毎日がメンタルオナニー

毎日がメンタルオナニー

悩むとは、実はしたくてしてる暇つぶしという。
つまりは心の自慰行為、メンタルオナニーなのね!
という視点から自分の悩みやもやもやを俯瞰して楽しむブログです。

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続きです。

 

 

夫との連絡先交換。

そのきっかけは、職場の飲み会の幹事になったことでした。

 

 

お局看護師がさみしいから飲み会したい妖怪だったので、

何かと理由をつけては飲み会が開催されていた職場。

その時も歓迎会かなんかだった気がしますが飲み会開催の指令がでたため、

看護師からはわたし、介護士からは夫が選出されました。

 

 

「LINE教えてください」

 

 

そう伝えたところ、まさかのガラケー。

メールアドレスでの連絡先交換となりました。

そして紙切れに書かれた夫のアドレスがまたクセ強い!

 

 

雰囲気でいうなら、

『tenkabutsu-karori-zero』

みたいなかんじ。

 

 

なにこれーーーー!!!!

と面白がって即メール。

 

 

「いいでしょ?」と即レスあり。

 

 

その日からほぼ毎日。

面白画像を送りあったりなど、

どうでもいいラリーを繰り広げることになりました。

 

 

当時夫神はほとんど夜勤。

夕方から朝まで1人で20人近くの入居者をみなければならず、徘徊や頻コール、元気な夜間せん妄、合間のトイレ誘導や記録などなど、休憩も取れない上に気も抜けない勤務ばかりの日々でした。

 

 

そんな忙しい中でもくるメール。

元気だなあと感心しながらも、

わたしにとって毎日の楽しみになっていきました。

 

 

夫神はおねえさんだと思っていたはずなのに、

このころにはとっくに一人の男性として好きになっていました。

そしてきっと、彼もわたしに好意をもってくれているのだろうと思っていました。

 

 

そしてある日のこと。

他の数人の同僚から、突然衝撃の情報がやってきました。

 

 

「夫神さん、年上の彼女さんいるよ」

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・。

 

 

 

 

なんということでしょう。

ものすごくショックでしたが、なんとかその場を繕ったのを覚えています。

 

 

新しい恋にウッキウキだったわたしの心はまさに地獄へ急転直下。

盛大な勘違いをしていたみたい。

だれに恋を打ち明けたわけでもなかったけれど、

たまらなく恥ずかしい気持ちでした。

 

 

 

つづきます。

 

 

 

 

⑤の続きです。

 

 

 

夫神はわたしのことが好きらしい。

 

 

そう察してから夫神をみてみると、

もうそれはかわいそうなくらいのわかりやすさでした。

 

 

わたしの姿が見えると満面の笑みでジョジョポーズ。

話したくて仕方ない。

構いたくて仕方ない。

感情がだだもれの素直なおじさんなので、バレバレでした。

 

 

ある日施設の利用者さんから「彼氏いるの?」と聞かれたときにたまたま居合わせた夫神。

じわりとそばににじり寄って聞き耳を立てておりました。

 

 

わたしは、「いるよ」と返答。

夫神、かたまる。

わたし、「みんな知ってる人だよ」と、テレビを指さす。

そこには、大人気の芸人さん。

その芸人さんはわたしの脳内彼氏の1人。

大変な紆余曲折を経てようやく結ばれたばかりの脳内彼氏なので、ごまかしたり冗談を言っていたわけではないのですが。

 

 

夫神、「なーんだーーー。」とにっこにこの笑顔。

突然会話に入ってきて何を喜んでいるのかはたからみたら不明だろうけれど、

いろいろ察しているわたしからみたらなんともくすぐったい気持ちでした。

 

 

そして、そんなわかりやすい対応をされてしまうと、だんだんとその気になってきてしまうわけで。

 

 

それまでは脳内彼氏や脳内彼女と妄想でデートしたりイチャイチャしたりするのが楽しい日課だったのに、

頭に夫神がよぎってしまってデートもイチャイチャも楽しくない。

かといって夫神とのお付き合いを妄想してみるものの、

そもそもお姉さんだと思っていたものだからうまいこと妄想できない上に、

今まで付き合ったことがないタイプすぎて予測不可能。

 

