2012年・日本
監督:吉田大八

7/10


良い映画だなぁと思ったと同時に、もっとザラついていてもいいのにと感じた。

冒頭からその構成でみせる。
桐島が消えた金曜日。それを視点を変えて、(確か)3回。
上手くて洗練されている。
その後も軋む人間関係を、あちら側からこちら側から、実にスマートに掬い取っていく。
でも、その〝軋み”〝痛み”がもっとトゲトゲしくても良かったのではないか。
もっと残酷で汚くてもよかったんじゃないか。
そんな風に考えてしまう。
それが顕著だったのが、クライマックス。
「桐島が屋上に現われた」という噂を聞いた生徒たちが、一斉に階段を上っていく。
吹奏楽部が演奏するワーグナーをバックに。
そして、その後に続く映画部の抵抗。
ドラマチック。
でも、それはこの物語の持つ〝痛み”を何となくカタルシスにしているだけじゃないかな、と思ってしまった。

ポップで分かりやすい。
会話のテンポだって心地良い。
それは必要なことだったんだろう。
これだけの人数を捌かなければいけなかったのだから。
滑らかさはきっと演出上の必要条件だった。
でも、そこに物足りなさを感じてしまったのも事実なんです。

逆に神木くんと橋本愛の絡みはそのポップさが良いと思ったんだけど。
「昔は学校でも少しは会話をしていた」っていうスクールカーストの残酷さを思わせる設定、
パーマ君と教室で二人きりでいるところに突撃してしまって、グッと握りしめる両手、
思わず歩いている姿をカメラに収めてしまうさま。
それらが気持ちの良いタイミングでポンポンと投げ込まれて、個人的な好みも多分にあるんだろうけど、映画館で身悶えてしまったよ。


一発目にして難しかったなぁ。
それはきっと、群像劇でありながら、かなり神木くんに寄っているこの映画独特の焦点がそうさせているんじゃないかと。
群像劇に寄せて諦観を重くするか、神木くんにもっと寄ってポップにするか。
そんな風に考えちゃいますね。


それにしても、「SUPER8」でもそうだったんだけど、映画少年はロメロが好きっすね。
分かりやすくオタクっぽいからかしら?
それを考えると、ヌーヴェル・ヴァーグやらルノワール、フェリーニやらが好きだった僕は、何ともいけすかない高校生だったなぁ。
僕は演劇をやっていて、小説も音楽も好きです。
でもこのブログは主に映画について書いていきます。

というのも…

演劇は正直、色々書きづらいんです。
知り合いが関わっていたりして。
簡単な誉め言葉ならtwitterで叫べばいいし。

音楽も僕はそこまで批評的に聴けないから、twitterでいい。
小説は…何か書く気がしない。

そんなわけで、映画について書こうと思います。
暇があったら映画批評について勉強して、それなりに読み応えのある記事にしていきたいと考えていますが、今はそんな時間ないので、観た映画について感じたままに書いていこうかと。

よろしくお願いします。