タイトルでテンペストは”ハッピーミディアム”と述べたのは、いろんな意味でバランスが良くて、その結果、人気の高いプロダクションになったのではないか、と思ったのです。
特に音楽。もともとトマス・アデスはリリカルな現代音楽を書く人という印象があるのですが、アバンギャルド過ぎる訳でもなく、かといって保守的すぎる訳でもなく、新旧、いろんな作曲技法が上手にミックスされた感じ。いろんな技法に通じていて、よく勉強している、頭のいい人なのでは、という印象を持ちました。
先輩の作品のお勉強も欠かせないのよ。
音を聞く限りでは、楽器編成といい、標準的なスコアの書き方だったのではと思います。
耳をすますと現代音楽の特徴とも言われる(いろんなスタイルが混在する”現在の”現代音楽を称するにはちと不適格な表現かもしれませんが)クラスターとかの不協和音は多用されていますが、ときどき三和音も使用され,おおこれはV-Iで、解決するのですかい、と思いきや、また不協和音に新たな展開をして行ったり、
ベルグやブリテンを彷彿とさせるようなオーケストレーションやハーモニーを聴いたかと思えば、冒頭の金管楽器の打楽器的な用法は、リヒャルト・シュトラウスのエレクトラのそれを思い出させたり、
地元のオペラ、メトの"エレクトラ”
指揮者は”クラシック界のお茶の水博士"こと、James Levine
楽器同士や、歌手同士による対位法的な響きもたくさんありましたが、意図的に、完全5度とか完全4度とかの連続技で、伝統的対位法では禁則にもなるようなことをいっぱいやっていて、それがなんともシュールな響きを出していました。彼がこれをやりはじめた最初のひとでは無いとは思いますが。
(デュエットって”ふつう”三度かユニゾンか、6度ですよね。ふつうの歌をそれらの五度やら四度やらのインターバルでハモったらさぞかし気持ち悪いことでしょう。)
現代音楽での対位法によく見られるやりかたかな、と思って聴いていました。
オペラ全体の音楽的構成は、今やオペラではとくにワグナーや後期ベルディ、シュトラウス以降、主流らしきthrough-composed(すみません、ぴたっとした日本語訳がみつからんのです)
これは、レシタティーブ(詠唱:台詞と歌の間の子みたいな部分)やアリア(いわゆる独立した歌)やデュエットなどのセクションの切れ目切れ目で、音楽が一時中断する事無くずーっと演奏しっぱなしです。オーケストラのみなさん、お疲れさまです。たいへんですね。とくに指揮者と弦セクションは。
それに対してほとんどのアリアやレシタティーブ、トリオなどのあいだに区切りや休符があり、それぞれの曲がはっきりわかるのがナンバーオペラと呼ばれています。もちろん、オーケストラのお休みもあります。ロッシーニや、モーツァルトのほとんどはこれですね。(例外もありますが)
さきほどうっかりthrough-composedが主流、と書いてしまいましたが、”現代の”現代音楽にはあらゆるスタイルが同時期に存在する、などといわれ、現代のオペラ作家でもナンバーオペラの構成で書いている人もおり、一概には言えません。
ちょっと前までは芸術音楽の世界では、12音技法で調性の無い音楽を書かなければ作曲家にあらず、という時代もあり、それはそれで調性があって伝統的な技法をつかって作曲したい人にはつらい時代もあったようです。
今はなんでもありですが、その分、いろんなスタイルを勉強した上で,自分のスタイルを身につけて行かなければならず、たいへんな部分もあります。
ちと脱線しましたが、言いたかったのは、トマス・アデスの今回のオペラが音楽の切れ目の無いthrough-composedにもかかわらず、(統一感のある音楽をつくるにはいいかもですが、へたするとだれたオペラになるんじゃないかと思います。構成力のみせどころ。)
詠唱やアリアの区分の名残がみられ、そういう意味でも、いろんな技法のほどよいブレンドがかんじられ、聴きやすいオペラになったのでは、ということです。めりはりがあるな、と思いました。
台本も、オペラとしては二時間ちょっとで長過ぎも短すぎもせず、比較的キャラが多いわりには筋もわかりやすく、まとまっていて、リブレットも良かったと思います。
(それでも、英語ネイティブからするといろいろつっこみどころもあったようですが。)
一般的には、リブレットがどんなにわるかろうが、音楽さえ良ければオペラは名作になる、みたいな意見もありますが、わたしはリブレットもすごく大切だと思います。重要度の割合で言えばやっぱり音楽でしょうけど。
ソースはわすれましたが、あのめろめろにうつくしい旋律、そうして劇的な音楽を書くラフマニノフのオペラがめったに上演される事がないのも、リブレットが悪かったからだとも言われています。
実は勉強不足で彼のオペラは聴いた事はないのですが、コーラルシンフォニー,"The Bells"の天国的うつくしさに触れると、それも本当かも、と思えてきます。(これだけすごい声楽曲が書けるのに、オペラがぱっとしなかったのは、なにか音楽以外のとこで原因があるんじゃーーと思ってしまいます。)