり陰謀が企まれる。陰謀史観の陰謀は妄想にすぎないが、内政においても外交においても重要人物の間の個人的信頼関係が決定的な役割を果たして舞台裏の楽屋が必然的に形成される。冷戦の時代に陰謀家であったアメリカ合衆国大統領のリチャード・ミルハウス・ニクソン(1913-94)がソ連書記長のレオニード・イリイチ・ブレジネフ(1906-82)との個人的信頼関係を築くために多大の努力をしたことは広く知られている。客席は商業社会、すなわち町人社会であり、舞台に対して観客は木戸銭を払うだけではなくて贔屓の俳優のスポンサーになって声援を送るが、自分自身は決して演技せずに自由に飲み食いをしている。舞台では「同情」が支配し客席では「見えない手」が支配する。しかし舞台から客席に対して多くの教訓が与えられ、それが観客の生活を拘束する法律になる。そして劇場の支配人が君主を頂点とする官僚である。

この際、政府が民主的に形成されたか否かは重要な問題ではない。独裁者ほど、世論に敏感な者は無いからである。この「劇場国家」の概念はすべての国家に適用され、その中には中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国も含まれるが、中国や北朝鮮は大規模な楽屋を持つ「陰謀国家」である。しかし楽屋は楽屋にすぎず、舞台と客席を必要とするから、陰謀国家も劇場国家であることに変わりは無い。陰謀国家の特徴は舞台の貧弱さを補うために観客を動員することである。社会主義国のマス・ゲームがその例である。中国共産党の陰謀の産物が、日本政府による尖閣諸島国有化(2012.9.11)の直後に始まった中国の反日暴動である。中国の胡錦濤(1942-)が日本の野田佳彦(1957-)に面子を潰されたためにテーブルを引っ繰り返して暴れたにすぎない。中国人は面子を潰された時に逆上する。これは胡錦濤との個人的信頼関係を築くことを怠り、世論に支配される双方にとって、尖閣諸島を買い取ろうとした扇動者の石原慎太郎(1932-)が危険人物だという認識を共有しておかなかった野田佳彦の失政である。

演技する政治的な市民と演技しない経済的な町人は本質的に異なる。町人が自分で演じる所謂「市民運動」とは下手な素人芝居にすぎない。俳優らが演じる悲劇や喜劇は首尾一貫した「同情」(sympathy)の物語を持たなくてはならないが、俳優らには観客の利害と「見えない手」(an invisible hand)を無視することはできない。この意味で基礎は上部構造を支配する。

後に見るように、野蛮と啓蒙の弁証法的統一が文明であり、文明の変種が文化である。ここで文化の質が問題である。ところが舞台である上部構造と客席である基礎は別の文化を持つ。上部構造である市民社会は『道徳感情論』の世界であるが、『道徳感情論』における「同情」とはプラトンの「公平な観察者」(the impartial spectator)に是認される限りのものである。他方、基礎である町人社会は『国富論』の世界であるが、すでに見たように、キリスト教の最後の形式であるプロテスタンティズムと商品呪物崇拝は相互に補完する。従ってヨーロッパの上部構造はギリシア的道徳の世界であり、基礎はキリスト教的道徳の世界である。そして日本の舞台は武士道を持ち客席は義理人情を持つ。両者の関係は能と歌舞伎の関係であり、culturesubcultureの関係であり、本来の道徳と宗教に規定された疑似道徳との関係である。新渡戸稲造(1862-1933)は武士道(Bushido)と義理(Gi-ri)の対立を強調する(新渡戸pp.25-28)。舞台が客席に迎合するのが大衆演劇である。演劇の人気が単純な多数決の原理に従う限り、演劇の水準は極端に低下する。その例がドイツのアドルフ・ヒトラー(1889-1945)の国民社会主義(Nationalsozialismus)や日本の田中角栄(1918-93)の金権政治(plutocracy)であった。ヒトラーはキリスト教徒であったし、田中角栄は大衆政治家(populist)であり義理人情に篤い人間であった。

しかし演劇の脚本を書くのが哲学者である。すべての政治家は俳優として何らかの脚本を持ち、政治の質は脚本の質によって規定される。脚本の質は理論的に批判され、単純な多数決の原理は排除される。舞台における政治家の権力闘争は楽屋における哲学者の理論闘争の結果である。脚本の質が公然と議論されるためには出版の自由が必要である。政界の活力は学界の活力によって支えられる。政治における混迷は哲学における創造性の枯渇を物語る。

「見えない手」は「主の手」(『民数記』11:23)に由来し、その本質は「商品呪物崇拝」という宗教である。商品呪物崇拝についてすでに述べたことをここで繰り返さなくてはならない。「商品の呪物崇拝は自然科学で武装し、無神論を標榜する排他的一神教である。それは伝統的な宗教によって基礎づけられた一切の教義と習慣を払拭し、悟性の平野を生み出す。しかしそれ自体が宗教であることに変わりは無い。呪物崇拝の白いスクリーンの上に、各民族は自分の姿を投影する。」ユダヤ教がヘブルを支配し、ヒンドゥー教がバリ島を支配し、カトリシズムが中世を支配したように、商品呪物崇拝が近代を支配するが、そこではプロテスタンティズムをアメリカ合衆国の政治家が利用し、神道を日本の政治家が利用し、俗流マルクス主義を中国や北朝鮮の政治家が利用する。中国共産党の俗流マルクス主義と闘うために中国の学生らは天安門事件(1989.6.3)において「ルソーやロックやアメリカ独立宣言」(p.48)を持ち出したが、説得力も指導力も持たなかった。俗流マルクス主義と闘う脚本を書くためにはマルクスに依拠しなくてはならない。