 

その気になってきてしまうと、「勘違いかも」なんて今さらながらに悩んでしまったり。

だいたいなんで夫神が気になるかって言ったら、

どうやらわたしのことを好きっぽくみえてるからってだけであって、

彼のこういうところを見て好きになったのーというのはない。

 

 

しかもわたし、バツイチだし。

もう恋なんてしないって決めたし。

めんどくさいのはいやだし。

親とイヌ看取ったらさよならこの世をする予定だし。

 

 

また前の結婚みたいな思いするの、絶対嫌だ。

傷つきたくない。

 

 

それに、夫神との関係はただの職場の同僚。

他に接点はまるでなし。

しかも夫神はお局看護師のお気に入り。

個人的なつながりをもった瞬間、職場での安寧が一気に崩れる可能性もあり。

 

 

本当にいろんなことを毎日毎日たくさん悩みました。

メンタルオナニーなんて楽しめるような状況ではなくて、

悩みに流されてしまっていました。

 

 

 

気になる気持ちはもう消せない。

だけど、動くに動けない。

 

 

 

そんな状態が1か月程度続いたある日。

ついに連絡先を交換するきっかけが訪れたのです。

 

 

 

続きます。

 

 

 

 

 

 

今日初めて知ったんだけど、

 

 

わたし、2日に1回くらいは、

トイレ後流すの忘れているらしい。

 

 

 

なんか嫌な予感がして夫にきいてみたところ発覚。

めっちゃ恥ずかしい。

 

 

 

謎なんだけど、

わたしはトイレの後処理は完璧なんです!という

自身が満々も満々だったんだよね。

 

 

 

しかしふたを開けてみたら、

2日に1回も流し忘れているという。

 

 

 

そんな頻度、さぞ嫌だったろうと夫にきいたところ、

 

 

「いい気はしないけど、まあいいかと思ってた」

 

 

とのこと。

 

 

そこは言ってくれよーーーーーー!

とおもいつつ、

謎のトイレ後処理に絶対の自信ニキだったことをお伝えし、

二人で爆笑でした笑い泣き

 

 

 

夫には体も心もすべて見てもらおうと日々画策してはいたけれど、

まさかリアルな方の排泄物まで拝ませてしまっていたとは思わなんだ。

ごめんよ夫。

もう少し絞まりの締まった女性になれるように努力しようと思います。

 

 

 

しかし、なんというくだらない内容!

ああああ楽しいなあ照れ

 

 

 

 

昨日夫神と朝マックへ。

 

 

窓側に座った夫神の後ろには、大きなガラス窓。

 

 

晴れた北海道の冬空。

乾燥して澄んだ空気が高い高い空の青さをごんごん見せつけてくる。

真横か!ってくらいの角度から差し込む朝日の強いこと強いこと。

 

 

ナゲットにかじりつく夫神の頭頂部ごしにじっとそんな空を見て、

きれいだなー、気持ちいいなーと感じている自分に気が付いた。

 

 

「10年前は、きれいなものをきれいと思えなくなっていたな。」

 

 

そんな気持ちとともに。

 

 

昨日久しぶりに自分の過去のブログを読んでみて、元旦那が心に宿っていた。

だから、ふとした一瞬に過去の私が顔を出していて。

 

 

まだまだ痛む過去の引っ掛かり。

それを無意識に今味わって過ごしていたみたい。

 

 

そして、空。

 

 

10年前、わたしはよくあるきれいなものにまったく心が躍らなくなっていた。

もともとではなく、

心が鈍くなっていたかんじ。

 

 

花束をもらって、きれいとかまったく思うことなく、

「世話が必要なもの送るなんて迷惑でしかない」

と思った。

 

 

心、死んでましたわ。

 

 

でも今は。

 

 

