岐点
4月から登録型アルバイトで好きに働こうかなーなんて思って(とても金に余裕のない、なおかつ無職とはおもえない程実に適当な考え)
今日派遣会社にいって説明聞いてそのまま登録・・みたいなつもりが、
なにやら新卒の就職活動中の学生あつかいになっており、
普通にバイトじゃなくて、仕事をあっせんされる。
そして普通にいいところだったので、
ちょっと応募してみることになりました。
私があっせんされたのは、某旅行会社で、今伸びてきている会社らしく、株を見てみたらホントえらいことになってました。。この不況に・・。そんなところ。
仕事はWEBデザイナーです。
契約社員で1年ごとの更新ですが、給料普通によろしい上に、ちゃんと週休2日あります。
応募せざるをえない。
まぁあっせんといっても、ちゃんと面接なんかもありますけど、
派遣会社の仲介でもらう話であってすでに相互の信頼があるので、結構いけるんじゃないですかねーどうですかねー
実は別にもう一つ出版社にエントリーすることができたので、そっちのほうとも兼ね合いをつけたいところでもあります。でもどのみち受かっても2011年からの仕事なので、この1年開いてしまうから契約社員でかえって好都合かなーなんとも思ったり。
1月前まではこの後一体どうしたらいいんだ・・と絶望してたりしてたんですが
ああ どうにでもなるんだな、 なんて帰りに思いました。
そんな矢先、
京浜東北線で帰ろうとして品川から乗り換えようとしたら
ちょうど、その京浜東北線が人身事故にあいました。
品川で。
山手線内で10分ほど待たされ、
そんな事故があったなんていうのをあまり気にもとめず、京浜東北線のホームに降りたんです。
そうしたら自分が乗るつもりの下り線ではなく、上り線の電車が止まってました。駅員さんがたくさんあわただしくブルーシートを処理しています。
ハッとしました。
そうだ 私も
あとほんのすこし
悲観 が 楽観よりも 超えていたら
私は あの
ブルーシートの
向こう側にいたかもしれない と
そんな言葉が
その時、強烈に全身を駆けて行きました。
ひと月前、ボンヤリと、冗談めいて
「誰かホームで背中を押してくれないか」
と実に他人都合な自殺願望を、冗談で、いだいていました。
私なんかが、京浜東北線という特急も特快もない電車に飛び込んでしまう(あるいはただの事故だったかもしれませんが)ほどの絶望なんて知りえるはずもありませんが、
でも、少しだけなら、理解できそうな気はするのです。
優良企業について一部の成功した人たちにサービスを提供する自分を想像して、なんだか嫌になりました。私は、むしろ、1秒後の死を厭わないような人たちの隣にいたいのです。
実に周りに流されやすい精神なので、自分の目的を見失いかけました。
ああでもやっぱり、描くしかないんだな、と思いました。
自分が傍についていくことはほとんどできません。
けれど、作品を通してすこしでも・・というのは望めないことでもありません。
そこに
カタルシスが望めるというのなら
わたしはこの
ペンを持つことを
やめたくはない
とはいえやっぱりお金がないので、
就職する気は満々なんですが。
あれ、就職しちゃったら漫画なんて描いてらんないんじゃないの?
と危惧しましたが
実際今までやってきた生活のほうが実に大変でした。
だから働きながら漫画描く方がむしろずっと楽・・ということに気づいたので
まぁ、大丈夫、でしょう。週休2日あるしね!定時で終わるしね!
