見慣れない顔ぶればかりだったので緊張感はあったが、ついにここまで来たという達成感を感じながらプールに移動した。
プールサイドからプールに入り、コーチの指示を聞いた時、俺の高揚感は絶望に転落した。
今までとは明らかに違う練習メニューであった。
今でも鮮明に覚えている。
今までのメニューは、まずビート板キック50mを8本こなし、その次にそれぞれのテーマの種目(クロールや平泳ぎなど)を50m8本、きついのはここまでで、そこからはターン練習などの緩い練習であった。
なので、1回のレッスンでせいぜい1km行くか行かないかくらいしか泳いでいなかった。
それでも、スクールが終わった後はそれなりに体は疲れていた。

コーチの口から発せられたのは、まずはビート板キック50m8本、クロール50m8本。ここまでは今までと変わらない。しかしその後のターン練習が廃止された代わりに、バタフライ50m8本、背泳ぎ50m8本、平泳ぎ50m8本と続いた。
合計、2000m。旧メニューの倍近い距離を同じ時間(1時間)でこなすのだ。まさに地獄だった。

今まで通り、ビート板キック、クロールをこなしてかなり疲れていた俺だったが、まだ半分も終わっていないという事実に絶望した記憶がある。
俺の悪い癖の1つに、嫌なことや大変なことをしている時に残りの分量を数えてしまうというのがある。
嫌なことをやっている時は極力、今目の前にあるものだけに集中し、気づいたら終わっていたというのが理想なのだが、なかなかできない。
当時の俺も、クロールが終わった時点でまだ2/5しか終わっていないという事実に絶望したのだ。

さらに、このメニューには休憩がほんのわずかしか存在しない。クロールの後、バタフライ400mが始まるまでの間、休憩時間はわずか1分。
よくプールサイドに置いてある、アナログ式の大きな時計の針が一周したら始まりの合図だったのだが、その針が止まってくれることを何回願っただろうか。針は無情にも淡々と進んでいった。

針が頂点を通過し、地獄が始まった。
バタフライとは一番体力を消費する種目である。
体のうねりを大きくすれば、体力消費をかなり減らすことはできるものの、他の3種に比べると一番辛い種目であることは間違いない。
しかも、俺はすでに800mを泳いでおり体力も半減している。そんな中でのバタフライ400mはまさに生き地獄であった。
バタフライ3本目(150m)に差し掛かった頃、俺の全身は限界を迎えた。
上半身はうねることができなくなり、キックも小さくなり、著しく失速した。
すると、どうなるか?渋滞ができるのである。
今回2級に進級して来たのは俺含め2人だけ。
その他のメンバーは皆、1ヶ月前から2級に在籍していた人たちであった。
つまり、このメニューも最低4回はこなして来ているツワモノ達である。

失速後、後ろを泳いでいた人の手が俺の足に当たった。あっという間に追いつかれたのだ。ものすごい威圧感を感じ、前に前に進もうともがくのだが疲弊しきった体は言うことを聞かない。
ついにその場に足をついてしまった。
この世の終わりのような顔で呼吸を整える俺。
渋滞は解消し、ツワモノ達は立ち尽くす俺の脇をどんどん抜かして行くが、この平穏も長くは続かなかった。
プールサイドで目を光らせていたコーチから「おい、そこ!」と怒号が飛んで来たのだ。
絶体絶命とはこのことである。
俺はバタフライを再開せざるを得なかった。


動かない体を俺は号泣しながら前に進ませていた。
顔面涙まみれでも、誰も俺が号泣しているとは気づかなかったであろう。だって水の中なのだから。
俺ともう一人進級して来た人が意外にも食らいついて行けていたのが余計に悔しかった。
地獄のようなバタフライをなんとか終えた俺だったが、この後の背泳ぎと平泳ぎは意外にも食らいついていけた。
背泳ぎはずっと上向きなので、泳いでいる間呼吸を整えることができる。さらに平泳ぎは俺が最も得意としていた泳法であり、4種の中で最も体力消費が少ない種目だったからである。
たしかに辛かったが、その間落ち着きを取り戻し、涙はとっくに引いていた。