お花はきれいで大好きだし、

花屋からなかなか出てこないくらいだし、

空見て気持ち良すぎて散歩中断したり、

夜空の星がきれいすぎて道で寝っ転がってたり、

木の音が素敵すぎて聞き入ったり、

土の感触が不思議すぎて夢中になったり、

 

 

日常にあるあたりまえの中にたくさんの感動を味わっちゃってるわたしがいる。

 

 

あのときのようにお金はない。

あのときのような社会的な信用もない。

あのときのような友人もいない。

あのときのように若くてかわいくもない。

あのときのように動ける体ではない。

あのときのような、人にいいなあといわれるようなものは何一つもっていない。

 

 

それでも。

 

 

それでも、

今のわたしは、

10年後のわたしは、

内側から豊かなわたしとして、今生きている。

 

 

あのときのようにではないけれど、

今なりにお金がある。

今なりに社会的信用がある。

今なりに友人がいる。

今なりにかわいらしい。

今なりに動ける体がある。

今なりに、わたしにはできることも持っているものも、ある。

 

 

過去。

元旦那との間で感じていた惨めな日々は、

看護師として精いっぱい日々を重ねた勲章のような日々と重なっていて、

大切でありながら、ひとかけらすら持っていたくないほどに苦しい記憶でもある。

捨てるに捨てられない、わたしの肉片だった。

 

 

だけど、なんかもういいね。

惨めだったかもしれない。

誇らしかったかもしれない。

だけどそれはそれ。

過去のシナリオ。

 

 

大好きな人と朝ご飯をマックで食べて、

見える景色に感動して、

ゆるゆるの身体で笑っている今この瞬間のわたしだけが、

すべてなんだ。

 

 

今見えている現実が途方もなくしあわせで、

それに気づいてようやく今、この場所に足がついた感覚。

やっと、ここまできたんだな。

そんなことを思った。

 

 

10年前のわたしへ。

10年後、びっくりするよ。

こんな人間になりたくない!と思っている人間になっています。

ものすごく役に立たないし、むしろ迷惑ばかりかけています。

仕事も全然続きません。

友人もいません。

お金も自分では管理できていません。

貯金もありません。

それでも。

それでも、絶対に手に入らないと思っているものが、日常にあふれかえっています。

手に入らないから欲しがりもしていなかったものが、降りまくっています。

泥水をかいて進むような大変な10年だけれど、

そのプロセスもなんだかんだ楽しんでるうちにすぎるような、

生きることがうっかり楽しくなるような、

そんな10年です。

10年前のわたしが持っていた価値観や人間性があってこその、気づきですべてです。

どうもありがとう。

はっきりと、今と境界線を引きました。

過去という肉片は生ごみに捨てました。

わたしは、今のわたしを生きます。

楽しみだなあ。

 

 

お空の美しさから、過去に境界線を引くに至った。

そんな朝マックでした。

 

 

 

新年ですね。

こんな季節の話から始めるなんて、わたしもなかなかいい仕上がりになっているではないか。

という自画自賛から今日のブログ。

 

 

 

今日は、

結果、とっくに全部バレてて、それ含めてとっくに愛されてた♡

と気づいた最近のお話です。

 

 

 

目の前の現実をどうみるか、どう感じるか、どう受け取って、どう行動するかとかって、

それは本当に人それぞれだし、自分のちょっとした気分や体調の違いでも変わってくるもの。

何がよくてこれが悪いとかそういうことではないにしろ、とらえ方によっては苦しくなったり苦しくさせてしまったり、

少し先の現実が雨模様になってしまうこともある。

 

どうせなら、少し先の自分にとって「気づいてよかった」って思えるようなとらえ方ができたら万々歳だよね。

 

 

 

宇宙人しっぽ宇宙人からだ宇宙人あたま虹

 

 

 

先日、ちょっとしたきっかけから夫神に聞いてみたこと。

「わたしって、何を大切に生きてるように見えてる?」

 

 

そして、返ってきたのがこちら。

 

 

「自分の趣(おもむき)」

 

 

????????????????????????????????

