あゆみねこ、銃と薔薇の日々✨ -2ページ目
めちゃんこおひさです!
便りのないのはいい証拠?
あゆみねこ、まだ生きてます!
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わたし歳とってしまって、いろんな重圧に押し殺されそうです。
自由な身なんてなくて、見て見ぬふりできないことばかりなんですよ、そうできてるんです。

はて、その中でどう楽しむかですよね~、趣味、恋愛ウェルカムなんだけど、始めちゃうと逆にそれに首しめられちゃったりして…

なんかそこに人生の整合性を感じたりしますね…

でも、無気力無感動は憎むべき習性で、アクションリアクションを楽しんでいくほうを私はとります。

まあ、この一年マーブルチョコのようにめまぐるしい何やかやがあったんですがね、

それによって、しんどいこと嬉しいこと、悲しいこと泣きたいこと、心の底から笑ったこと…

いろんな色彩の中で過ごしたんです。

そして、わたしが今一番危うく思う感情は、

「虚無」です。

人生虚しいなんて思うのは100万年早いと、自分に言い聞かせています。

何回でも立ち上がるし、食ってかかるし(これはいらん?)
同じこと言うし…

それでもね、今シアワセなんですよ。

あと、もう少し!

シアワセは見えていても遠いのだ!

阪急梅田駅と一緒!!笑



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よく言われるがです。

「あゆみちゃん、自分が自分がやね~」

ええ、おっしゃるとおりやし、自分をアピールせんことには、ほにゃららって思ってましたから。

けんどなんか、ちがうかもね。

自分を、好きなことと、他人を愛せないのとは違うやんね。

39歳、この歳にして、ちょっと考え方を変えないかんかなというかんじになってます。

だからこそ、ある決断を今回したんだと思うし。

今までのわたしやったら正直ニートでもらいいやん!

とか思うわけです。

歳によらず、自立しちゅう奴はかっこえーっすよ。

17歳のわたしはどこに行ったがやろー。

守りに入りゆ自分が、うんとかっこわるい!!!



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自分のキャパというか、鍋の大きさって、先天的にもう決まってると思うんです。

満たない人は、無気力で日々を消化するだけなんだろうし、

溢れてる人は、パニックになったり、背伸びしたりして、心療内科の世話になるんだろうし。

悲しいかな、鍋の大きさは努力では変わらんみたいっす。

そこに表面張力いっぱい、きっちり合わしていける人が多分どの分野でも成功してると思う。

でも、無理したいんだよね~、これはもうビョーキ

言ってた、好きな先輩が。

「死ぬ前に10秒あればごめんなさいが言える」

いい言葉ですゎ。

死ぬ瞬間にそれ言われて許さん人がおるだろうか?

だからじゃないけど、最後に清算できるとしたら、今もうちょっと冒険してもいいと思う。

その先輩の言葉を聞いて考えたんだけど、死ぬ10分前に会いたいと思う人間がどれだけいるだろうか。

想像したときに、結構いることにホッとした。両手は超えてる。

だけど、もう一生会いたくない人たちもいて…

これは仕方ない。
聖人君子じゃないでしょ、みなさん。いろいろあるよね。

スケール…というのも変なんだけど、わたしはそういう究極のシュチュエーションじゃないと、ほんとの気持ちなんて分かりっこないと思う。

もっと書きたいことあるけど今は書けません。

いずれまた、です。



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