そんなこんなでなんとか初回のレッスンを乗り切った。しかし、レッスン前の高揚感は根こそぎ剥がれ落ちていた。
水泳=地獄 という方程式が俺の脳裏に色濃く焼きついてしまった1日となった。

俺は毎週金曜日が水泳の日だったが、木曜の夕方あたりから俺のテンションは次第に降下するようになってしまった。金曜日の授業中なんかは、午後の水泳のことだけを考えてしまい、全く集中できなかった。
かつて一番好きだった金曜日(水泳をやめた今ではまたその座を取り戻した)が、地獄の曜日と変貌してしまったのだ。

1週間に1回というペースではあのメニューに慣れることはなかなかできまい。
週二回に増やそうかなどと考えたこともあったのだが、当のレッスンの翌日は全身疲労が凄まじく、翌日に学校などがある平日にレッスンを増やすと、学校生活に支障が出る可能性があったのと、地獄がこれ以上増えると本格的に精神を病みそうな気がしたので、しばらく週一回の生活が続いていた。
2回目、3回目のレッスンは1回目と同様、時折号泣しながら食らいつくという情けないものであった。

4回目のレッスン、これは俺がこの2級に来てからはじめての進級テストの日であった。
ここで進級すれば水泳生活とおさらばできるのであるが、あのメニューを平然とこなすツワモノ達にはまだ遠く及ばないことは重々承知していた。

しかし、信じられない事実を目にした。
この進級テストで進級者が1人も出なかったのである。
ここで初めて知った。今までの級では最低1人の進級者が出るようになっていたが、2級以上は進級者が出ない場合があるというのだ。
素人の俺目線から見て、あーコイツ進級するやろなぁって思っていた人は何人かいたが、進級者が出ないという事実に唖然とした。
もしかしたら俺はこのまま一生この箱庭から出られないのではないかという絶望感が同時に俺を襲ったのだった。

そんな絶望感を感じつつスクールに通い続けていた俺であったが、レッスン後のささやかな楽しみというものもあった。
スクールの建物には休憩スペースがあり、そこにニチレイの冷凍食品自販機が設置されていた。
レッスンが終わるたびに俺は、その自販機に500円で売られているチキンアンドポテトを食すのがルーティンとなっていた。
小学生にとって500円はご馳走だったのだ。
ホカホカのフライドチキンとポテトは疲弊しきった肉体にはたまらない幸せだった。


地獄はいつのまにか、当初ほどの苦痛を与えなくなって来ていた。
2級に来てから半年ほどした頃である。
未だ進級の兆しが見えない俺に、タイムリミットが近づいて来ていた。
小学校卒業である。
母親は俺が小学校卒業するまでには1級に到達すると目論んでいたらしく、”1級になるまでね”に加え、“中学生になるまでね”と付け加えていたのだ。
現に、中学校では部活動などに入った場合、スクールを続ける余裕などなかったのであるが。

結局、俺は2級という中途半端な位置でスイミングスクールライフは終焉したわけである。
何度か友達などに1級まで行ってやめたと言ったことがあるが、あれは見栄を張るための嘘である。この場を借りてお詫びしたい(笑)
最後まで達成しきれなかったことは、今思えば心残りではある。母親からも「私はちゃんと1級まで行ったから」と事あるごとにそのことを出汁にされる。
しかし、レッスンを一度もサボらなかった自分には褒めたいと思う(部活はよくサボっていたというのに...)。
現に、レッスンが面倒臭いからという理由で、休憩スペースに入り浸ってサボっている人たちも結構いた。しかし、俺は罪悪感からかそれはできなかった。


塩素の匂いを嗅ぐだけで当時の苦い思い出が蘇ってくるほどのトラウマを作り出したスイミングスクールだったが、決して無益だったわけではない。
地獄のような生活の中で水泳が俺に与えてくれた恩恵は実はかなり大きいのだ。

まず一つに、水泳の技術的な面での恩恵だ。
例えば、海など行った際に溺死する可能性が減ったこと。
俺は何回か友達と海に行っているが、高潮に飲まれたことも少なくない。だが、その度に自力で生還することができていた。もし、スイミングスクールに通っていなかったら、AEDの活躍を目の当たりにしていたかもしれない。
そして、学校の水泳の授業のテストで毎回A評価をもらっていたこと。
水泳は、球技がそれほど得意でなかった俺にとって、体育の成績を「4」にするための切り札であった。