さっぱりわからず。

自分が気になってることが大事ってこと?と質問すると、少し考えて、

 

 

「俺のことやイヌのことを大事にしてるっていうのはあるんだけど、仕事とか、こう!ていうのができたらそっちに行っちゃうかんじ」

 

 

との追加説明をいただいた。

 

 

??????????????????????????????????????

ってくらい頭にハテナが浮かんではお祭り開催していたのだけれど、

ひとまずは、なるほどーありがとうーと受け取らせていただいた。

 

 

その時のわたしの体感は、

・胸のあたりがもやもや

・のどが絞まる感じ

・口をぎゅっとつむっている

・おなかの中で何かがぐるぐるまわって不快

という感じ。

感情的にはなんか怒ってるみたい。

 

 

ひとまずその感覚を味わいつつ。

 

 

わいてきた感情に意識を注いだ。

 

 

それは、「期待を裏切られた」。

 

 

その奥にあるには、

「わたしだったら」。

 

 

わたしだったら。

こういう質問がきたら、こう言う。

こう言ったら相手を喜ばせることができるから。

要は、

「質問の答えとして大切なのは相手を喜ばせる回答であることである」

という思い込みがあり、

それを夫神もやってくれるだろうと無意識に期待。

結果、予想外の回答。

ほしい言葉をもらえなかったことに勝手に「裏切られた!」感覚を覚え、

こう答えるべきという思い込みが果たされないことに「信じられない!」と怒り、

その体感をもやもやと認識という全貌。

 

 

勝手に期待して期待外れだと勝手に怒る。

加害者わたし、被害者わたしというまさにメンタルオナニーをしていた。

 

 

そう気づいたので、まずは意識の矛先を夫神から自分へ向ける。

わたしは勝手に期待していた。

その奥には、相手を喜ばせる人間であるべきだという思い込みがあった。

そこに見え隠れしているものは、媚び。

相手を喜ばせることができなければ存在する価値などない。

自分を戒める戒律。

それは、相手に嫌われないように、仲間外れにされないように、気持ちよくさせることができる役にたつ人間であろうとしてきた、

これまでのわたしの生き方だ。

自分を相手より下に置いてへりつくばって生きてきた、惨めオナニー満開のわたしの生き方だ。

 

 

認めるのに少し勇気が要ったものの、認めたくないわたしごと「こんなわたし在ったんだね」と和解。

そうまでして生きてきたわたし自身とマリアージュ(←言ってみたかった言葉w)

 

 

そして体感に意識を向けると、まだ胸とのどの感じが残っている。

この体感はわかってほしいとか伝えたいとかの時に感じやすい気がするので、夫神に伝えることにした。

 

 

夫神に質問したとき、無意識に期待していたみたいだということ。

だからこそ回答に対して少しびっくりしたこと。

こう答えるべきという思い込みがあったこと。

それに気づかせてくれたことがマジでうれしいということ。

 

 

胸をさすりながらたどたどしく伝える。

すると、言い終わるころには胸とのどの体感は消失。

かわりになんかうれしくなってきた。

 

 

感じるってすげええええとるんるんしていたら、第2弾。

夫神が言ってくれた、

「(私が大切にしているのは)自分の趣き。家族を大切にしてはいるけれど、こう!というものができたらそっちに意識が行っちゃうかんじ」

的な回答がずしん!と入ってきた。

 

 

夫神から見えている景色ってきっとこんな風。

・妻は自分を大切に思ってはいる。

・だけど興味や関心を強く引くものが現れたら自分は二の次。

・何か言ってもどうしようもない

・妻にとって最も大事なのは、自分の関心ごと

 

 

これって、けっこうひどいよね。

今はそばにいるけれど、いついなくなっちゃうかわからないみたいな危うさというか。

離れて行ってしまうかもしれないけれど、それを受け入れるしかないという諦めもあるかんじ。

 

 

それを認識しながらも、

今一緒にいる時間の中ではっきりと大切にしようと努力してくれてる。

いつもわたしを心に住まわせてくれている。

これって、あたりまえじゃない。

 

 

わたしは、こんな風に、誰かのことを大切にしてきただろうか。

大切だって言葉にしながら、行動をしてきただろうか。

口だけになっていなかっただろうか。

 

