こんにちは。

前回の記事「地球の生命体は宇宙からやってきた?」(https://ameblo.jp/papasloth/entry-12702349137.html?frm_id=v.jpameblo&device_id=459762a7ec0e416c9cb037bcb6c44fad)の続編を、数日前に起きた京王線の事件にも最後に触れながら書いていきます。

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この世の仕組みには2つのシナリオがあります。

一つは、全てが偶発的な出来事で時系列がすすんでいるシナリオです。地球の誕生も人類の誕生も日本の誕生も世界大戦も全てが偶発的な要因と選択と確率で発生しております。

要は、いろんな要因により、たまたま今の様な世界になったというシナリオです。

仮に人類の誕生まで時間が戻ったとして、同じ歴史が繰り返される可能性はほぼ0であると思います。日本という集団・文化が再び誕生している可能性も0に等しいでしょう。

二つ目は、外部的な力により、未来が選択性のある方向に進んでいくトリガーとなる要因が設置され、そこから人類の選択によりリアルティショーが進んでいくといったシナリオです。

トリガーを分かりやすく例えれば、

・ニュートンの前でリンゴを落としてみよう。
・地球の大陸を5つに分けてみよう。
・経済の循環には炭素が欠かせないものとしてみよう。

などです。

リンゴが落ちた事でニュートンが万有引力を発見できた功績により、この世で発生する力や現象は全て数字で表せる事が分かりました。そして、その数字は今や世界で一番強い言語として、コンピュータサイエンスやAI、宇宙開発を飛躍的な進化に導いております。これはリアルティショーを進めていくにあたって、人類に数字や物理の魔物力を気付かせるためのトリガーであったことは間違いないでしょう。

また、日本という国もリアルティショーには欠かす事のできない唯一無二の存在になっている事でしょう。
国の全てが海に囲まれ、他の大陸から隔離された島国に、単一の民族のみを集めてみた場合、他の国々に比べて、どれだけの進化を見せてくれるのか?というのは、非常に面白い実験であると思います。その結果、世界で3番目の経済力を持つ国にまで成長できたので大したものです。
しかし、単一民族であるが故の負の側面がここにきて色々と露出してきております。
リアルティショーを放送している側からすれば、今後も日本は目を離せない展開が続いていくことになりそうです。



話を少し戻しますが、二つのシナリオの内、一つ目のシナリオが真であると考えている人の方が圧倒的に多数であると思います。
但し、本当に一つ目のシナリオが正しいという証拠が得られない以上、自分が存在しているこの世は偶然の産物で、既に出来上がった社会の常識内で毎日変わらない日々を淡々と生きていくより、この世は自分の選択で未来の方向性を変えていく事ができ、その為のトリガーはもしかしたら自分のすぐそばに仕掛けられているのかもしれないという意識で日々を過ごした方が、自分が理想とする未来を手に入れるためにも1秒1秒を大切に使えるのではないのでしょうか?と思います。

さて、このブログでは、ブログのタイトル如く、二つ目のシナリオが真であると仮定して、話をどんどんと進めさせて頂きます。

他の生命体が地球を舞台としたリアルティショーを放送しているとして、その目的が気になるところです。

このリアルティショーは単に娯楽で営利目的の放送番組なのでしょうか?
もしくは、他の生命体の文化では、既に営利なんていう概念は存在していなく、社会の永久化だけを重点とした実証実験なのでしょうか?

地球をコントロールしているぐらいなので、人類よりも知恵やテクノロジーが比較できない程進んでおり、より生物学的に適した文化形成をしている事は間違いないでしょうが、地球よりも発展した先の社会像が自分の想像できる範囲を超えてしまっており、その目的の真意が掴みづらいところであります。
社会の繁栄のためには経済の成長を第一とした資本主義が永遠に主流となるのでしょうか?


