私が今、研究している内容を少しだけ、
話したいと思う。
今の段階で分かった内容を少しだけまとめたので、以下に
書きます。
清朝における西洋キリスト教伝道の批判と評価
はじめに
新約聖書マタイによる福音書二十八章十九節から二十節はこう言う。
「それゆえあなたがたは行って、全ての国民を弟子として、
父と子と聖霊の名によって、彼らにバプテスマを施し、
あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。」
これは復活後のイエスが弟子たちに派遣の命令を下したところであり、
欧米列強宣教師らが全世界へ、そして中国へと福音を伝えに行かなければ
ならないとした根拠である。
三世紀までに福音は地中海周辺の地域へと広まり、さらにヨーロッパ
全体へと広がっていった。しかし、その福音は十世紀以上もヨーロッパに
留まるに過ぎなかった。ヨーロッパからさらに外へと福音が伝えられたのは
アメリカ大陸が発見されてからだった。福音がヨーロッパからの移住を通して、
西半球へと広がったのである。しかし、1588年にスペインがイギリス海軍に
敗北し、制海権を失うまで福音は極東まで正式に広がらなかった。
七世紀に景教徒は彼らの宗教をペルシャから中国にもたらした。
唐の時代に、太宗はこの景教を受け入れた。しかし、景教は神聖な啓示が
それたものであって、純粋な真理の福音ではなく、またその不確実さや真理に
欠けていたために禁じられ、消滅させられた。その後、中国ではキリスト教の
影さえも消えてしまい、13世紀にフランシスコ会、16世紀にイエズス会が中国に
やってくるものの、彼らは保守的な中国人を圧倒させるだけの力はなく、
中国への西洋キリスト教伝道は失敗に終わった。当時の中国人は孔子の
倫理的教えに浸透されていて、西洋キリスト教を受け入れる余地が
全くなかったのである。純粋な福音と聖書が中国にもたらされたのは
19世紀になってからである。
16世紀、プロテスタント宣教団体がヨーロッパとアメリカのいたる
ところで起こされ、多くの宣教師らが異教の地へと遣わされた。
19世紀の初めには、ロバート・モリソンがロンドン伝道会により
中国最南部の廣州へ派遣され、世界初の聖書漢訳を行った。
その後、組合教会、メソジスト、聖公会の信徒らが福建省へ、
アメリカ長老派、南バプテスト派の信徒らが山東省へ、
アライアンス教団が上海の港へと派遣された。
中国内地会は多くの省で福音を伝えるようになり、
海外から多くの宣教団体も中国大陸内部へと入り、多くの省で開拓をした。
しかし、中国の知識階級の人々はこれらの福音を全く受け入れなかった。
また、民衆の間では排外運動が起こっていた。北京条約で西洋キリスト教の
布教が公認され、欧米宣教団体の布教活動が活発化すると、民衆の排外運動は激化し、
各地で仇教運動(反キリスト教運動)が起こった。
特に日清戦争後の欧米列強の華北への強引な進出は、民衆の民族的感情を高めた。
山東省では、自衛的郷村組織を基盤に生まれた宗教的武術集団の義和団が
「扶清滅洋」のスローガンを唱えて、鉄道や教会を破壊し、宣教師や
信徒らを排撃した。義和団が北京城内に進むと清朝の保守排外派はこれを見て、
この運動を利用して、欧米列強に宣戦を布告した。
欧米列強は在留外国人の保護を名目に共同出兵し、日本とロシアを主力と
する八カ国の連合軍は北京を占領し、在留外国人を救出した。
これが義和団事件と呼ばれるものである。
1901年、敗北した清朝は北京議定書に調印し、巨大な賠償金を支払い、
外国軍隊の北京駐屯などを認めた。
義和団事件は近代中国キリスト教史における最大の事件であり、
中国における西洋キリスト教伝道のあり方を捉え直すのに最高の材料で
あると私は確信している。
本稿ではこの義和団事件を捉え直し、清朝における西洋キリスト
教伝道の批判と評価の点について考えてみる。
清朝におけるキリスト教伝道の批判と評価
批判1 キリスト教伝道は中国人同士の殺し合いを招いた。
西洋キリスト教を信じた中国人は未信者から国を売ったものとされ、
多くの迫害を受けた。未信者は信者を殺害し、信者も未信者を殺害し、
血で血を洗う死闘が繰り広げられた。
文化帝国の底辺で、本来ならばともに欧米列強に戦いを臨むはずである
中国人同志が敵と味方に分かれて、お互い殺し合ったのである。
ある欧米宣教師は中国で義和団と戦っている時に、
「義和団事件は主(イエス・キリスト)のものであり、
