先月、「全日本実業団体対抗大会」第三部にて、十数年ぶりに柔道の試合に出場した吉田秀彦。
齢43歳、筆者とは同学年である。
ブラジリアン柔術家にとっては2002年のホイス・グレイシー戦の印象が強い。
また、その後に数々のMMAファイトを闘った選手としても高名だ。
さらに一般的には、何といってもバルセロナ五輪78キロ級で金メダルを獲得した際の得意技・内股のシーンが鮮烈であろう。
学生選手権で4連覇を果たした圧倒的な強さや、敗れはしたものの金野潤との全日本選手権決勝も記憶に残る。
が、筆者にとっては高校3年時・昭和62年の一年間無敗を誇った、神がかった勝負強さが忘れられない。
昭和62年・春の高校選手権や国際高校選手権などでは、圧倒的な内股のキレで一本の山を築いた世田谷学園高校の吉田であったが、必ずしも楽勝の連続ではなかった。
関東大会個人戦では東海大相模高校のエース・佐藤選手に「技あり」一個ずつを取り合って、薄氷の判定勝ちであった。
また、インターハイ個人戦決勝では東海大第五高校の新鋭にして後に「中村三兄弟」として一世を風靡した長男の佳央を相手にポイントを奪うことが出来ず、これも判定での勝利であった。
秋の国体では宮崎県の選手に返され「技あり」を献上、抑えこんでの逆転勝利といったこともあった。
そういった中で、昭和62年の吉田秀彦ベストバウトとも思えるのが、夏の金鷲旗決勝での東海大相模戦、これまた佐藤との大将同士の対戦。
金鷲旗は5人による伝統の勝ち抜き戦、この世田谷学園VS東海大相模は抜きつ抜かれつの大接戦にて、大将戦にもつれ込んだ。
序盤は佐藤が足取りなどで怒涛の攻撃、吉田は腹ばいで逃れるので精一杯であった。
吉田は寝技に活路を見いだし、今で言うオモプラッタを駆使して反撃するも、極めるには至らず。
やや佐藤有利の空気が流れる終了寸前、突如として炸裂した吉田の内股に佐藤ゆっくりと回転し「技あり」、吉田そして世田谷学園の勝利となる。
昭和62年・吉田秀彦の充実を集約するかのような、ドラマティックな一戦であった。
その後は柔道・他流試合・MMAにて周知のキャリアを築いた吉田。
特に、最近はあまり省みられることが少なくなったが、ホイスとの道衣を着た一戦は「木村VSエリオ」の再現とも言われた興奮の闘いであった。
もっと歴史の中で語られてよい試合だと思う。
紆余曲折を経て、柔道の舞台に戻ってきた吉田秀彦。
底辺ながら同学年として時代を生きた筆者にとって、誇りに思える存在である。
(文中敬称略)
昭和62年金鷲旗高校柔道選手権大会・決勝大将戦
世田谷学園・吉田秀彦80キロ、対する東海大相模・佐藤は130キロ
中盤までは佐藤が大内刈りや足取りで優勢
中盤、吉田も所謂オモプラッタを駆使して逆転を狙う
終了直前に炸裂した吉田の内股で「技あり」
※2013年7月14日発表




























