経済が社会を動かしてるということが根本的な問題である以上、
経済界に対してアピールするのは、当然のこと、
関西なら、関西経済連合会。
その関西経済連合会、いわゆる「関経連」が隠れみのにしているのが『関西広域連合』!

関経連は、ただの経済団体。
いくら市民が抗議や要請を行なっても
無視したり、あしらったりしてしまう。
でも、関西広域連合は違う。
これは、法律で認められた「自治体」だから
市民の声を「聞く」義務がある。
だから声を届けに行くべきです。

ということで、10月27日の学習会に参加します。
午前中というのが、なかなか厳しいですけどね。

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「週刊MDS」を読む会
  「原発再稼動を許した関西広域連合
    ~ 背景には関経連などグローバル資本の動き」
10月27日(土) 10時~12時
尼崎市女性センター・トレピエ 2階「学習室3」にて
(阪急武庫之荘駅南口からまっすぐ南へ240m)
(参加費) 200円
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$社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
反原発デモや抗議行動で集まったカンパ。
スタッフの交通費に使わないのはポリシーが徹底してるな、とTwitterに書いたら
違和感を覚えた人がいた様子。
せっかくの機会なので、少し展開してみよう。

まず、カンパについて。
カンパはその場で払いっきり。
領収書も無いし、配当も無い。
だから、「自分の払ったカンパをそんなことに使うなんて」と、
抗議するのは誤り。
気に入らないことが起こったら、当時の自分の判断を悔み、
「次からはもう払わないぞ」と拒否すればいいだけ。

次にカンパの使い道について。
私は、カンパで集まったお金を
スタッフの交通費や食費に使っても構わないと思っている。
もちろん、条件はいくつかある。
ひとつは、その人が自他共に認めるスタッフであること。
本番だけ現れる人とか、呼んでも無いのに毎回来る人ではダメ。
次に、その人の経済状況が芳しくなく、かつ、それが他のスタッフに周知されていること。
そこにお金があるから使うのではなく、お金が無いから使うのである。
つまり、そのイベントを成功させるためにはその人の力が必要で
でも、それを行うためには、その人にとって経済的負担がとても大きいという場合は、
いただいたカンパを、その人のために使ってもいいじゃないかということである。
なお、食費と書いたのは、イベント参加のために、
費用のかかる外食を強いられることを想定している。

この、スタッフの交通費や食費にカンパを使うということに、抵抗がある人は少なくないようだ。
では、以下に挙げる項目で、どれがOKで、どれが不可だろうか。
【反原発運動用の横断幕の購入費用】
これは、ほとんどの人がOKだと思う。
【その注文した横断幕の配達費用】
家まで商品を送ってもらえば送料が発生する。
これを購入代金の一部として、カンパから捻出することに異を唱える人も少ないと思う。
【注文した横断幕を受け取りに行く電車賃】
配達じゃなくて引き取りに行く場合もあると思う。
この時の電車賃、となると、
カンパから支払うことに抵抗を覚える人が増えてくるのではないだろうか。

しかし、この「送料」と「電車賃」、そんなに違うものだろうか?
違いは、主体が「商品」であるか「人間」であるか、である。
この「商品」と「人間」が交えるという点で、アクションの内容についての違いは無い。
にも関わらず、カンパ金に手を付けることに躊躇してしまう。
私はこれが不思議でならない。


少し話を変える。
色々な運動に参加していると、
自腹が暗黙の了解となっている場面に何度か出くわす。

街頭宣伝用のチラシで、印刷機で大量に刷った分については
団体の活動費から支払われるのに、
家のプリンターや、コンビニのコピー機で少量を印刷した分については
自腹が原則となっているケースは多いのではないだろうか。

大きな集会に行くと、大勢の顔なじみが参加しているが、
その内の何人かは、その団体の集会の常連であるが、
その交通費やチケット代が、特定の誰かによって毎回支払われているというのも
よくある話だと思う。

私は、これは問題だと思っている。
民主主義や共済組織を謳う団体であっても
一部の余裕のある人の支払い能力への依存が常態化していることがある。
この状態を続けられるのは、
この人が金持ちでいる間だけだ。
この人の金銭的余裕が無くなれば、当然、カバーできなくなるし、
この人の立場の跡を継いだ人が、同等の経済力を持っているとは限らない。
そうなると、世代交代をしたとたんに、運動がしぼんでしまう。

私は、こういった状態は、改められるべきだと思っている。

特定の誰かの「犠牲」が周囲から見えにくい状態になっている。
そうではなく、
皆のお金を、皆の同意を持って、必要な人のために使う。

これが当たり前になれば、お金のある人も無い人も
同じように運動に参加し、意見を述べることができる。
お金の無い人が、特定の個人に対して遠慮する必要も無くなる。
今は、たとえ市民運動の場であっても
お金の無い人が、お金の有る人と対等に行動することはできない。
その原因のひとつが、特定の個人のために
みんなから集めたお金を使うことへの抵抗感ではないだろうか。

