「ゴースト・イン・ザ・シェル」
字幕版を観ました
ひとつの映画として
出来上がっていましたね。
…公開前には
少佐がなぜ日本人じゃないのか
という話も聞こえてきたけど
アジア人の華奢な体躯よりはよっぽど
「らしく」なるんじゃないかな
と感じていました
それと、私は
スカーレット・ヨハンソンの声が
好きなので^_^
だから、まず本人の声で観たかった
何より、監督はじめ製作側の
リスペクトしてます!感が見えたのが良かったな
(原作に対して、ではなく
映画「攻殻機動隊」に対してね^_^)
で、細かいことで
言いたいことはあれど
吹替版を観ないことには
文句もつけられんだろーと
吹替版も観る^_^

聞き慣れた少佐やバトーの声
でもスクリーンは違う顔、の
どこかしっくりこない感を
面白がりつつ観ていました
義体が、脳に馴染むまでの
違和感みたいなものかしら^_^
…少佐の出生が明らかになっていくのは
そこをハッキリさせんと物語が描けない(?)という
アメリカン(監督はイギリス出身でしたね)気質というか
ハリウッド気質を感じたな
アニメ映画とTVシリーズの中で
私が観ていた「少佐」は
自分が何者か、という
誰もが抱く問いを
ひとまず脇に置いているヒト
…その問い、よりも
目の前の事件を取ろうとするヒト
というイメージでした
シェル(義体)に覆われた脳は
わずかな記憶と
ゴーストの囁きを頼りに突き進む
そうすることが
彼女を彼女たらしめていて
彼女が「事件を取る」とはそういうこと
…ネットの海を泳ぐシェルには
問うほどの「個」なんてない、位に
思っているかも^_^
…だから、今回の実写映画
「ゴースト・イン・ザ・シェル」はね
少佐はクゼという男を追いながら
自分が誰なのかを追っていく
自分という存在の心許なさが
よく出ていた
それはよかったんだけどー^_^
…その心許なさが
弱さに感じられちゃって
あれ?少佐って
こんな弱かったっけ?みたいな
(もちろん義体だし
全然弱くないんだけど^_^)
結果的に
自分の生い立ちを追うことになった少佐には
やっぱ弱さを見てとってしまう
ニセの記憶を植え付けられた、なんて
SFじゃよくある話でしょ?
生い立ちなど分からなくても
事件を取る、取り続けることで
シェルに覆われた自己の存在証明をしていくのが
少佐だと感じていたので
スカヨハ版少佐には
弱さを感じた分だけ
ラストでやっと
事件を取る(取れる)少佐になった
というのかな^_^
《少佐が「少佐」になるまで》のお話
に観えました^_^
・・・荒巻のことも書きたいけど
長くなったので別記事にしよ(´∀`*)
ゴースト・イン・ザ・シェル公式サイト