ここのところ、
しとしと続く
雨模様の広島。

寝が足りているせいもあって
気持ちが落着く。
クセ毛が縮れたってなんのその

今日は大好きなパン屋さんへ
女子供7人で向かう。

晴天、それからゴールデンウィークあたりが少し苦手なのは
こんなにいいお天気だもの。
でかけなくっちゃ!
そう思う、思ってしまう、強迫観念が
そしてそれが、きっと健全な、正しい精神のような気がして
ますます、~晴れているから出かけよう観念~に縛り付けられる。
 一方雨の日は
静かに過ごすのにも、言い訳が必要とされなくて
それでも意志で、出かけたくなれば出かけてもよくて
それはなんというか、とっても立派な行いのような気もして
誇らしくなるから、雨の日に
傘をさしてお出かけするのが
ワタシは好きだ。
雨の日にわざわざ、目的の場所に赴く事。
どっちみち辿りついているはずの場所にも
雨の日であれば
胸の内で小さな、誇らしさが満ちる。
えらかったね。
あぁ、ワタシは、雨の中でも、どうしてもここに着たかったんだわ。
そう確認できて、面白い。

ワタクシゴトだけれど
一時期はまって、
下火になって、
再び関心が向かっているアロマテラピーの時間。(これをくり返している)
もう何度目かわからなくなった、香りマイブーム。
日本人に生まれ
日本文化を眺めながら
様々な、もしかしたら人によっては他愛のない物事を
道~どう~
のつく作法に発展させてしまう
静かなのに、激しいその情熱に
時々ハッとさせられる。
和を尊ぶとされる日本人が
内面的にいかに情熱的であるか
情緒的であるかを垣間見る瞬間でもある。
中国で生まれた
茶の文化を
茶の湯、そして茶道へと運び
すっかり日本に定着させたその流れにも
本来、女性が不利といわれてきた香りの道
香道にも
きちんと女性師範が存在する。

アロマテラピーを学ぶ時
どうしても、お香、の世界を意識してしまうのは
日本人誰しも、共通しているところなのかもしれない。

子供の頃
母の持っていた香炉が
面白い形をしていて
それが今でもはっきりと思い出され
それがすなわち
母の記憶だったりする。

時代、それから民族性ということもあって
私どもが幼少時代
親から毎日、抱きしめられたり、キスを浴びたりするような事はなかった。
その分
ふとした時に、~おばあちゃんの箪笥の香り~を見付けたり
上記の、母が使っていた小物達を思い出したりするときに
日本の大人は
懐かしさを、それから愛された記憶、のようなものを
確認できるような気がする。