9月25日は、ピアニストのグレン・グールドが生まれた日(1932年)だが、文豪ウィリアム・フォークナーの誕生日でもある。哲学者サルトルが絶賛した「ヘミングウェイのライバル」である。
ウィリアム・カスバート・フォークナーは、1897年、米国ミシシッピ州のニュー・オールバニーで生まれた。父親は鉄道会社に勤めていた。ウィリアムが14歳のころ、一家はとなりの郡オクスフォードへ引っ越し、ここを終生のふるさととした。
勉強に興味がわかず、高校を中退したウィリアムは、文学青年の大学生たちと交際して 文学的教養を身につけていったが、20歳のころ、失恋したのをきっかけに、米国陸軍の航空隊に志願した。当時は第一次世界大戦中で、米国も参戦していたが、フォークナーは、きゃしゃで身長が低かったため、入隊できなかった。
そこで彼は英国人になりすまし、英国空軍に志願した。すると、こちらには合格した。が、戦場へ出る前に終戦となり、除隊となった。故郷へもどった彼は、しばらく英国軍将校の服を着て、杖をつき、負傷兵のまねをして歩いていたという。
22歳の年に、戦時の特別措置によってミシシッピ大学に入学。彼は大学の学生新聞に詩や小説を発表するようになった。が、やがて学生をやめて、書店や大学構内の郵便局で働きだした。そして27歳のとき、職務怠慢で郵便局をクビになった。
その後、彼は小説を書いては出版社に売り込みをかけ、29歳のころから作品が出版されるようになった。『サンクチュアリ』『八月の光』『アブサロム、アブサロム!』といった作品は、フランスの一部知識人のあいだでは評価されたが、本国では売れず、つぎつぎに絶版になった。彼は生活のため、ハリウッドに行って映画の脚本を書いた。
48歳のとき、絶版になっていたフォークナーの作品を集めて『ポータブル・フォークナー』というアンソロジーが編まれ出版された。
フォークナーは自分の故郷をモデルにして、ヨクナパトーファ郡という架空の土地を設定し、そこで展開されるさまざまな人間ドラマを、たくさんの小説群にして生みだしていった。その「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる一連の小説群が、このアンソロジーによって概観することができるようになり、再評価された。
1949年、52歳のときにノーベル文学賞受賞。
1962年7月、心臓発作のため、ミシシッピ州バイヘーリアで没した。64歳だった。
スティーブ・マックイーン主演の映画「華麗なる週末」の原作はフォークナーの小説「自動車泥棒」である。
フォークナーの経歴をながめると、興味深い人生だ、と感心する。気取り屋で根気が続かず、なにをやってもうまくいかなかったのが、物語を書くことだけは猛烈な情熱を注ぎ込むことができた。それだけは根気が続いた。しかし、それもぱっとせず、ついに日の目を見ずに終わりそうになったところ、アンソロジーによって再評価され、ノーベル賞をもらうことになった。自分が飽きないことに打ち込みつづけることは、大事である。
(2025年9月25日)
●おすすめの電子書籍!
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句2』(金原義明)
「八月の光」「ガリヴァ旅行記」から「ダ・ヴィンチ・コード」まで、名著の名フレーズを原文で読む新ブックガイド。第二弾!
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp