こんにちはパロです。昼間から投稿なんて暇人かよ と思われるかもしれません。実際ワタクシもこんな事になるとは思ってませんでした。
さて前置きはここまで、今回はタイトルにそって、近年の人間関係ついて疑問に思ったので、ここに投稿する事にしました。
三賀日が終わりましたね。家族で過ごす機会が普段より多かったのではないでしょうか? 久々の家族団らんを楽しめた方もいれば、集まっても特に何も話さず、それぞれがいつも通り携帯やインターネットに没頭し大した会話ができなかった、なんて方もいるかもしれません。今回疑問を抱くキッカケになったのはこの後者のようなパターンです。
「一体どこに疑問があるんだ」、「家族がひとつ屋根の下集まっているならそれで良いじゃないか」、などと思われるかもしれません。後者のような状態が、最近あまりに多く見受けられるため、それが一般的となってきている事も否めませんし、ここに違和を感じる事はないかもしれません。しかしワタクシは、家族と一緒にいることはその構成員の心の拠り所であるべきだと考えています。近年よく見られる形だけの関係では無く、家族1人1人が深く繋がり、互いの現状を知り合い、悩みを打ち明けられるような、そんな関係です。もちろん綺麗事です。それを実現することがどれほど難しいかという事は言語に絶するでしょう。それでもワタクシがそう考えるのは、ワタクシの家庭がたまたまうまく回っていて、たまたま居心地が良かったため 、というのも一因かもしれません。しかし、過去の風習や小学校等で叩き込まれる道徳的な教えに基づいても、やはり、家族と一緒にいることはそうあるべきであると考えられるのではないでしょうか。どうも最近、道端を歩いている家族が、失礼ながら、上辺だけの薄い中身のない関係に見えて仕方がないのです。
またこの事は、家族だけに留まらないと思います。同僚や友人などの集まりを考えてみてください。皆で遊ぼうと言って集った友人とのお出かけなどでも、結局皆それぞれ携帯を… なんて事態になってはいるのではないでしょうか? 実際、学生の集団などが集まるだけ集まって互いに一言も話さず携帯と遊んでいるだけの光景もよく目にします。
これらの現状は、近年の人間関係が、どれほど形だけの薄い関係になっているかを忠実に示していると思います。また、それが日々利便性を増していくインターネットや携帯によって引き起こされている事も示していると思います。この投稿を読んでくださった方々、もしもご自身の人間関係に心当たりがありましたら、是非中身のある良い関係に持ち直す努力をしてみては。気付いた人間が行動すれば、その集団の関係性はなにか変わるかもしれません。もちろん、いくら仲が良くても集団の中一人行動するのは勇気がいるものです。しかしそれを乗り越えられ、中身のある関係に持ち直す事ができた時、その集団はさらに長く深く続いていく良い仲間となれるのではないでしょうか。さらに、そういう方が増えてくるに連れ、今の社会にありふれている様々な人間関係の在り方が、良い方向に傾いて行くのではないでしょうか。
と、今回はこんな感じで、「近年の人間関係」 終わらせていただきます。パロでした。