バッドエンドでも起きたらリセットされるから、テレビゲームは夢の代わりなのかもしれない。
ところで、終戦記念日をのんびり過ごした私は今更になって沖縄の米軍基地について考えている。
恥ずかしながら最近まで、一連の事件はアメリカの軍教育の問題だと思っていて、何となく外国の出来事のような感覚でいた。それこそ島唄とか、ざわわとか聞きながら、ああこれ日本の話なのかと理解した。
三年前の夏、マームとジプシー「cocoon」(沖縄のひめゆり隊のお話)を見て、戦争の辛さなんて経験してない私たちに分かるわけないから、そんなこと言い訳にされても反論できないし狡いと思ったことを覚えている。
戦時中の倫理に反した行動を私達は評価する権利を持たない。生と死、未来と過去、本土と島、想像の断絶は絶望的で、しかも永遠に優位に立てないのだから、こちらはそんなん分かるかと憤慨するしかないのである。
だけど、想像を止める方がよっぽど怖い。
データが足りないから、実証できないから、そんな理由で問題はいとも簡単に個人の責任にされてしまう。けど、戦時中の混乱で看護学生を犯してしまう日本兵も、米軍の一連の事件も同じじゃないか。日本が戦争をしていなくても、戦争のストレスを受ける人が滞在する限り、戦争の副作用は受けている。沖縄戦は間接的に続いている。
それを目に見える形にすることも、実際に体験することもできないから、結局机上の空論で、想像するしかないのだ。刺される夢と実際に刺されるのがどれだけ違おうとも。