 

もしかしたら、一般的な方法で大切を表現していたかもしれないな。

わたしなりの大切をしていなかったかもしれないな。

わたしは夫とどんな夫婦でいたいかな。

どんな気持ちでともに過ごしていきたいのかな。

そのために、どんな大切を伝えていこうかな。

 

 

夫とこれからも楽しくしあわせに日々を過ごしたい。

改めてそう感じた、そんな夫とのお話タイムでした。

 

 

 

この夫とのやりとりでわたしが得たのは、

「どっからでもイチャイチャ問答にもっていけるスキルを持っているという気づき」

でした。

思ってることを話すって、

裸になるよりもずっと深く開くことのような気がする。

抵抗感も解放感もあらゆる感情も、濁流みたいにあふれでるかんじ。

 

 

今日もしあわせだ。

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



四年前の記事。


とにかく自分を実験対象のように
見つめまくっていた頃のブログ。


元ダンナの話がでてきます。


元ダンナとの生活は、
みたくなかったわたしの一面がどんどんあぶり出されるかのような、
コントロールの効かない激情に
嗚咽絶叫しながら生きていて、
まるで拷問か晒し者のような、
そんな時間だった。


そしてそれは、
元ダンナのせいではなく、
自分が創り出した現実なのだと、
奥底でなんとなくわかっていたからこそ、
余計に苦しくて苦しくてたまらなかった。



でもさ、
苦しかったのは、
彼奴もまた然りだったんだよね。
だれも悪くなかったんだよね。



そうやって少しずつ
元ダンナと
本当の意味で離婚をし始めた頃のブログです。



「離婚のさみしさのほとんどを担ってくれた。
彼なりの、愛で」(リブログ先より)



なんてようそんなこと言語化できたなーと
ホワンとしたので、
投下します☺︎






最近嬉しかったこと。



食後コーヒー飲もうと思って用意。
仏心で夫神に、
「コーヒー淹れようか?」
と聞いたら、



「いらない」



とぶっきらぼうにかつ仏頂面で、光の速さで言われた(淹れようか?にかぶる勢い)。



あまりのシャープさに一瞬びっくりしたんだけど、じんじわとなんとも嬉しくなった。



せっかく言ってくれたからと気をつかうでもなく、
仏心をひろってあげようという菩薩心でもなく、



『コーヒー飲みたい気分ではない』



という自分の気持ちを正直に伝えてくれたことに、
染み入るようなしあわせを感じた。



「要らないって言ってくれてすごく嬉しいわたしがいる。小さなことでも、気持ちを言ってもらえるって、こんなしあわせなんだね。」



そう伝えると、照れハニカミ中年神へと変貌。
かわいすぎるわ。



すごく身近な日常の中にある本音。
それをみせてもらえる今を、それをしあわせと感じられる今のわたしを、
たまらなく愛おしく感じた。



突然だけどちょっと小話。



元ダンナと離婚したあと、わたしは死ぬことを希望として生きていた。
それは離婚して辛いからとかではなくて、自己肯定感が低いところからくるある種の達成感のようなかんじ。



そもそも生きてるだけで公害級迷惑のわたしが、この年まで生かしてもらえて、イヌと暮らせていて、仕事頑張らせてもらえて、大切にしてくれる友人もいて、結婚も離婚も不妊治療も経験できて。
もう充分すぎるくらい、楽しませてもらった。
神さまに本当に感謝したいくらいだ。
だからもう頑張るのはやめよう。
生きようとするのは、やめよう。
親看取ってイヌ看取ったら、あとは自分の好きなように命を手放すことを自分にゆるそう。
だから、それまで、楽に自由に、生きていこう。



そんなかんじ。



だから、恋なんて、そんな大切な人を自分に与えるようなこと、絶対しないと決めていた。
また生きる理由ができちゃうから。
心にだれかを迎え入れるだなんてそんなこと、何があってもするつもりがなかった。