主(イエス・キリスト)はわが手に勝利をもたらしてくれると考えていた。
中国人信者らも同様にそう信じ、義和団に武力で立ち向かった。
また、多くの教会は自衛の名義で武力を備えたものの、
実際は貧しい中国人を救済するはずの神父がピストルをもって、
子供も含む武器なき義和団を殺意をもって次から次へと射殺したこともある。
義和団は彼らの悪事にも負けずに、彼らに徹底的に反抗したのである。
ここでこのような戦いを招いたのはキリスト教が要因であると言うことは
簡単なのだが、私はもう一歩さらに踏み込んで聖書に戻り、欧米宣教師らの
キリスト教伝道について批判をしたい。彼らはこの戦いで「勝利」することが
神の計画だと見なした。教会には多くの武器があり、神父らは外出する時、
武器を持ち歩いていた。
しかし、聖書の中での「勝利」という意味は、新約聖書第一コリント
十五章五十四節から五十七節までに書かれているように、
個人個人の内面に潜んでいる神の敵であるサタンに対する「勝利」であって、
キリストを信じていない義和団を殺して、義和団との戦いに「勝利」することが
神の求めている「勝利」なのではない。
確かに神の王国の福音は全地に伝えられなければならないが、
武力で未信者を殺害するのはあまりにも聖書の真理から離れすぎているので、
ここで批判をしておいた。
聖書を正しく理解しているキリスト教信者であれば、
どんなに自己の命の危険があっても抵抗はしないだろう。
その根拠は新約聖書マタイによる福音書五章三十九節にある。
「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし誰かがあなたの右
の頬を打つなら、他の頬をも向けてやりなさい。」
本来自分の国を守る仲間同士がお互い殺し合い、多くの死者が出たというのは
事実であり、欧米の教会もそれは認めている。
聖書の真理を追い求め、聖書を正しく理解していればこのような残酷な結果には
ならなかったのである。これは西洋キリスト教が犯した中国に対する最大の罪で
あると言えるだろう。
中国にキリスト教をもたらして、多くの中国人を救うはずが
中国人同士の殺し合いへと招いてしまったのだから。
批判2 当時のキリスト教伝道は完全なる純粋なものではなかった。
黄河大洪水の非常事態を利用して、欧米の教会側は窮迫している農民に
経済的な援助を与えるという方法で信者を獲得していった。
当時流行っていた言葉に、「信仰しましょう。銅銭2000文のために
(奉教,奉教,为了銅銭両吊)」がある。この2000文は特に大きな
金額ではないが、多くの人がこの2000文のために信徒になったのである。
多くの人はキリストを信じるためではなく、お金目当てで教会に
行ったのである。多くの貧しい中国人はお金がもらえないと教会には
二度と行かなくなる。これでは神の真の福音を伝えたということにはならない。
また、山東省済寧では次の証言をした人がいる。
「張太々(女性)という人は農業をやり、地主であった。
・・・四つの村がほとんど
彼女の所有地であった。・・・(彼女は)入教すれば官府も重税を課さず、民衆も
反対せず、邪魔する人がいなくなると思って入教した。・・・官府が穀物を押収した
りすると、教会は圧力を加えてそれを返還させたり、法律を破っても、釈放させた
りした 。」
このような証言は多くあり、カトリックとプロテスタントの教会側も認めている。
このような税金逃れの目的でキリスト教徒になるという地主は当時多く存在したのである。
本来ならば、神の王国の福音を中国にもたらすべきなのだが、
欧米宣教師らが実際に中国で行っていることはキリスト教伝道ではなく、
まさに中国内地での政治であると批判されても仕方がない。
米国宣教師のブリッジマンは家族への手紙に
「我々中国で布教している人間は宗教のためと言うよりもむしろ政治のためである」と
言っている。ブリッジマンに関しては、
もはや中国に来た第一の目的はキリスト教伝道ではないと認めてしまっている。
このように欧米宣教師らが中国で行ったキリスト教伝道は
完全なる純粋なものではなかったのである。
批判3 義和団事件発生前にキリスト教伝道のあり方を見直すように働きかけた人が
欧米列強には存在しなかった。
当時、中国内地での完全なる純粋ではないキリスト教伝道を
直接やめさせようと強く働きかけた欧米宣教師や欧米人は
義和団事件発生前にはいなかった。
欧米宣教師らが行った悪事を勇気をもって批判する欧米宣教師がいなかったこと、
