こちらは《後編》です
小学校3年生の時、富山県に父の仕事の都合で引っ越すことになったの。
初めての引っ越しとそれに伴う転校で、もう私は寂しいどころか浮かれまくり

引っ越しの準備で家じゅうがドタバタする中、ニャンコ

何か忙しそうですにゃぁ~~

って感じで隅の方でこっちの様子を見てたり、時には寄ってきて段ボールの中に入ろうとしたり

四六時中私たちの周りをウロウロしてたような気がする。
って、実はこの時のニャンコを忙しさのせいか余り覚えていない( ̄ー ̄;
ただ、何かいつも傍に居たような・・
特に意識してたわけじゃないけど、私はニャンコも一緒に連れて行くものと思ってたし、母も引っ越し先の大家さんに頼んでいたらしい。


どうしてこの言葉に素直に従ったものか・・

という母の言葉に私も特にコレと言った反抗心も無く従ってしまった


引っ越し当日のニャンコの記憶は無い。
ただ・・今になって当日、何時ものように家の入口でいつものように座って「旅行でもいくのかにゃ?」風に、大人しく見送ってたような気もするけど、それが当日の風景だったのか、それともその後作り上げてしまったものなのか分からない

とにかく、コレといって別れを惜しんだ記憶が無いのは確か!!
そして引っ越し先での日々にも特にニャンコを想い出して切なくなった記憶も無い。。
それから九か月後の8月の夏休みに、兄と私の2人で実家に遊びに来た時ニャンコは居なかった。
コレといった確信も無いくせに、何となく待ってる気がして一人居残った祖母に
ニャンコは


ってすぐに聞いてみたんだっっ
そしたら・・

あんたたちが帰って来たと思ったんだろうね、痩せてさすがに可哀そうに思ったわよ
その言葉を聞いた瞬間、胸のあたりがカーーーと熱くなって、家を飛び出し近所中を名前を呼びながら探しまくったの!!、もうそんなことしても見つからないってどこかで分かっていながら・・
たった一人居残ったのがよりによって大の猫嫌いの祖母

見れば熱湯をかけて追い払う祖母・・そんな祖母が到底エサなんてあげる訳がない

そんな祖母が
かわいそう
と思うのって・・一体どれだけ可哀そうな状態だったんだろう。。
本当は怒鳴ってやりたかった



そんなに可哀そうならなんでエサくらい上げてくれなかったの


ってね!!!
でも、祖母の強すぎる性格に怖くて何も言えなかったんだ

ニャンコがいつもご飯時になると座って待っていた窓の外の大きな敷石を見た。
その時初めて涙が出た・・
ニャンコ、ずっと待ってたんだ・・置き去りにしたんだ・・私
敷石に落ちた涙で石の色が段々黒ずんでいくのを、ぼやけた視界で暫く見続けていたのを今もリアルに覚えてる。
見殺しにしたのは祖母じゃ無い!私たちの方だっっ!!!私が見殺しに、置き去りにしたんだ。。
こんな事実にこの時まで何で全く気付かなかったんだろう?
富山に帰って、母にこのことを話したら
こんなことだったら大家さんに黙って連れてくるべきだった


と母が珍しく感情露わに後悔してたっけな・・だってさ、結局富山の家にもネコが居ついちゃってたしね。
昔から、「ネコは家に居つく」って言いますよね。
だから引っ越しで連れて行かない事も無理ないと・・そういう逃げ道に逃げ込んでたんだと思う。
でも、その「家」はデビルなばーさんしか居ないとしたら、やっぱり連れて行くべきだったと今は心から思う、たとえ大家さんを騙したとしてもね。(聞かれればダメと言うでしょうし)
あと二か月だった
あと二か月待ってくれれば会えたのにっっ
そうしたらお母さんに電話して状況を話せば連れ帰ることも出来た・・ううん、絶対そうしてた

どうしてあと二か月待っててくれなかったの・・
どこかでご飯は食べていたんだろう、隣の家の人もネコ好きで優しい人だからソコで貰ってたのかな


でも・・痩せていたって言う。
我が家へ来たとき、何歳かは分からないけど毛艶から毎年子猫を産んでたとはいえそんなに若猫って感じはしなかった。
祖母から聞いた時、直感でもうこの世にはいない気が実はしてた
エサもくれない、それどころか追っ払われるだけになった家に九か月も通い続けるニャンコは、ある意味一途で、ある意味ネコにしては要領の悪いネコちゃんだったんだろう・・
そんな子だけにやはり本気で悔やまれる


最期はどんな最期だったのか!?
野生さが微塵も感じられないネコちゃんだったけど、最期は一匹どこかで・・もしかしたら我が家の縁の下あたりで亡くなったのかな。。
それとも優しい誰かに看取られながら亡くなったのか


もう想像の世界でしかない
もし1匹で亡くなったとしたら、その時ニャンコは何を思ったんだろう
置き去りにした私たちを、人間っていう奴を恨んだろうか・・
せめて誰か優しい人に看取られながら亡くなってくれたら・・そんな甘い妄想につい縋ってしまう。
こんな想い出深い子なのに写真は1枚しか残ってない
※ 昭和感満載です(突っ込み厳禁よ

しかもピンボケかよ~~~ヽ(;´Д`)ノ
強すぎる記憶にしては余りに少ないし切ない

当時は今のように安易に写真なんて取れなかったにしても、少ないにも程があるわ


記憶という媒体に収めてはいるけど、年々この写真のようにピンボケって来てる。
姿形は細かいとこまで鮮やかにはもはや思い出せない。
思い出そうとも、もう遠すぎて想い出は・・記憶は曖昧に漠然とするばかり
でも、細かな姿は忘れたとしても、存在は決して忘れない・・映像に頼らない分だけよりいっそう鮮やかになるものだってある

未だにブチネコ

ニャンコ!?
って呼びかけてしまう私(ノ_-。)
愛するものたちとのお別れは悲しい。
悲しいけど、逝った状況が分かるだけまだ悲しさも安らぐ。
でも置き去りは・・どう安らげばいいのだろう・・
あんなに可愛がった子の、最期を看取れない置き去りの罪に苛まされもう二十年以上経つ。
さすがに年々後悔の鋭さの度は薄まっては来ていて
忘却は神様がくれた贈り物
そんな言葉を嬉しくも有難くも、そして哀しくも思う。
しかし!!罰が当たったのか

私が最後のネコよ~~

とニャンコのささやかな仕返しだろうか!?!?
上書きできないニャンコの記憶・・そんな記憶すらもう漠然として、遠すぎる記憶の彼方へ日々の出来事が押し流していく・・
たとえようもないほど昔の、もうぼんやりとしてる私の記憶とこの1枚の写真だけがその存在を証明するだけの、きっと誰もが持ちそして何処にでも居るそんなネコのちっぽけな物語。
そして虹の橋で私たちはまた再会する

何故かニャンコはやっぱり待っていてくれる気がするから・・その時はきっと情けをかけてアレルギー治してくれてるはずですよねっっ神様

今回は文字ばかり名上に、切ない話しでごめんなさい

改めて思い出したくなって書いてみました。
私の想い出に付き合って下さってありがとう・・

鳥さん話じゃ無かったですけど、動物つながりってコトで(^_-)☆

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