この3ヶ月
人形劇三国志から始まって
押井守氏の著作を読み漁り
その他にも、とにかく
《 気になるもの 》に手を出して^_^
今は、ショウペンハウアーさんの
「読書について」を読んでいます
この方、面白い!
徹底したアフォリズム
(短いぴりっとした表現で、人生・社会・文化等に関する見解を表したもの。
警句。箴言(しんげん)。)
が素敵なおじさんですわ^_^
…ま、隣にいられたら
うるさいわー思うかもしれないけど(^_^;)
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↑これね!
読めば読むほど
自身で考える力を失っていく
…という指摘は
なるほど、と頷いてしまいます(^_^;)
彼の箴言警句に触れてみて
改めて、本は
…猫だな。
と思い至りましたわ^_^
例えば、
道ばたで野良猫を見かけたら。
(家の近所ではよく見かけます^^)
近寄ったり写真を撮ったり
あわよくば
アタマを撫でたり抱き上げたり
もしかしたら
エサまで与えちゃったり
するかもしれない
ひと時はそれで喜んだりテンション上がったり
猫飼いたいなーなんて思ってみたり
…するかもしれないけど
それはやっぱりひと時のことで。
ひと時可愛がっても
大抵は、そのまま
彼を道ばたに残してサヨナラする
本を読むことも同じ。だなーと^_^
他人のアタマ、思考体系から
生み落とされたコトバたちを
充分に読み含めて
己の中に落とし込んだとしても
(落とし込んだ気になっても)
それはまだそのままで
何物でもなくて
消化もしなければ
栄養にもならず
血や肉にもなっていない
たまたま見かけた可愛い猫を
抱き上げてる間だけ
いい気分になるのと同じ
本を読んで得た知識というヤツも
その、たまたま見かけて
抱き上げたネコと同じ
家に帰れば、いつのまにか
野良猫のことなんて忘れてしまうのと同じで
一旦、本から離れてしまえば
読んでる間に感じたこと
アタマに浮かんだこと
みんな消えてしまう。
読んで、どれだけ深く感銘を受けても
脳のどこかに言葉の断片はストックされても
手元から本を離したら
頁を開かなかったら
書いてあることをスラスラ言える人は少ないでしょう
だから、
この手で書き留め、考えて
己の言葉で人に話す必要がある
己の言葉に置き換えていくことで
自分の中に染み込んでくる
それを話してみることで
さらに自分のものとなる
ただね
可愛い其奴は
こちらは野良だと勝手に思っているが
どこかの家では
飼い猫として生きているかもしれないわけで
そして
どんなに憧れても
ヒトは其奴にはなれないわけで
どんなに感銘を受けても
本には(書いた著者には)なれない
…なる必要もないんですが(^^;)
そんな
ヒトと本の距離感は
ヒトと猫との距離感と同じだなーと
感じたのね。
・・・じゃ、本を読むのは無駄なのか?
いえいえ、そんなことはありません
読みたいものは読めばいいし
大好きな本があれば
大事に読み返していけばいい
ショウペンハウアーさんも
本を読むことの害を伝えていますが
本を読むなとは言っていない
『一読することは、著者の思想を胸に抱いただけ』
『読まれたものは反芻され熟慮することで
初めて読んだ者のものになる』
だから、
『(読むなら)古典を読め』
(…基準として故人の著作、それ以前のもの)
『読んだら、もう一度読め』
(一回読んで、次の本へ手を出すな!)
だからこそ
『多読は、他人の思想で精神が圧迫される行為』
と切り捨ててるわけね^^
この切り捨てっぷりがホント、面白いです♪
私も、いましばらく熟慮してみます^^
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