でも考えてみたら夫神と出会った頃、めっちゃ恋愛妄想してたんだよね。
気に入った芸能人はもちろんのこと、昔好きだった人だったりいろんな男女を脳内カモンしては楽しんでた。
札幌のデートスポット検索して、ここ連れてってもらおーラブてピックアップしてたり、
無駄にペアのお皿とか買ったり。



わたしはただ、もう一度、だれかと愛を交わすことが怖かった。
愛することが怖かった。



だけど、夫神を受け入れて、
嫌われる怖さを感じながら、それでも伝えてきいて話し合ってを重ねて経て得た今、



「コーヒー要らない」という夫神の本心を伝えてもらえたことに、
とても喜びを感じている。



勇気だして恋してよかった。
勇気だしてプロポーズしてよかった。
あの時のわたしも、今までのわたしも、今のわたしも、めっちゃグッジョブ!



という、とある日のわたしのしあわせ話でした。



長文読んでいただきありがとうございました😊




ひさびさにブログみたら、
昔のブログがあがってきた。


悩みはメンタルオナニー。
そう定義して、
悩む自分と共存していたころの
ブログです。


自分ながら、
この世界観大好きだなあ。







突然ですが、わたしはバツイチです。
26歳で初婚、32歳大厄で離婚しました。
なぜ離婚したのか。
それは、


元旦那いないほうが楽しいラブ
(だいぶオブラートに包んでおります)


そのことに気づいちゃったからです。
きっかけは心屋仁之助さんのなんかの本を読んだこと。

「価値は自分が決めていい」

的な文言読んで、自問してみたの。



「元旦那がわたしを愛してくれたら嬉しい?」
…。
心全く動かず。
「じゃあ、元旦那に愛されることは、わたしにとって価値あることかな?」
…。
心全く動かず。
「じゃあ、元旦那から愛されていないことで、わたしの価値は何か変わるかな?」
…。
…。
…、変わらないよ。
なんにも変わらないよ。
元旦那に愛されても愛されなくても、わたしの価値はなんにも変わらない。
だって、わたしはすでに多くのものを手に入れてる。
考えてみて。
元旦那を抜きにして、すでに持ってるものを思い浮かべてみて。



そんな感じでわたしの内側からきこえてきた声に従って、すでに今あるものを思い浮かべてみた。



両親、きょうだい、イヌ神さま、友だち、職場の仲間、看護、大切な人たち、大切な仕事。
わたしの手、顔、足、心、わたしというすべて。
今ここで生きているわたしという存在!


わたしはわたしですでに素晴らしい!
かけがえのない価値のある人間!
その証明が、
この身体の内側にも外側にも、
すでにたっぷりあった。



別の時にもっと話そうと思っているのだけど、
わたしの最初の結婚生活について。
一言でいうと、

惨め

だったの。
最初はよかったと思う。
でも早々に破綻してたんだよね。
気づいたときにはわたしはもう元旦那にとって、
「嫌いじゃないけど好きでもない(⇦実際に言われた)」相手だった。
こっちを見るのは怒るときくらいだった。
2人でいるのに1人よりさみしい。
一緒にいると悲しかった。
だからと言って元旦那が出掛けたりすると、嫉妬で気が狂いそうだった。
というか、狂ってた。
わたしはいつだって二の次三の次。
惨めで惨めでたまらなかった。


あくまでわたしがそう感じてたって話であって、
元旦那がどうこうということではない。
わたしが勝手に、惨めを6年くらい味わい続けてたんだよね。


そんな時に、本読んだの。
そしてパッカーーーンて気づいちゃった。


元旦那の愛があろうがなかろうが、わたしの価値にはなんの影響もない。
そもそも、元旦那はわたしにとって、とっくに存在価値がない。
つまり!
元旦那、超要らない!


