価値形式における商品Aと商品Bの関係、すなわち商品と貨幣の関係は、基礎における経済的な階級を規定するのではなくて、上部構造における政治的な身分を規定する。商品と貨幣の関係を『資本論』第1巻第1(1867)は労働者と資本家の関係にたとえるが(MEGA5.p.40)、第2(1872)はカトリック信者と教皇の関係に改める(6.pp.99-100)。経済的な階級と政治的な身分を混同してはならない。

後に見るように、キリスト教思想からマルクスの「基礎と上部構造の理論」が生じたのであり、それは単純な所謂「階級闘争史観」ではない。階級闘争史観の誤りは「社会主義の失敗」によってすでに証明されている。「シオンの賢者の議定書」(Protokolle der Weisen von Zion.1890.Hitler p.799)以来、陰謀史観は古いものであるが、そのような陰謀史観の一つが「国家独占資本主義」という妄想であった。「独占資本主義段階において、経済力の集中は政治力の集中に発展し、その結果、強力な利権をもつ小グループが国家機関と全国の各レベルでの政治生活を支配するようになります。こうして生産と資本の集積・集中は、不可避的に政治権力の集中をまねき、そこから、国家をみずからの手に収めようとする力が働くようになり、つまり独占体や金融資本は国家をみずからの経済活動にひき入れ、新しい経済関係をつくりだし、これが国家独占資本主義の働きとして定着します。つまり、独占資本、金融資本などの支配的資本が、国家機関をみずからの経済活動に従わせて、独占利潤を確保することを本質とする体制が国家独占資本主義であります。」(宮本・菱山pp.172-173)それは経済的な階級と政治的な身分を混同する階級闘争史観に基づいていた。

しかし陰謀史観がまったく根拠の無いものでないのは、人間は時代精神(Zeitgeist)に従って暗黙の合意を形成する動物だからである。陰謀史観における陰謀は妄想にすぎないが、現実政治において必然的に生じる具体的な「陰謀」(conspiracy)という概念については後述する。

共同体(Gemeinde)は共同社会(Gemeinwesen)の基礎であり、共同体の性格が共同社会の性格を規定する。しかし商業社会(commercial society)と政治社会(political society)は別だから、町人社会(société bourgeoise)と市民社会(société civile)は別である。町人社会が発展しても市民社会が成立しない場合があり、町人社会が発展しなくても市民社会が成立する場合がある。アジアでは町人社会は発展したが市民社会は成立しなかったのに対して、ギリシアでは町人社会は発展しなかったが市民社会は成立した。町人社会の上に専制政治が成立する場合もある。しかし町人社会の発展は欲望を解放して自由を拡大し、市民社会の成立を促進する傾向を持つ。日本における町人社会の発展と市民社会の不在は所謂「戦後民主主義」の産物である「市民社会派」の問題意識であったが、彼らに欠けていたのは近代人の二面性に対する認識と戦争の概念であった(8)

基礎である町人社会は労働者と資本家と地主の三階級に分割され、上部構造である市民社会は町人と市民と官僚の三身分に分割される。ここで重要なことは、原則と例外の区別、平時と非常時の区別である。非常時における町人の一部の献身的な行動を一般化すべきでないのは、平時における市民や官僚の一部の利己的な行動を一般化すべきでないのと同様である。東日本大震災(2011.3.11)と原子力発電所の危機に直面した日本人の行動は注目を集めた。「日本人の献身的な姿勢や節度ある行動は称賛されている。世界中が日本を応援している。」(『日本経済新聞』2011.3.27)しかし日本の町人は平時においては「生き馬の目を抜く」商業社会の中で生きているし、日本の市民や官僚は非常時においては身命を賭することを忘れてはならない。

第六節 劇場としての国家

宗教と道徳が人間社会を支配する。ここで宗教と道徳の関係を要約しておかなくてはならない。

広大なアジア世界を支配したのは宗教的なトーラーであるが、狭いギリシアのポリスを支配したのは道徳的なノモスであった。宗教は労働の原理であり、道徳は余暇の原理であった。ヘブル的トーラーとギリシア的ノモスの矛盾はパウロによって解決されて「自由のノモス」が成立し、その原理は中世の人格的依存関係や近代の「見えない手」に継承されたはずである。しかしそれでも基礎と上部構造の対立は残る。

広い一般社会の中では宗教が支配し、狭い上流社会の中では道徳が支配する。中世においては封建契約から排除される農民のカトリシズムと封建契約に拘束される貴族の騎士道が区別されたが、貴族の上には教皇を頂点とする聖職者の権威が成立し、貴族らには農民の利害とカトリシズムを無視することはできなかった。

この対立は近代に継承され、ロック(1632-1704)においては社会と統治の対立であり、モンテスキュー(1689-1755)においては商業と政治の対立であり、ルソー(1712-78)においては町人と市民の対立であり、ステュアート(1713-80)においては経済と統治の対立であり、スミス(1723-90)においては商業社会における「見えない手」(an invisible hand)と市民社会における「同情」(sympathy)の対立である。

スミスは『道徳感情論』において「同情」という言葉を使うことによって市民社会が道徳に支配されることを示し、『国富論』において「見えない手」という言葉を使うことによって商業社会、すなわち町人社会が宗教に支配されることを示したが、「同情」と「見えない手」を結合できなかったために国家論の構築を断念した。ここから「アダム・スミス問題」が生じた。

カント(1724-1804)とヘーゲル(1770-1831)は「倫理性」という言葉を使うことによって市民社会が宗教にも支配されることを示した。カントは宗教を道徳化することによって、ヘーゲルは道徳を宗教化することによって国家論を構築しようとした。道徳が宗教化されたものをヘーゲルは「倫理性」と呼び、道徳と宗教の対立は道徳性と倫理性の対立として表現され、君主を頂点とする官僚の権威が確立された。ヘーゲルは『権利の哲学』において君主と官僚が支配する国家の構造を解明した。パウロの弁証法は教会の中で展開されたがヘーゲルの弁証法は国家の中で展開され、パウロがキリストを見出したようにヘーゲルは君主を見出した。教会と国家は内容が対立するのではなくて、形式が区別される(§270)。しかし宗教と道徳の対立を鋭く意識して宗教を排斥したのがフォイエルバッハ(1804-72)である。宗教はフォイエルバッハによって追放された後にマルクス(1818-83)によって商品呪物崇拝として召喚され、町人と市民と官僚の関係が規定された。すなわち、ヘーゲルが君主と官僚の権威を強調したのに対し、マルクスは政治家(将軍や銀行家)の権力を強調した。