母は前日、破水しそのまま自宅出産
下の写真の右側(おしめが干してある・笑)、ここ、茶の間です。
ここで私は生まれました。

↑ 母と、兄と。自宅前で。
2000グラムの未熟児
2ヶ月も早く出てきちゃったのでw、保育器のある仙台の病院へ
父が仙石線に乗って連れて行ってくれました
(まぁ、もちろん覚えちゃいないけど)
2週間後の帰宅はタクシー使ったとか。
・・・あの当時の60kmタクシー移動、
いったいいくらだったんだろう
(そのぐらい、平気でタクシー使える人になりたいわね。電車があれば電車使いますけども。)
そして、こうして書き留めてしまうと
意外に?父の良きパパ振りが見える (^_^)
2週間後、帰宅した赤ちゃんに
つけられた名前は、早苗。
早生まれ+早産だったからという理由・・・らしい。
鉄工所で溶接工をしていた父と
自宅で洋裁教室を開いていた母
洋裁教室は、後に私の部屋になる8畳間
ミシン2台と大きなテーブル
赤ちゃんの私は
待ち針や縫い針が散乱している床の上を
器用に針をよけてハイハイしたとかしなかったとか・・・

↑ 母の実家で。
一緒に映っているのが祖母。
家のオルガン弾いて歌う 陽気なチハルばあちゃん。
砂糖大好物で、トマトに砂糖かけて食べる人だった
私の家は貧乏だったけど
母の実家は歩いて5分ほどのところにあり
昔で言えば地主のような 大きな農家
(だから家にオルガンあった。らしい)
ここに載せた写真も、その実家を継いだ叔父が撮ってくれたもの

↑ この頃から、顔が変わっていない気がする私・・・(^^;
2歳の頃。幼少期の唯一の写真ね。
この後、保育所、小学校と
集団生活に入っていきます。(つづく)▷▷無邪気な保育所時代▷