▽▲▽
映画のスクリーンを観て、味わい、受け取り、
あなたの現実のスクリーンを彩る為の
これからの映画術。
▲▽▲
映画を観る人の
現実のスクリーンと
選んだ映画のスクリーン
それぞれに分離した片割れが映る
「泣ける」映画と
「笑える」映画がある
どちらも その場で消化が大事
大笑い!)^o^()^o^()^o^(
あースッキリ♪
泣ける~号泣(T ^ T)(T ^ T)(T ^ T)
こちらもスッキリ♪
但し どちらも 観た後に
何も アクション起こせないなら
それは《自慰》だから
散々っぱらやればいい。どんどんやるべし^_^
「笑える」映画に 興味ない方は
ある意味必要ない
(つまり、現実世界でも充分に笑えてる、満たされてる)と言える
「笑える」映画が 好きすぎる方は
映画のスクリーンで 笑うことで
現実のスクリーンからは 逃げている
ともいえる
(逃げと書いたが、大方の場合、当人の実感は薄い、もしくは無)
現実のスクリーンで
泣きや怒りや恐れが大きいなら
《逃げ》確定。
映画のスクリーンで 笑い続けるか
現実のスクリーンでも笑えるよう
チャレンジするかは ご自由である^_^
また、
泣く映画に 興味ない方は
現実世界で 泣きたい時に泣きたいだけ泣けているヒト。
但し、今までのオトナ社会は
おおっぴらに泣くことがとてもやりにくく
泣きたい時に 泣きたいだけ 泣けているヒトというのは皆無と言っていい。
「泣ける」映画が 好きすぎる方は
映画のスクリーンで 泣くことで
現実のスクリーンでは 泣かずに頑張っていることが殆ど
(当人は、頑張ってる感覚皆無、または薄々気づいているが やめ方を知らない)
現実のスクリーンで 殆ど泣かないのに
映画でだけ やたら勢いよく 泣けるなら
《頑張りすぎ》確定。
↑過去の私は まさにこのパターン(T ^ T)
映画のスクリーンで 泣くように
現実のスクリーンでも泣けるよう
お試しになるかは こちらもご自由である^_^
↑「泣ける」映画で散々泣き散らした末に 現実のスクリーンでも泣けるようになって バランス取れるようになったのが私(´∀`*)
そう、すべてはバランスであり
選ぶ映画とその見方に
ヒトの《分離》が見てとれる。
☆☆☆☆★
「怖がる」映画と
「怒る」映画がある
どちらも 「笑える」「泣ける」映画同様、
観た後に何も アクションを 起こせないならば
それは 現状維持したい 気持ちを隠した《自慰》なだけ
散々っぱらやればいい。どんどんやるべし^_^
↑やり尽くすと 現状維持とか 言ってられなくなる
「怖がる」映画に 興味ない方は
ある意味必要ない
(つまり、現実世界でやること決まってる)と言える
「怖がる」映画が 好きすぎる方は
映画のスクリーンで ビビることで
現実のスクリーンからは 逃げている
ともいえる
(逃げと書いたが、大方の場合、当人の実感は薄い、もしくは無)
現実のスクリーンで
泣きや怒りや恐れが大きいなら
《逃げ》確定。
映画のスクリーンで 怖がり続け
現実のスクリーンは 観ないことにするか
ビビりつつも 現実の方を 変えようと
チャレンジするかは ご自由である^_^
「怒る」映画に 興味が持てない方も
ある意味 やること決まってる
やることと、やらないことが 見えている
それでも 手をつけられない 進められない場合
消化してない怒りを溜めてることが殆ど
その怒りでもって ジブン事すらヒト事にするという それはそれは強力なストッパー
だから
怒りを吐き出させるのが先決
但し その怒りの下には
哀しみや さみしさが 潜んでいることが大半。それを拾う方が事は早い。
そう、すべてはバランスであり
選ぶ映画とその見方に
ヒトの《分離》が見てとれる。
★注:笑う映画、泣く映画、怖がる映画、怒る映画というのは、ジャンルではない。
鑑賞者の感じ方次第。
これも、数の仕合わせ。
★★★★☆
2月スケジュールの確認、お問合せ
お申込はこちらから
お申込・お問合せはこちらから
《かずの葉の庭》主宰
|★|高橋 早苗Facebook
高橋 早苗プロフィール