市民運動を、自らの手で、小規模なものにしている。
そんなもったいないことはもうやめよう。
4月15日は、あっちこっちでジュゴンでトレインです。
http://blog.goo.ne.jp/sdcc/e/cd132bef0d81cbe7efbbf26adbea2345
私も何かやってみるつもり。

せっかくなので、
ポスター画像をネットプリントにアップロード。
有効期限は4月16日ですが、ご自由に利用ください。


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:42757DXF


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:YLYL3Y8Q


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:7UUDYBCD


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:BAM5M2HN


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:JMGP7XSS


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:UCHJJGMJ


社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:8Q5ZQD2B

社会人ってなにじん?  ――のもっちゃんの“一歩前”へ!――
プリント予約番号:NYMAMPE3

ネットプリントについては、
詳しくはこちらへ。
http://www.printing.ne.jp/
たまには実用的なことを。

FC2ブログに、バナーを貼る手順です。

1.画像を用意する
   ブログのサイド部のサイズに合わせて作成しましょう。
   横幅180ピクセルとか200ピクセルあたりだと思います。
   デザインは自由ですが、著作権には気をつけましょう。

2.画像をネットにアップする
   どこでもかまいませんが、通常はブログサービスの中にあると思います。

3.FC2ブログの管理画面に入る

4.メニューをたどる
   [環境設定・プラグインの設定]をクリック
    ↓
   一覧の中に[フリーエリア]の項目があるか確認。

   あれば、
   [フリーエリア・詳細]をクリック
   
   無ければ
   [PC用・公式プラグインの追加]をクリック
    ↓
   [拡張プラグイン・フリーエリア・追加]をクリック

5.項目設定
   [フリーエリアの内容]の欄に、以下をコピペする。

   <a href="リンク先アドレス" target="_blank"><img src="画像アドレス" border="0">
   ※ 上の「<」はエラー防止のため全角になっています。実際は半角で入力してください。

   リンク先アドレスは、バナーをクリックしたときのジャンプ先です。
   例: http://fryingdutchman.jp/parade/

   画像アドレスは、バナー画像のアドレスです。
   例: http://blog-imgs-48.fc2.com/s/a/y/sayogenkobe/humanerror180x200.jpg

   target="_blank" の部分は省略できます。
   省略すると、バナーをクリックした際に、「同一ウインドウで開く」になり、
   残しておくと、「別ウインドウで開く」になります。

6.終了
   [設定]をクリックして完了です。
   おつかれさまでした。

先日、私がMLに投稿した内容について
「その内容は、当TLに似つかわしくないのではないか」
という反応が出た。
その反応の理由は、
ML設立時に、以下の激しい議論があったから。
「新しいメンバーが気軽に入れるように、従来の運動の匂いがするものは避けよう。」

前半部分の趣旨はおおいに理解できる。
問題は後半。
規制による回避を選択していること。
規制、すなわちルールとは、
なんらかの関係で結ばれた同士でなければ機能しない。
つまり、ルールを徹底するということと、新人を広く受け入れるということは
そもそもの矛盾があるのである。

さて、このように、いくら心を広く持とうとしても
容姿、思考、宗教など、相手の言動から様々な要素の片鱗を見たとたんに
防御線をはってしまうというのは、なかなか避けられないことかと思う。

そういう人は、Twitterをやってみてほしい。
Twitterでは、顔写真も本名も伏せているのが普通。
プロフィールに趣味・興味を書いている人は多いけど、
信条・学歴・既婚歴などは分からないことがよくある。
性別や年齢すら分からないということもめずらしくない。

極端に言えば、日本語を使うことができるという以外、
まったく情報の無い相手と交流を行うのである。
この時、普段の自分が、いかに相手の情報を気にしながら
発言しているかを実感させられる。

慣れないうちは、
なんとか足りない情報を補おうと
いろいろな「読み」を働かせたり
「質問」を繰り出したりしてしまう。

でも、しばらくすると、そんなことも意味が無いことに気付く。
相手が年下の女性と分かっても、
それはそう偽っているだけかもしれない。
遠方にいる同世代の男性と思っていた人が
実は職場の上司かもしれない。

最終的には、そんな情報が無くても
人と人がコミュニケーションを行うことには
困らないという境地に達することができる。

この、現実ではありえない、強烈な違和感。
これを克服できた人はTwitterを楽しめるし、
克服できない人は無口になり、Twitterを止めることになる。

自分は本当に誰とでも分け隔てなく接することができるか。
Twitterは、それを確認してみるいい舞台になる。

ただし、その時も、相手は同じ時間に実在する人間だということを
決して忘れないように、気をつけて。