漫画描きが軌道にのったら仕事やめればいいだけの話ですし。
ああ どうにかなってる。
ってまだ選考もしてないんですけどね。
今日派遣会社にいって説明聞いてそのまま登録・・みたいなつもりが、
なにやら新卒の就職活動中の学生あつかいになっており、
普通にバイトじゃなくて、仕事をあっせんされる。
そして普通にいいところだったので、
ちょっと応募してみることになりました。
私があっせんされたのは、某旅行会社で、今伸びてきている会社らしく、株を見てみたらホントえらいことになってました。。この不況に・・。そんなところ。
仕事はWEBデザイナーです。
契約社員で1年ごとの更新ですが、給料普通によろしい上に、ちゃんと週休2日あります。
応募せざるをえない。
まぁあっせんといっても、ちゃんと面接なんかもありますけど、
派遣会社の仲介でもらう話であってすでに相互の信頼があるので、結構いけるんじゃないですかねーどうですかねー
実は別にもう一つ出版社にエントリーすることができたので、そっちのほうとも兼ね合いをつけたいところでもあります。でもどのみち受かっても2011年からの仕事なので、この1年開いてしまうから契約社員でかえって好都合かなーなんとも思ったり。
1月前まではこの後一体どうしたらいいんだ・・と絶望してたりしてたんですが
ああ どうにでもなるんだな、 なんて帰りに思いました。
そんな矢先、
京浜東北線で帰ろうとして品川から乗り換えようとしたら
ちょうど、その京浜東北線が人身事故にあいました。
品川で。
山手線内で10分ほど待たされ、
そんな事故があったなんていうのをあまり気にもとめず、京浜東北線のホームに降りたんです。
そうしたら自分が乗るつもりの下り線ではなく、上り線の電車が止まってました。駅員さんがたくさんあわただしくブルーシートを処理しています。
ハッとしました。
そうだ 私も
あとほんのすこし
悲観 が 楽観よりも 超えていたら
私は あの
ブルーシートの
向こう側にいたかもしれない と
そんな言葉が
その時、強烈に全身を駆けて行きました。
ひと月前、ボンヤリと、冗談めいて
「誰かホームで背中を押してくれないか」
と実に他人都合な自殺願望を、冗談で、いだいていました。
私なんかが、京浜東北線という特急も特快もない電車に飛び込んでしまう(あるいはただの事故だったかもしれませんが)ほどの絶望なんて知りえるはずもありませんが、
でも、少しだけなら、理解できそうな気はするのです。
優良企業について一部の成功した人たちにサービスを提供する自分を想像して、なんだか嫌になりました。私は、むしろ、1秒後の死を厭わないような人たちの隣にいたいのです。
実に周りに流されやすい精神なので、自分の目的を見失いかけました。
ああでもやっぱり、描くしかないんだな、と思いました。
自分が傍についていくことはほとんどできません。
けれど、作品を通してすこしでも・・というのは望めないことでもありません。
そこに
カタルシスが望めるというのなら
わたしはこの
ペンを持つことを
やめたくはない
とはいえやっぱりお金がないので、
就職する気は満々なんですが。
あれ、就職しちゃったら漫画なんて描いてらんないんじゃないの?
と危惧しましたが
実際今までやってきた生活のほうが実に大変でした。
だから働きながら漫画描く方がむしろずっと楽・・ということに気づいたので
まぁ、大丈夫、でしょう。週休2日あるしね!定時で終わるしね!
漫画描きが軌道にのったら仕事やめればいいだけの話ですし。
ああ どうにかなってる。
ってまだ選考もしてないんですけどね。
追い出されてきました
昨日はサークルの追い出されコンパでした。
みんなで騒ぐのもこれで最後です。一応。別に卒業してから行っても全然問題ないけど・・
立つ鳥後を濁さず、って言うのでパッといなくなろうとおもいます。
まぁ来年度はちょっといるかも。花見とか
にしても結構楽しんだ4年間。なにも悔いなんてないれす。
学科は残念でしたが、サークルでは十分すぎるほど活動してました。
悔いがないから、あんまりさみしいなぁとは思ってないです。
案外旅立つ側ってさびしくないよね。置いていかれる側って心細いものなんだけど。
みんながんばれ。
コンパ中、最後にコメントをーって一人ずつ言ってくわけなんだけれども、
