知らなかったピンクレディーの歴史
ちょっと前になるが、
ピンクレディーの「モンスター」を、
カバリングしているのをラジオで聞いた。
その時「モンスター」って、
結構良い曲だなと思った。
ピンクレディーは僕が、
小学校1年のときにデビューした。
デビューから人気は絶頂で、
僕もまだ少し振り付けができる。
しかし、4年生のときには、
あまりテレビ(当時はTBSのザ・ベストテン)
に出なくなったと思っていた。
テレビに出なくなった理由のひとつに、
アメリカのショービジネスに進出していたとは、
思っても見なかった。
ウィキペディアによると、
「アメリカ進出の経緯については、
一般に知られていないが、多くのファンを得て、
短期間に準レギュラー出演の番組を、
獲得するなど当時の外国人デュオとしては、
非常に成功したケースであった。
しかし、よりセックスアピールを、
前面に出したスタイルであったため、
国内でのイメージを損なう恐れがある、
との判断から日本ではほとんど報道されなかった。
アメリカのマーケットにおける、
長期的な見通しの欠如と、
国内マーケット重視の営業判断から、
活動途中でアメリカから撤退を余儀なくされた。」
とある。
さらに、
「アイドル歌手では一般的なことだが、
活動方針やイメージ戦略などは、
ピンク・レディー本人(ミーとケイ)が、
立案しているのではなく、
所属事務所など周囲の関係者が行っていた。
多忙がたたり、当時の仕事の現場は、
ダブルブッキングなどは日常茶飯事な状態であった。
ミーとケイは、デビュー当時から寝る間もないほどの、
仕事を課せられていたため、
自分たちの実際の人気度が、
全く分からなかったと後述している
(地方公演に行った際、驚異的な数の観衆が、
集まっているのを見て、初めて自分たちが爆発的な、
人気を得ていると実感したという)。
爆発的な人気が出た後には、
前述の紅白辞退やアメリカ進出で、
負の遺産を背負い込まされることになり、
自らの意志とは別の次元で悲劇的な、
運命に翻弄されることになった。」
アメリカでも、どうも売れていたらしい。
14枚目のシングル
KISS IN THE DARK (1979/9/5)
- 全米デビューシングル。
- ビルボード 誌の「HOT 100」で37位にランクインした。
- 総合チャートにおいては坂本九 に次ぐ記録。
- 2008年までの時点で40位以内に入った最後の日本人歌手となる
- (ラジオ番組“American Top 40 ”の影響もあり、
- 40位以内へのランクインがヒット曲の基準として重視される傾向にある)。
とある。
キャンディーズや山口百恵と比べて、
寂しく解散した印象だったが、
相当、苦労されていたようだ。
所属事務所もピンクレディーの解散後、
倒産したとのこと。
ずいぶん前のことだが、
mieが、社員にお金を持ち逃げされて、
お金に困っていた時代があったと
テレビできいたことがあるが、
絶頂期と奈落の底に落とされた、天国と地獄を知る
人間には、やはり敬意を表するしかない。
暑すぎてやけどしそうだ!
暑いから、昼間は外に出ない様にしています。
しかし、ノートパソコンをおなかの上に乗せて、
ネットをしていると、
パソコンが熱すぎて、
どうしても低温やけどをしてしまって困ってます。
39回アメリカに行った私が英語について思うこと
私は、レスポートサック仕入れのお仕事で、
述べ39回アメリカに行きました。
始めのうちは、騙されるのではないか、
怖い思いをするのではないか、
また、英語が全く通じないのではないか、
と思ったりしていました。
特に、2回目のNYのときには、
雪の降る中、おかまを掘られてしまい(自動車追突事故)
警察を呼ぶこともできず、泣きそうになりました。
しかし、回数を重ねるごとに、
訪れる町もNY、シアトル、オーランド、
ラスベガス、ハワイ、グアムと
限られていましたし、
宿泊するホテルも大体同じところになってきました。
そうなると、そこにはいつも同じ人がいて、
似たような会話をすることになります。
結局のところ、
ある程度のコミニュケーションが取れればよいわけです。


