リレー小説 | Papytat~東京農工大学生協読書部~

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新人のくせに数年前からいるかのごとき態度のイワサキです。なんか今日の会議でリレー小説を展開するという謎の展開になったため一番槍を務めさせていただきます。
しかしこの物語はイワサキが発案6時間、執筆2時間(今から)で作るもののため過度な期待をしないでください。誤字、脱字、矛盾、超展開などがあってもそれはきっと気のせいです。ご意見、ご批判がありましたら胸の内にとどめておいてください。ちなみに虎のあの人は出てきません。

OKURI BEAT 坊主の刻む鎮魂歌
イントロ
 「それでは失礼いたします。」一通りの法務を終え、私は檀家の玄関をくぐりそこを後にした。私の家は代々阪南市にある岩転寺という小さな寺の住職を務めており、私は8代目にあたる。住職などというと一般の方は禁欲的な生活を送っている人格者なのであろうとお考えになるかもしれないが、最近の聖職界も現代生活への帰属が激しくなり、住職といえど一般人とほぼ同じ生活をしていると言っていい。現に私自身結婚して子供もいるし酒も飲めば煙草も呑む。世間ではやりの規制緩和というやつだろうか。まあそもそも8代目ということは私のご先祖様も当然結婚していたわけで、そういうこともしてきたからこその結果なのだろう。
 お盆の時期私たち坊主は檀家をまわって先祖の供養をさせていただく。今日も4軒の檀家をめぐりご供養を終えて寺へ帰っていると(寺は家でもあるのだが法務関係のときは寺の方がしっくりくる)、焼けたアスファルトの上にクマゼミが一匹転がっていた。こういうときにふとどうでもいいことを考えてしまう。彼のように私もいつか朽ちるであろう。今まで多くの死者を送り、さらに多くの遺族を見てきたが家族が死ぬというのは「大変な」ことなのである。もちろん「悲しい」ことでもある。しかし家族の一人が欠落したときにおこるその家での日常の変化というものは単に悲しいだけのものではなく大変なことなのである。稼ぎ手、家事をこなすもの、家族に笑顔をまきちらすものなど各人には役割があるものなのである。それが欠失するというのは人間で言うならば臓器が一つなくなるようなものなのである。もしも私がいなくなったらと思うと頭が痛くなる。もちろん私の役目は稼ぎ手であるが、たとえ私が急逝しても家族が暮らすのに十分な貯金と保険は用意してある。では私を悩ませるのは何かというと跡取りの問題である。
 ありがちな話ではあるが息子の剛志(たけし)も遅めの反抗期というやつで私がどんなに住職がやりがいのある(さらに言えば食いっぱぐれのない)職であると説教してもいつも「親父のような住職にはぜってえならねえ、頭おかしいんじゃねえの?」と暴言を吐く始末である。小学生のころの作文ではお父さんみたいな立派なお坊さんになってみんなを元気づけたいと言っていたのに何が原因でこんなに頑なになってしまったのだろうか。多くの寺では子が高校を卒業すると本格的に修行を開始する。しかし私は息子の知見を広げてやるために大学に行かせてやり、その代わり土日を利用して修行するようにしている。剛志の様子がおかしくなったのもちょうど大学入学以降であった。悪い友達でもできたのだろうか。いい機会だ、今日もう一度剛志と話をしてみよう。
 寺に着き、袈裟を脱いで部屋着になると家に帰ってきたと感じられる。のどがカラカラなので冷蔵庫から麦茶をとりだして飲む、妙にぬるい。ある程度落ち着くと一人居間で目を閉じ今日の自分の法務の反省などをする。もっといい説法ができたんじゃないか、読経のリズム、抑揚、音の高さなどに違和感はなかっただろうかなどとりとめもなく心配になってしまう。いかんなあ、うまくやりたいというのもまた煩悩である、私もまだまだ吾唯足るを知るの境地に達してはいない。しかし「足る」感覚を得るためというのもまた修行なので経を上げるために本堂へ行くことにする。
 仏前に正座するとやはり自然と落ち着いた緊張感が生じる。息子のことや自分の命のことすら小さなことのように感じられる。木魚と鈴の位置を調整し経文を開き、準備を終えると一度呼吸を整える。自然と撥(バチ)に手が伸びそのままの勢いで木魚を叩く。堂全体に一定のリズムが刻まれる。心地よい8ビートだ。体も無意識にその甘美な拍子に合わせ揺れる。そして絶妙のタイミングで鈴を打つ。鈴独特の柔和で伸びのある響きがリズムに調和し静かに消えていく。まさに感極まったところで読経を開始する。今日あげてきたニルヴァーナのスメルズ・ライク・ティーン・スピリット風の読経の完成度を今一度確かめる。序盤の低音で抑揚の大きい部分は読経のリズムと非常にマッチしている。サビ部分の急にテンションが上がるところで檀家の方々が総立ちだったことを思い出し頬が緩んでしまう。高柳さんとこのおじいさんはヘドバンまでしていたがご先祖様に守られていつまでも健康でいられるというのはとてもありがたいことだなと感じてしまう。曲で言うと二番にさしかかったところでまだまだテクに荒さは残るが今日の読経やはり大成功だったなと思っていると急にBANG!と入口が開く音がしたので振り向くと、剛志がそこにいた。
「だから言ってんだろ、親父みたいな住職になりたくねえって!頭おかしいんじゃねえの!」