私は質疑応答はできるけど、プレゼン型の自分から何か言う側は非常に苦手でして、
しゃべりかけるのが苦手なんですよね、
だからなんかすごい適当なこといってた気がする。酒はいってたので。
なんかまぁ、最近はサークルの方針(?)が若干危ぶまれる声なんかも出てるんですけれども、
個人的にはそんなに気にすることもなくね?と思っています。
感情や体調にムラや波があるように、サークルもその年によって色々個性があります。
それに、今やネットを界して日本中のみならず世界中に簡単にアクセスできることになっているので、そのせいもあってか、より流行という波には敏感になりやすい、影響を受けやすい、みたいなところもあると思います。
けれど漫画研究部という名前と、今まで続けてきた伝統が崩されるものでもありません。
描くことには変わりがない。
サークル活動って、団体行動ですけど、
漫画をかくのもイラストをかくのも、個人行動です。
だから、この部は個人がしっかりしなければうまく運営できません。
個人として団体の責任をもつのです。
自分の力量をよく知り、
そしてとにかく、
自分がどういった立場にあるのか、
周りからどう思われているのか、
一切の自惚れをなくして、考えてみてください。
とくに、周囲から自分はどう思われているのか、を考えると、
逆に周囲のことも見えてくるので、他人の気持ちも見えてくるので、いいです。
じゃあみんなお元気で・・・うまくやってねー
みんなで騒ぐのもこれで最後です。一応。別に卒業してから行っても全然問題ないけど・・
立つ鳥後を濁さず、って言うのでパッといなくなろうとおもいます。
まぁ来年度はちょっといるかも。花見とか
にしても結構楽しんだ4年間。なにも悔いなんてないれす。
学科は残念でしたが、サークルでは十分すぎるほど活動してました。
悔いがないから、あんまりさみしいなぁとは思ってないです。
案外旅立つ側ってさびしくないよね。置いていかれる側って心細いものなんだけど。
みんながんばれ。
コンパ中、最後にコメントをーって一人ずつ言ってくわけなんだけれども、
私は質疑応答はできるけど、プレゼン型の自分から何か言う側は非常に苦手でして、
しゃべりかけるのが苦手なんですよね、
だからなんかすごい適当なこといってた気がする。酒はいってたので。
なんかまぁ、最近はサークルの方針(?)が若干危ぶまれる声なんかも出てるんですけれども、
個人的にはそんなに気にすることもなくね?と思っています。
感情や体調にムラや波があるように、サークルもその年によって色々個性があります。
それに、今やネットを界して日本中のみならず世界中に簡単にアクセスできることになっているので、そのせいもあってか、より流行という波には敏感になりやすい、影響を受けやすい、みたいなところもあると思います。
けれど漫画研究部という名前と、今まで続けてきた伝統が崩されるものでもありません。
描くことには変わりがない。
サークル活動って、団体行動ですけど、
漫画をかくのもイラストをかくのも、個人行動です。
だから、この部は個人がしっかりしなければうまく運営できません。
個人として団体の責任をもつのです。
自分の力量をよく知り、
そしてとにかく、
自分がどういった立場にあるのか、
周りからどう思われているのか、
一切の自惚れをなくして、考えてみてください。
とくに、周囲から自分はどう思われているのか、を考えると、
逆に周囲のことも見えてくるので、他人の気持ちも見えてくるので、いいです。
じゃあみんなお元気で・・・うまくやってねー
母と自分
卒業したら、実は奨学金の返済と年金の支払いをしなくてはいけない。4月から。
というのに職にありついていない。
しかもここ数カ月は卒業制作でバイトしなかった分、現金収入のかわりにカードで買い物を済ませてしまっていた分だけ借金もあったりする。
これらを合わせると、4月から月に5万程度は支払う計算になる。アルバイトだけで。
・・・どうにかならないでもない額ではある。しかしマジで頭がいたい。
こんなくだりの話を母にしたら、それまで穏やかだった態度を180度変えて、
「はぁ?そんなんじゃ食費の少しも入れてもらえないじゃない」
という捨てゼリフをはかれた。
私にとって、母親というものほど恐ろしい存在は他にない。
