第二節 市民社会と商業社会
古代ギリシアのポリスは都市と周辺の田園から成り立ち、その構成員がポリテースである。ポリテースは単なる住人ではなくて「審議の役と裁判の役に与る権利」を持つ自由人であり、この中からは外来者と奴隷は排除され、女と子供も排除される(Aristoteles.1274b32-1275b21)。すでに見たように、ギリシアのポリスの概念はラテン語ではres publicaと表現される。これは公共の物という意味であり、ドイツ語のStaatや日本語の国家に相当する。ポリテースの概念はローマのcivis の概念に継承される。このラテン語と同系統のフランス語がcitéの住人としてのcitoyen である。アジアの歴史はこの概念を持たず、このフランス語に対応する伝統的な日本語は無い。この言葉は新しい日本語で「市民」と訳される。
中世のヨーロッパにおいて城壁(burgus)を持つ都市に住む商人と職人を聖職者や貴族や農民から区別する言葉がゲルマン系フランス語のbourgeoisである(Pirenne,p.112)。これに対応する伝統的な日本語は封建的身分制度における「町人」という言葉である。フランス語のbourgeois や日本語の町人という言葉は軽蔑的な響きを持つ。bourgeoisや町人は貨幣にしか関心の無い利己的な俗物であると看做される。
しかし中世の都市が自治権を獲得した時、自由なbourgeois はcitoyen と同一視される。アンリ・ピレンヌ(1862-1935) は言う。「自由が中世において都市(ville)の市民(citoyen)の資格から切り離せない属性であるのは、現代の国家(État)の市民の資格から切り離せない属性であるのと同様である。」(Pirenne,p.143)中世都市はやがて古典古代を模倣する。res publica から生じたrépubliqueは古典古代の復活という意味を持ち、日本語では共和政や共和国と訳される。
都市の自治権を否定した絶対君主政社会にも町人(bourgeois)は存在した。聖職者や貴族と並んで町人はその富によって特権階級の一部を成し、三部会(États)の第三身分に位置づけられた。もちろん、貴族制度が維持されるためには没落貴族が新貴族によって補充されねばならず、世襲的な身分は固定的なものではなくて緩やかな新陳代謝が行われた。
イギリスでは羊毛生産が普及した結果、貴族が町人(burgher)に接近した。そして清教徒革命(1640)と名誉革命(1688)を経て、選挙権を獲得した貴族とジェントリーが市民(citizen)として特権的な「市民社会」(civil society)を形成し、立憲君主政が成立した。イギリスの国家は紳士(gentleman)の組織であった。しかしフランスでは町人が領地と官職を買い取って貴族に成り上がり、絶対君主政の支配が続いた。旧貴族は武家貴族(noblesse d’épée)と呼ばれ新貴族は法服貴族(noblesse de robe)と呼ばれた。ラ・フォンテーヌ(1621-95)は言う。「人は重要人物(l'homme d'importance)のような振りをしているが、しばしばただの町人(bourgeois) にすぎない。」(La Fontaine.p.133)モリエール(1622-73)に『町人貴族』(Le bourgeois gentilhomme)という喜劇がある。フランスの国家は貴族(gentilhomme)の組織であった。
絶対君主政下のフランスの武家貴族がモンテスキュー(1689-1755)である。モンテスキューは『ペルシア人の手紙』(1721)において絶対君主政下のフランスの国家はペルシアのハーレムに似たものであると風刺し(Montesquieu.Ⅰpp.129-373)、『ローマ人盛衰原因論』(1734)においてローマは共和政によって栄え帝政によって滅んだと主張する(ibid.Ⅱpp.69-209)。そして彼は『法の精神』(1748)において政治と商業の問題を論じる。
ジョン・ロック(1632-1704)は立法権力(legislative power)と執行権力(executive power)と連合権力(federative power)を区別し、執行権力と連合権力(外交権力)は分離できないが、立法権力と執行権力は分離されると述べた(Locke.Ⅱ.ⅩⅡ143-148)。しかしモンテスキューはイギリスの憲法(la constitution d’Angleterre)における立法権(puissance législative)と執行権(puissance exécutrice)と裁判権(puissance de juger)の三種の権力(trois sortes de pouvoirs)の分離が市民における政治的自由(la liberté politique dans un citoyen)を保障すると述べる(Montesquieu.Ⅱpp.396-407)。フランス王国の貴族であるモンテスキューは君主と貴族の存在を肯定する。「君主無ければ貴族無く、貴族無ければ君主無し。専制者(despote)あるのみ。」(ibid.247)彼はジェイムズ・ハリントン(1611-77)を批判する。「ハリントンは、多数の著者がどこでも王冠の無い所には無秩序を見出していた時に、イギリスの共和国以外を見なかった。」(ibid.pp.882-883)そして彼は徳(vertu)を持つ者を同胞市民(concitoyen)と呼ぶ(ibid.p.262)。
