男は時計を見た。自分が「許されない存在」でなくなるまで、あと5時間というところであった。
男は真面目に生きていた。というのも、その真面目さは性根からくるものではなく、周りに言われるがまま生きてきただけであり、実際本人にはその言いつけが何に由来しており、何の意味があるのかは全然わかっていなかった。周囲の友人達は言いつけなどどこ吹く風という態度で、それが少し羨ましくも感じていたが、とにかく、自分より長く生きている人々がいけないということはいけないのだろうと、日々行儀良く過ごしていた。
そんな日々が十九年続き、男は齢二十の誕生日を翌日に控えていた。
家から勤め先に向かう道の途中、男はふと考えた。自分は今まで周りの人達の言いつけを守って生きてきた。もちろんそれは社会で決められたものでもあるし、それを破ることは許されないことではある。何故なら未熟な人間では自身の行いに責任を持てないことが多く、禁じられている物の多くは、取り返しのつかない何かを起こすことに繋がるものや、或いは自分自身に直接悪影響を及ぼす物だ。しかし、このままで良いのだろうか。一度も言いつけも決まり事も破らず、定められた掟の範囲のみで生活してきた人間は正しいと言えるだろうか。悪行の一つもこなしてないのに、善行の意味が理解できるのだろうか。
暗い夜道を街灯が照らしている。男の進む道は、白色電灯で鮮明に照らされ、導線を引かれているようだった。
男は閃いた。自分が未熟であるとされる最後の日、言いつけを破ってみようと思いついた。そう決めた男の足取りは軽かった。
勤め先の店で働き終えたあと、男は煙草を一箱買った。
人目のつかない軒下に行き、男は煙草を口に咥え恐る恐る火をつけた。すっと吸い込むと、チリチリと先端が焦げていき、口内に煙の香りが広がった。それを吐き出し、今度は深く吸い込んでみた。すると喉が痺れるような感覚がして、たまらず咳き込んでしまった。
むせながら根本まで吸いきり、それをスタンド灰皿に捨てると、男は家路についた。
結局、これが禁じられている意味は理解できなかった。体には悪影響なのだろうが、少量であれば問題ないだろうと思った。
男は上機嫌になり、達成感を感じながら軽やかに歩いていると、はっとした。何故これが禁じられているか、わかったからである。原因は、この達成感にあった。そして、今までの言いつけが無価値な虚像であったと気づいた。
帰り道にある電灯は消えており、目の前の道すら見えなくなっていた。しかし男は意に介さず、地面を一歩一歩力を込め、踏み締めながら歩いた。そしてもう一本煙草に火をつけ、それを咥えた。
紫煙が闇の中に溶けていった。