2つ目は、友人関係を広めるきっかけを与えてくれたことだ。
現に、今も仲良くしている親友の一人は、スイミングスクールが同じという理由がきっかけで仲良くなった。


そして最後に、自己紹介カードの趣味/特技欄に書くことができたということである。
クラス替えの際などに配られる自己紹介カード。
そこに決まって設けられている趣味欄には毎回「水泳」と書かせてもらっていた。
現に、それ以外に趣味や特技といったものが俺にはなかったのだ。
そして見返すと恥ずかしいのが小学校の卒業アルバムである。
卒業アルバムのクラスページの一角に、
「僕/私は〇〇No.1!」というコーナーがあった。簡単に言えば、自分はクラスの中で誰にも負けないぞっていうことを書くコーナーである。
俺はそこに恥ずかしげもなく「水泳No.1」と書き込んでやがった。
俺より速い奴はクラスにいたのだが、そいつは「天然男子No.1」なんて書き込んでいるものだから、あたかも俺が一番水泳が上手いみたいになってしまっているのが恥ずかしい。
さらに、他の人のを見たときにハッとさせられた。俺と同じく水泳を題材にしていたのだが、「水泳大好きNo.1」と書いている人を発見したのだ。これはよく考えたな!と一本取られたような気がした。
そんなこんなで俺の黒歴史は小学校の卒業アルバムにきっちり記録されているので、俺と同小で気になる人は確認して見てくれ(笑)

<後日談>
スイミングスクールを題材にしようと思ったのは、高2の頃のある体験がきっかけだった。
当時、俺は空手部に所属していたのだが、手の怪我をきっかけに転部することを考え始めた。
その時の候補が水泳部だった。
理由はもちろん9年のキャリアがあるという単純なものだったが、自分を過信していたところもあったのだろう。
そして水泳部の仮入部に行ったのだが、小6以来で5年のブランクが空いていた俺はまったくもってついていくことができなかった。
そしてこの時、あの地獄を鮮明に思い出したのである。体が全く動かなくなるあの感覚、呼吸しようにもできないあの苦しさ。高校水泳部のトレーニングはあの地獄そのものであった。
同時に、俺は毎日そのトレーニングを続けている彼らに対してかなり尊敬するようになった。
彼ら曰く、慣れだよと言っていたが、その「慣れの段階」に持っていくまでにかなりの努力を要するのだ。

これは水泳に限ったことではない。スポーツや芸術(楽器など)、勉強に限っても言えることである。
ジャンル問わず人の上に立つということはかなりの努力を要するということだ。
例えば、サッカーがとても上手い人がいたとしよう。
その人に向かって「ああ、俺もサッカーを子供の頃から続けておけばよかったな」などと言うのはとても失礼なことではないだろうか。
その人はただ単にサッカーを続けていたわけではない。その過程において多大な努力や苦労をして来たのである。その努力を知らずして、キャリアだけでものを見るのは実に軽率なことだと身にしみて感じるのだ。


俺の親友の中には、高校、大学とスポーツ推薦でいったやつがいる。俺は彼をとても尊敬している。
ただの習い事ではなく、「強豪校の部活動」という組織の中で彼はあの頃の俺の何100倍も努力と苦労をしてきたことだろう。
現に彼は、引退試合の時、活躍する場面が何度もあった。
それは、キャリアという面だけでは評価できない彼の努力の賜物であり、人を感動させる力も持っていた。

俺はこの9年のスイミングスクールライフで、一つのものを継続し、極めるという多大なる苦労の片鱗を垣間見ることができた。
オリンピックメダリスト、プロの演奏家、ノーベル賞受賞の研究者など、何かのジャンルで人の上に立つ者は、それにおいて想像できないくらい辛い体験をしてきたに違いない。

だから俺は、髪を染めたり、ブランド物の服やアクセサリーに固執したり外見ばかりを取り繕っている人よりも、何かにおいてひたむきに努力を重ねて前進している人の方が何千倍もかっこいいと思うし、魅力を感じるのだ。