また欧米列強自身が彼らの悪事をやめさせなかったことが私は不思議で仕方がなく、
また非常に遺憾である。
新約聖書ルカによる福音書17章3節にはこう書かれている。
「あなたがたは気をつけなさい。もしあなたの兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めな
さい。彼が悔い改めたなら、赦してあげなさい。」
また、新約聖書ルカによる福音書18章20節ではこう言う。
「いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽
証を立てるな、父と母を敬え』。」
ここに書かれているように、同じキリストを信じている者は罪を
犯したらお互いに戒め合わなければならない。義和団事件において、
教会側が多くの中国人を殺害し、罪を犯しているのだから、
欧米宣教師らや欧米列強自身が伝道の仕方を見直すように
働きかけなかったことは批判されるべき点である。
次に欧米列強の西洋キリスト教伝道を評価する。
評価1 キリスト教伝道は中国近代化の土台を完成させるのに大きく貢献した。
欧米宣教師らが筆頭に、宗教的使命として中国で貿易や商業を大きく開拓し、
中国人を貧困から少しずつ解放していったということは忘れてはいけない事実である。
電報や蒸気船が作られ、鉄道が敷かれるなど中国に西洋文明がもたらされ、また、
慈善病院、学校、大学、工業学校、孤児院も中国のいたるところに設けられ、
近代化が図られた。これらは勇気をもって異教の地である中国に飛び立ち、
自己を犠牲にし、ひたすら中国での仕事に打ち込んでいるプロテスタントと
カトリックの伝道者たちの努力のたまものに他ならず、中国人はこういった
大きな恩恵をほとんどただ同然で受けているのである。
欧米宣教師らは西洋文明を中国に導入し、中国人を深刻な貧困から
完全にではないが解放したという点は賛美しなければならない。
もしヨーロッパ近代文化が欧米宣教師らによって中国に伝達されなかったら、
中国が深刻な貧困から抜け出すのは難しかっただろう。
評価2 欧米宣教師らは西洋キリスト教伝道のために中国を開拓し、教会を建てた。
欧米宣教師らが果敢に中国に西洋キリスト教伝道を行ったからこそ、今、中国では多くの教会が存続しているのであるという事実も忘れてはいけない。欧米宣教師らは確かに多くの悪事を行ったが、彼らが中国に侵入して教会を建てなければ、今、中国には教会はないのである。欧米宣教師らの西洋キリスト教伝道は中国への帝国主義的進出と大きく結びついたものになってしまったが、結果だけを見るなら、もちろん完全にではないがイエスの派遣の命令を遵守したと言える。多くの欧米宣教師らは自分の家族、友人、愛する人と別れを告げ、福音を伝えるために異郷の地である中国に勇気をもって飛び立ったのだ。彼らの決意は並大抵のものではなく、自分の命をも中国に埋めようとしていたのだから、彼らが勇敢に中国で教会を建てたことは評価しなければならない。
終わりに
ここまで清朝における西洋キリスト教伝道の批判と評価について述べてきた。欧米宣教師らが不平等条約などで中国に侵入したということは当時の中国人からしてみれば、侵略と考えても仕方がないだろう。また、欧米宣教師らがキリスト教の布教と名乗って、多くの悪事を中国内で中国人に行ったことも事実である。それゆえに、当時の欧米宣教師らが行っていた布教活動は完全なる純粋な布教ではなかったと言わざるを得ない。
しかし、今現在の中国を見ると、西洋キリスト教がもたらしたものはとつてもなく大きい。中国で近代化が進み、未だに貧富の格差はあるとは言うものの、当時の極度の貧困から解放されたのは西洋キリスト教と同時にもたらされた西洋文明のおかげである。中国で西洋文明が導入され、今現在中国が世界のマーケット市場の中心になるまでに成長したのも実は、西洋キリスト教のおかげである。これらは西洋キリスト教の中国で果たされた大きな役割である。
このように、中国の過去の歴史を振り返っていくと非常に面白い流れというものが分かってくる。すなわち、今現在、多くの外資系企業が中国に進出して、ビジネスをしているが、キリスト教が中国にもたらされなかったら、そもそも外資系企業は中国に進出することはできなかったのである。そういう意味では、私は将来、中国でビジネスをしたいので、キリスト教を命がけで伝えた欧米宣教師らに感謝をしなければならないと思う。