みなさん おはようございます☀
発酵料理教室してます。ゆみです。
高校時代のホッケー部。修学旅行は、山陰・山陽でした。広島では原爆について考える。夜の宿舎では各クラスで戦争についての合唱で発表する会がありました。
私はクラス委員だったので、その歌や内容を決めて練習するという役割が旅行前の課題でした。
他のクラスメイトには、しおり作りの担当や、保健係の子は薬の準備。部屋割りの係の子に新幹線とバス席を決める子。バスの中のレク係。研修についてまとめてくれる係。たくさん分担されていたと思います。
Z世代の人にはご存知ないでしょうが…五木ひろしさんが映画の主題歌として歌われていた『契り』を合唱する事に決めて練習してました。
結果は6クラスある中、最優秀を獲れた!という記憶です。
泣きながら、みんな歌っていました
戦争ない世の中が、私たちが生きている間は、当たり前に無いと思っていました。
でも、世界の中では、この令和時代にもいろんな事が起きています。
地球🌏も泣いているんじゃあないでしょうか??
地球が穏やかであるような行動を、少しでもとりたいと思うこの頃です。
さて、修学旅行の話に戻ります。
🚌の中で、歌の練習をする時に、指揮をしていると広島の観光バスの乗務員・そうバスガイドさんが、私にユニホームであるひとつ、帽子を被してくれたんです!
悲しい歌ですが、車内の同級生は大盛り上がりになりました❣️
そこから同級生にバスガイドになれるょ!って冷やかされる日々が続く事にもなるのです🎤
その時のバスガイドさんも、軽く、「あなたガイドになれるょ!」って言うじゃないですか〜。ノリって恐ろしい
ホッケー部といえば、進学する人はホッケー部のある大学へ。就職する人は、社会人ホッケークラブのある会社へ行く人がほとんどの時代でした。
私にも社会人クラブで、ほとんど大会で優勝している先輩が所属している所から、マネージャーとして入社のオファーをもらっていました
その会社へ入社していたら、今の私ではなかったかもしれません
バブル景気だったので、ボーナスも良い時代でした。
社内恋愛で結婚してだかもしれません。シングルのままかもしれません。
そんな大手の会社をお断りして、バスガイドの道を選んだ私でした
当時の写真がみつかりましたら、upしますね。
若かれし頃。→誰も見たくありませんよね
今日は高校生時代のことを思い出して描きました。
私が社会人デビューをバスガイドとして世に出るきっかけになった修学旅行の件でした。
今は、発酵料理教室をしております。
発酵料理についての情報をこちらで案内しております。
宜しかったら、下記のLINEで繋がっていただけると嬉しいです