皆様
いつも
お読みくださり
ありがとうございます
美美です
3/31
かねてから
記録のように
書かせていただいた
父が
永眠いたしました
いまだに信じられません
病院次いつだったかな
あけておかないと
とか
ふと反射的に
思い
あ、違うかった
もう父は、いないんだ
とか
家で1ヶ月以上
介護?してましたが
(全然長くないけど
おそらく不慣れなままでした)
思うのです。
ちなみに
何かの記事で
お金がないから
家で見ざるおえなくて
老老介護で
大変な方が多いと
読みました
うちは
そういうわけではなく
父の強い希望(家にいたい)と
母姉が
バッチリ家で看取る
と決めていたためでした
なかなかできることでは
なかったです
訪問看護や
往診に来てくださる
先生など
様々な方に
助けていただきました
初めてのことだらけで
色々ありましたが
無事に
3/31は朝から
私は
仕事を休み
ずーっと一緒にいれたので
それまでの
膵臓癌がわかりかけてからの
一年と数ヶ月。
そちらに
体を空けて
できるだけのことは
したかったので
未熟ですが
サポートして
お父さんの
力になれたり
母のケア?ができたり
何か助けに
なれたなら
ほんとによかったです
また、
そのうち
書けたらいいな
思うのは
赤ちゃんや
若い人
はたまた85歳まで
亡くなることがあり
見てきましたが
父は76歳
明記は77歳でした
が
いくつでも
きっと
どんなお別れでも
父という存在は
やはり特別で
さみしい
悲しい
でも
新たなる旅立ちでもあり
あの世に還ること
この世の卒業
なのだと思います
みんな
ほんとうに
頑張った1年間でした。
甥っ子や
私の旦那さんも
母や姉も
わたしも
なによりも
父は。
ほんとうに
なんで?
膵臓癌てなんで、、
と
何回思ったかわからないけれど
できることを
一生懸命わたしなりに
協力をしてみたら
父は
なんと
痛みが最後まで
膵臓癌のは、
出なかった
症状も
ずーっと出なくて
今年に
腸閉塞になって
18日間も
絶食
絶飲
で
治らず
人口肛門の手術で。
ガクンときながら
退院日2/15は
まだ歩けていた
しかし
家に帰ってから🥲🥹
どんどん
あらわれてきて
それでも
3/14あたりまでは
トイレまでひとり歩いてた
信じられないことらしい
しかも76歳で、、。
3/15.16あたりからは
ついに
足が動かなくなり
寝たきりになり
それで3/31に
さよならをしたので
歩けなくなった期間は
2週間ちょいだったなんて
すごすぎやー


ありがとう父
大好きだよ父❤️
今はどこにいるのかな
電話できたらいいのにな
^_^