今まで本当に色々な人に接してきたし、いわゆる目上の人にいたっても学校の先生から、先輩、バイト先の上司、先輩にあたるオバサンやオジサン、あとお客さんとか、とにかく色々いる。そしていろんな人に怒られたり怒鳴られたりした記憶もたくさんある。
ちなみに自分は普段はヘラヘラしているくせに、地は非常に臆病であるから、怒られるとなると身がすくんでしまい、どんなに自分に非がなくともとりあえず謝 ることに徹する。ヘタに言い返したところで疲弊する一方なのは変わらない。だからひたすらその場が収まることだけ考える。でもまだ、こういう人たちは、立 場としてのわきまえや、他人としてのボーダーラインがある。そして場所に由来するので、学校や職場を離れてしまえば、もう影響されることもない。
しかし、母親は違う。彼女は私の生い立ちを知り、そして家にいる。私には逃げる言い訳も逃げる場所もない。それを知ってなお、彼女は追いうちをかけてくる。私のたった22年の生涯のうちの、節目節目に彼女は暗い影を落とす一言をもたらしている。
彼女は私が大卒という学歴をもってしていい会社に就職できるよう、という具合に大学に入れた。私としては日本画などの絵画を専攻したかったが、「就職先は どうするの」という質問に答えられなかったので建築に変えた。しかし結局、建築という部門は元々平面に傾倒している私の脳とはまったく性にあわずに終わっ た。一応学歴的には一軒家を建てるぐらいの能力はあるはずなのだが、私が家を建てたらいけないと自分で思う。
母は私が漫画を描いていることが気 に食わない。最近はそれなりに画力もついたので、それだけはしぶしぶ認めてくれる。しかし読みもしないのにとりあえず全否定する。まぁ読んでもらっても困 るような気もするけど・・。去年の4月に投稿しようとしていたものを、苦渋の選択で次の賞に繰り越した時、彼女はうれしそうにしていた。本人はそのつもり はないし、全く自覚していないのだろうが、彼女は私が思い通りの行動をなさないとき・・・つまりこの場合だと漫画を描いている状態にあたるが、それが失敗 するとどこか嬉しそうだ。そうして疲弊した私の精神にさらに傷をつけるべく、追いうちをかける一言をくれる。それ以降も以前も、私は小さな挫折をしきりに 繰り返しているわけだが、だいたいいつもそんな具合だ。彼女に自覚はない。
この間卒業式に着る袴を借りにいった時のこと。私と母の好みは違うの で、私が好きに選ぶとどうしても母の好きになれないものになる。とはいえ卒業式は私のものである。私の好きにするべきである。一緒に父もそのときいた。最 終的に選んだデザインは、私と父が合意したもので、母は気に入らなかったようだ。で、その帰りだ。袴を借りたはいいものの、卒業式当日の着替えが手間取り そうだ、ということになった。学校が遠いので時間の都合が悪いのだ。そんなくだりの話をしていると、母はぼそっと「ならいっそ洋服でいいじゃないの」と一 言いった。冗談めいて彼女は笑う。しかし父と私はまったく返す言葉がなかった。たぶん母の癖を父もわかっているのだろう。母は気付いていないが、あの時確 かにその場の空気は凍りついた。
こんなことばっかり書いていると、よっぽど母子の仲が悪いようにみえるかもしれないが、そうでもない。なぜなら すべて私が妥協するからだ。どんなに暗い記憶が根ざしていても、私はそれを水に流すことを心得ている。母はたまに思い出して今更のことを言ったりする。年 のせいもあるかもしれないが、昔のことを今更持ち出されても困る。
まぁこういった事実はどうであれ、血縁は覆せない。母は母である。私を育ててくれた恩もあるから、きちんと返したいと思っている。しかしその都度そんなささやかな希望が裏返される。
彼女は、私の幸せを願って私をみているのか、
それとも私が彼女にもたらす幸せを望んで私をみているのか
もちろん前者を信じたい。
しかし・・・
しかし・・・・・・・・・・・
母さん・・・・・・・・・・・・・・・・
というのに職にありついていない。
しかもここ数カ月は卒業制作でバイトしなかった分、現金収入のかわりにカードで買い物を済ませてしまっていた分だけ借金もあったりする。
これらを合わせると、4月から月に5万程度は支払う計算になる。アルバイトだけで。