地球上では Society 1.0(狩猟社会)からこれから突入するSociety 5.0(サイバー空間との融合)まで、経済の成長を軸に歴史は進んできました。
そしてこのSociety 1.0から5.0までの過程は決して間違ってはいないと思います。生物が存続して繁栄するためには、最も理に適った過程であり、他の生命体も同じ過程を歩んでいったのだと思います。
今後の課題は、この先のSociety 6.0, 7.0ではどの様な社会が望ましいのかという点です。

今この地球では、これまでの人類史の歩みによる負の側面がいくつも存在します。
その中でも一際深刻なのが地球温暖化と格差問題でしょう。

地球温暖化に関しては、また次の記事で取り上げる事にして、今回は格差問題に関して取り上げたいと思います。

元から格差は至る所で発生しており、それを覆す歴史的なイベントが幾度も発生しておりました。
江戸時代の滅亡に繋がった幕藩体制、フランス革命へと繋がった王政制度、キング牧師が導いたcivil rights movement(公民権運動)に繋がった有色人種への差別など、歴史の教科書に載っている出来事のほぼ全てに、何かしらの格差から生じる不満が原因の根底にあったのではないかと思います。

そして歴史的な出来事が起こる都度、人類はより平等な方向に進もうと尽力してきました。
今の世の中、特に日本やアメリカなどでは、法の下では誰もが平等で、誰もが自由に生きられる権利を与えられております。

一方で、タリバンに支配されてしまったアフガニスタンなど、宗教上の要因による人権差別が残っている地域もあります。
この 宗教[思想]    対 法律[秩序]    というのも非常に面白いトピックでありますので、こちらもいずれかは取り上げたいと思いますが、ここでは一旦置いておきます。

さて、話を日本国内の格差問題、また先日の京王線の事件に移しますが、人権による格差は法律で是正できても、経済的な格差は今でも日本に残っております。

そもそも今の経済体制が自由資本主義であり、自由競争によって経済の成長を促している以上、格差が生じるのは当たり前の話です。

問題はあまりにも格差が開きすぎると、社会の秩序に歪みが生じ始め、暴力でしか表現できない怒りが生まれる事です。

映画 Joker(2019年)では、主人公アーサーがジョーカー(ピエロ)という殺人鬼に"堕ちる"までの物語が描かれています。
自身の社会的地位の低さから、「自分の存在は世界にとって必要が無いのではないか?」という絶望から徐々に狂気化していきます。
傍から見れば、彼は一般市民から犯罪者へと転落していますが、彼の中では、不必要な存在から殺人鬼へと"昇華"しております。

京王線の犯人もネットニュースなどの記事を見る限りでは、行為に至ったきっかけとして、自身の境遇をジョーカーに置き換えていたのは明らかだと思います。

映画では、社会全体が歪みきっており、ジョーカーの誕生に歓喜する市民が数多く存在しました。
今の日本はまだ社会の秩序が保たれており、京王線の事件に対する社会の反応は正常です。

しかし、現にアメリカで昨年発生したblack lives matter運動では、黒人差別や社会的格差に痺れをきらした国民が暴徒化する事件が多発しました。
ゴミ箱が燃やされ、警察車両が次々と放火され、洋服店や家電店では、窓が割られ商品が強奪され、アメリカの50州の内、30州で軍隊が送り込まれる事態にまで発展しました。
そして信じ難い事に、アメリカの民主党の一部では、暴動を起こしたい気持ちを理解を出来ると犯罪行為に寄り添う発言まで出ております。

確かにblack lives matterと京王線の事件では、事件が発生した背景や規模は全く違います。アメリカでも京王線の犯人は厳しい非難の対象となるでしょう。しかし、本来であれば、人類は徐々に暴力無くした平和な世界に向かっていくはずが、いつしか秩序を脅かす程の暴力までもが正当化される寸前にまできているように感じます。

世界の超富裕層26人が世界人口の半分の総資産と同額の富を独占しているこの超格差世界では
、至る所で地球の存続を脅かす大きな歪みが発生し始めています。
貧困で崩壊寸前の北朝鮮がジョーカーになり、核を発射してこない保証がどこにあるのでしょうか?

今回の京王線の事件やその少し前に起きた小田急線の刺傷事件を始め、日本でも社会の歪みの兆しが以前よりも顕著に現れていると思います。

果たしてSociety 6.0ではどの様な社会を目指すべきなのでしょうか?
我々が半沢直樹の展開に一喜一憂した様に、他の生命体も固唾を飲んで地球を見守っている事でしょう。