それまで欲しくて欲しくてたまらなかった、金ピカの馬車に乗った王子様の愛。
ガラガラと音を立てて崩れた結果、残ったのはハリボテの車に乗ったただのオジさんだった。
手を差し伸べられるのを想像したら、嫌悪感しかわかなかった。


とは言いつつ、情もあったからね。
少しずつ、執着を剥がしていったの。
そうして本を読んで3ヶ月後、新居や仕事や家族とかあらゆる準備をした上で、
「別れたいの」
とお伝えして、離婚しました。


離婚を伝えてOKもらった瞬間ね、目の前がバラ色になったよ。
空気がキラキラしてて、世界はこんなに鮮やかなんだ!って思った。
生き返ったなあって。
すごくすごく嬉しかった。


そのあとはさらに引っ越したりとかいろいろありつつ、離婚して2年後に夫神と出会い、交際を経て再婚しました。


まあこんなかんじの初婚時代だったので、
夫神と出会ったときは、
結婚なんてコリゴリ!2度するか!
と思ってたし、
もう人に期待なんてしない!
わたしは親とイヌを看取ったら、この世とさよならするんだ!
と決めて余生気分で生きていたときでした。
それはそれで気軽で身軽で楽しかったなあ。



そんなわたしが、もう一度恋をしようと決めて、どうせならと本気で恋愛に取り組んで、今があります。
自分語り、まだまだ続きます18禁





前回の続きです。



それからは夫神と女友だちとして過ごしました。
連絡先の交換はしていなかったのでプライベートでの接触はなく、仕事中に目が合えばジョジョポーズで競ったりレディーストークをする程度。
深入りするつもりはありませんでした。
正直ギドラ相手では仕事がしにくかったので、セクシャリティがどうこうというよりは、職場の同僚として態度が軟化したのがありがたかった方が強かったのです。




後々夫神にきいたところ、➁で書いた飲み会の時にわたしが気になりだし、この頃にはもう好きだったとのこと。
わたしはそんな風に思われてるなど夢にも思わず、

「夫神には人知れず10年以上付き合っている男性がいて、その男性のもともとの恋愛対象は女性。
お互いずっと一緒にいたいと思ってはいるけれど、相手が親や子供をもつことに対して悩み始めていることに夫神は気づいていて、自分のしあわせと相手の気持ちの狭間で思い悩んでいるところ」

という謎の妄想をこっそりしていました。
こんな妄想して遊んではいるけれど、人には人の恋路があるように、夫神にも夫神にしかわからない恋愛事情があるのだということはわかっていたので、恋愛話をすることはありませんでした。




その均衡が崩れたのは突然でした。




ある日、夫神と女性スタッフとわたしの3人で仕事をしていました。
談笑しつつ業務を進め、ふとした隙間時間に夫神と2人になりました。
すると、さっきまでふざけて笑っていた夫神が急にモゴモゴ小声でなにかを言いだしました。
わたしは低い声がきこえずらいのでよーーく耳を傾けてきくと、


「豊平にさ、海鮮のおいしい居酒屋があるんだよねー…」


とおっしゃっておりました。
突然の態度変化に驚きつつも何言ってるかききとれたので、純度MAXの外面で、
「そうなんですねーニコニコ
と肯定的関心を寄せたところ、
モジモジと何か言いたげた表情の夫神。
どうしたんだろーと思いつつ、よくわからないけれど察して、
「みんなで行きます?」
ととりあえずお伝えした途端、パッおねがいと笑顔に。


「うん。行こう。」


とご機嫌に。
その時にふと思ったんです。



あれ、この人、わたしのこと好きなのかな。



根拠はないただの直感でした。
もともとエンパス強めなので多分そうなんだろうと思いはするものの…。



たしか、オネエさんだったはず…。



混乱しまくりでした。
そのあと、なんとなく仕事を進めながらキッチンスペースで洗い物をしていたら、夫神再登場。
まあ嬉しそうな顔しながら、


「絶対行こうね照れ


と言ってわたしにブドウを食べさせてるんるんで去って行きました。



ああこの人、わたしのこと好きなんだ。



そう確信しました。
顔に書いてあるってこういうことなんだってくらい好きが溢れちゃってて。
オネエさんだけど、同性もありなのかな。
もしかしてわたしが初の女性になるの?



とかいろいろ思いながら、その後の日々も夫神からの好きをびんびんに感じながら過ごしていました。 




続きます。