・・・どうにかならないでもない額ではある。しかしマジで頭がいたい。
こんなくだりの話を母にしたら、それまで穏やかだった態度を180度変えて、
「はぁ?そんなんじゃ食費の少しも入れてもらえないじゃない」
という捨てゼリフをはかれた。
私にとって、母親というものほど恐ろしい存在は他にない。
今まで本当に色々な人に接してきたし、いわゆる目上の人にいたっても学校の先生から、先輩、バイト先の上司、先輩にあたるオバサンやオジサン、あとお客さんとか、とにかく色々いる。そしていろんな人に怒られたり怒鳴られたりした記憶もたくさんある。
ちなみに自分は普段はヘラヘラしているくせに、地は非常に臆病であるから、怒られるとなると身がすくんでしまい、どんなに自分に非がなくともとりあえず謝 ることに徹する。ヘタに言い返したところで疲弊する一方なのは変わらない。だからひたすらその場が収まることだけ考える。でもまだ、こういう人たちは、立 場としてのわきまえや、他人としてのボーダーラインがある。そして場所に由来するので、学校や職場を離れてしまえば、もう影響されることもない。
しかし、母親は違う。彼女は私の生い立ちを知り、そして家にいる。私には逃げる言い訳も逃げる場所もない。それを知ってなお、彼女は追いうちをかけてくる。私のたった22年の生涯のうちの、節目節目に彼女は暗い影を落とす一言をもたらしている。
彼女は私が大卒という学歴をもってしていい会社に就職できるよう、という具合に大学に入れた。私としては日本画などの絵画を専攻したかったが、「就職先は どうするの」という質問に答えられなかったので建築に変えた。しかし結局、建築という部門は元々平面に傾倒している私の脳とはまったく性にあわずに終わっ た。一応学歴的には一軒家を建てるぐらいの能力はあるはずなのだが、私が家を建てたらいけないと自分で思う。
母は私が漫画を描いていることが気 に食わない。最近はそれなりに画力もついたので、それだけはしぶしぶ認めてくれる。しかし読みもしないのにとりあえず全否定する。まぁ読んでもらっても困 るような気もするけど・・。去年の4月に投稿しようとしていたものを、苦渋の選択で次の賞に繰り越した時、彼女はうれしそうにしていた。本人はそのつもり はないし、全く自覚していないのだろうが、彼女は私が思い通りの行動をなさないとき・・・つまりこの場合だと漫画を描いている状態にあたるが、それが失敗 するとどこか嬉しそうだ。そうして疲弊した私の精神にさらに傷をつけるべく、追いうちをかける一言をくれる。それ以降も以前も、私は小さな挫折をしきりに 繰り返しているわけだが、だいたいいつもそんな具合だ。彼女に自覚はない。
この間卒業式に着る袴を借りにいった時のこと。私と母の好みは違うの で、私が好きに選ぶとどうしても母の好きになれないものになる。とはいえ卒業式は私のものである。私の好きにするべきである。一緒に父もそのときいた。最 終的に選んだデザインは、私と父が合意したもので、母は気に入らなかったようだ。で、その帰りだ。袴を借りたはいいものの、卒業式当日の着替えが手間取り そうだ、ということになった。学校が遠いので時間の都合が悪いのだ。そんなくだりの話をしていると、母はぼそっと「ならいっそ洋服でいいじゃないの」と一 言いった。冗談めいて彼女は笑う。しかし父と私はまったく返す言葉がなかった。たぶん母の癖を父もわかっているのだろう。母は気付いていないが、あの時確 かにその場の空気は凍りついた。
こんなことばっかり書いていると、よっぽど母子の仲が悪いようにみえるかもしれないが、そうでもない。なぜなら すべて私が妥協するからだ。どんなに暗い記憶が根ざしていても、私はそれを水に流すことを心得ている。母はたまに思い出して今更のことを言ったりする。年 のせいもあるかもしれないが、昔のことを今更持ち出されても困る。
まぁこういった事実はどうであれ、血縁は覆せない。母は母である。私を育ててくれた恩もあるから、きちんと返したいと思っている。しかしその都度そんなささやかな希望が裏返される。
彼女は、私の幸せを願って私をみているのか、
それとも私が彼女にもたらす幸せを望んで私をみているのか
もちろん前者を信じたい。
しかし・・・
しかし・・・・・・・・・・・
母さん・・・・・・・・・・・・・・・・