古代のヘブルの精神とギリシアの精神は統一された形式で中世の中に現れ、分離された形式で近代の中に現れる。すなわち、神崇拝に基づく人格的依存は、呪物崇拝に基づく町人的自由に転化する。すでに述べたように、「金を追えば人が逃げる。人が逃げれば金も逃げる。」というのが古今東西の商人の鉄則である。金を得るためには多くの人の心を掴まなくてはならない。人の弱みにつけ込む闇屋が大成しないのもそのためである。モンテスキューは言う。「商業は破壊的な偏見を癒す;そしてどこでも温和な習俗(moeurs douces)のある所には商業があり、どこでも商業のある所には温和な習俗があるのは殆んど一般的な原則である。」「商業の法は習俗を堕落させるという同じ理由によって、この同じ法が習俗を改善すると言うことができる。」したがって商業を無視した社会主義は社会を荒廃させた。「商業の自然的効果は平和に導くことである。共に取引する二つの国民(nation)は相互に依存するようになり:一方が買う利益を持てば、他方は売る利益を持ち;すべての結合は相互的欲望に基づく。」(ibid.585)「しかし、商業の精神が諸国民を結合しても、それは同じように個人(particulier)を結合するわけではない。人々が商業精神のみによって動かされる国々においては、あらゆる人間的行為も、あらゆる道徳的徳も取引され:最小の事物も、また人間性が要求する事物もそこでは貨幣と引き換えに行われ、また与えられる。」「商業精神は人々の中にある種の几帳面な正義感を生み出し、それは一面では山賊行為(brigandage)に対立し、他面では自分の利益をつねに厳密に論じさせず、他人のためにそれを無視させるあの道徳的徳と対立する。」(ibid.p.586)そして同胞市民から区別された町人(bourgeois)という言葉が使われる(ibid.p.935)。
モンテスキュー(1689-1755)が『法の精神』(1748)で提示した政治と商業の問題は、アダム・スミス(1723-1790)の『道徳感情論』(1759)、ジャン・ジャック・ルソー(1712-1778)の『社会契約論』(1762)、ジェイムズ・ステュアート(1713-80)の『経済学原理』(1767)、アダム・ファーガソン(1723-1816)の『市民社会史論』(1767)を経て、スミスの『国富論』(1776)に至る。
アダム・スミスの『道徳感情論』(1759)における「市民社会」(civil society.TMS.p.40,p.340)は同胞市民(fellow-citizen.ibid.p.53,p.140,p.154)の社会であり、彼らは互いに同情(sympathy)を抱き、「公平な観察者」(the impartial spectator.ibid.p.78)の目を意識してfair play(ibid.p.83)を行う。公平な観察者の目を意識することは、強い自己意識を持ち世間体を気にして行動することである。この限りでは人間は神を必要としない。この思想によってスミスは無神論者と看做された(MEGAⅡ6.p.565)。
ところが『道徳感情論』は言う。「しかし必要な援助が、そのような寛大で利害関心のない動機から提供されないとしても、その社会の異なった成員の間に相互の愛情と愛着が無いとしても、その社会は、幸福さと快適さは劣るけれども、必然的に解体することはないであろう。社会は異なった人々の間で、異なった商人(merchant)の間でのように、それの効用についての感覚から、何ら相互の愛情や愛着が無くても、存立し得、そしてその中の誰も、互いに何も義務感を感じないか、互いに感謝で結ばれていないとしても、それは、ある一致した評価に基づいた、善行の欲得づくの交換によって依然として維持され得る。」(TMS.pp.85-86)
スミスは続ける。「しかしながら社会は不断に相互に傷つけ合い、害し合おうと待ち構えているような人々の間では存立できない。」(ibid.p.86)「正義の侵犯は、人々がお互いに決して耐え忍べない事柄であるが故に、為政者(the public magistrate)はこの徳の実践を強制するために共同社会の権力(the power of the commonwealth)を利用する必要に迫られる。この予防が無ければ市民社会(civil society)は流血と混乱の場になるだろう。」(ibid.p.340)