人生で最も愛した車は | パパネコのスポーツカーは楽し!

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車歴は26歳からの45年間で20台目。オートバイは引退。
自転車は1993年購入のビアンキ。乗馬もたまに。パラグライダーも経験。
乗物は全てがスポーツだ!
sportの語源「disport(気晴らし) = dis(離す)+ port(運ぶ)」
気持ちを別の所に運び去る、気持ちを解放する。

初めて買った車、HONDA 1300 Coupe 7 である。

HONDA1300COUPE 
この写真はモデルカーのホンダ1300クーペです。


大学を出て、講師をしながら、まだ大学院生だったが結婚し、最初に「家具」として無理して買ったのが車だった。もちろん、新車を買う余裕は無かったので、上野の中古車街(1970年代は、上野にそういう所があった)に行って物色していたら、町で見かけて美しいと思っていた車に出くわしたのだった。それが、ホンダ1300クーペだった。5,6年落ちで25万円ほどだった。後で知ったのだが、これは本田宗一郎が空冷エンジンに固執して、意地で作った車だった。こんなに美しい車はないと思った。

この実車の写真はない。あの頃は、本当に家具も何も無いアパートで、それこそ南こうせつの「神田川」のような生活をしていた。アパートに風呂は無かったので、銭湯に通っていた。近くの砂利の空き地に駐車場を借りていた。大学と講師に行く中学、高校と予備校、塾と、このアパートの間をぐるぐると車で回っていた。休み毎に房総や奥多摩までドライブをしていた。

疲れることを知らない、エネルギーの塊だった。

けれども、車の方がくたびれてしまったらしい。
ある日の朝、その砂利の駐車場で車に乗り込み、「よっこらしょっ」と、シートの背面に寄りかかったら、・・・バターン、なんて背もたれが後ろに倒れてしまったのだった。

驚いて降りてよく調べたら、シート背面の鉄枠が床面に近いところで錆びて腐っており、
折れていた・・・

結局、この車は近くのホンダに引き取って貰い、それを下取りに新車の初代CVCC CIVIC1500GLを買うこととなった。

そのシビックは、日本列島いろんな所へのドライブに酷使したけれども、
ちっとも音を上げることはなかった。それでも、何も無いという感じの「つまらなさ」の方が印象に残っている。

それで数年してから(1978~79年頃)、トヨタ カローラ・クーペ1600に買い換えることとなったのだった。

collora-coupe1600_wiki 
(写真はウィキペディアのカローラ・レビンより。私が購入したのはレビンではなく、GTだったと思う。)

カローラクーペは初めてのオートマで、エンジン音がまるで耕耘機のようだと思ったけれども、
その音がかえって味があり、飽きの来ないものだったから、乗っていて楽しかった。

それらの車たちと、若いがエネルギーの余りすぎた青春の蹉跌とが、思い出の中で
煮えたぎっている。


最近になって、ツインリンクもてぎにあるホンダ・コレクションホールでこの車を見た。今でもやはりホンダ車の中では美しいフォルムをしていると思った。

H1300C9 
HONDA 1300 COUPE 9

一般に、国産車はデザインがあまり上手とは言いがたいのだが、
本田宗一郎は絵心のある、デザイン力のある人物だったと思う。
晩年はシャガールにも会ったりして、いつもスケッチをして絵を描いていたと伝記にある。

国産車、ホンダでは、この1300クーペと、S800、初代シビックだけは、デザインが良かったと思う。全て宗一郎本人がかかわっているのだ。

CIVIC1500GL 
HONDA COLLECTION HALLにあるCIVIC1500GL
私が購入したのは、この型のブルー色で、ハンドルが木製であった。5速マニュアルのシフトノブも木製であった。