最近この話をする事が多いので、今日はまとめてみたいと思いました。あ、忙しくてブログどころじゃないけど生きてます。
さて、習い事をしてきた人に聞くと、過去の習い事は意味がなかったとか凄く嫌だったとか言いますよね(笑)
しかし日時を決めて何かを頑張る習慣は、たとえそれが身に付かなくても人間を大きく成長させてくれたでしょう。
うちの娘には、親が何かを選んでやらせるという事はしません。
なにかに出会って、それを自分からやろうと思わないと、やる意味が無いと俺は思うからです。
特に出会いは大切だと思います。
俺は格闘技に出会った時、既に30歳を過ぎてはいましたが、ようやく出会えたんだ・・・と思いました。俺の人生の、運命の出会いでした。
もし親にやらされていたら、果たしてそう思っていたでしょうか。
・・・それはわかりませんが、何かを一つやらせるという事は、こうした大事な出会いを一つ潰すという事になりかねないと思うのです。
では、話を大きくしてオリンピック選手やプロ選手などはどうかですが、物心つく前から親がやらせる事が多いと思います。将来、金メダルを取る事が幸せなのだと。
金メダルで人は果たして幸せになるのでしょうか。・・・それもわかりません。しかし、普通に生きてた方が良かったんじゃないか、という人もたまに見受けられますね。
結局なにが言いたいのかというと、たとえ親でも、ひとりの人間に課した不確定要素に責任は持てない、という事です。
幸せになれるのか分からない事に膨大な時間をかけさせ、なれなかった場合に子供に対してどう責任を取るのか・・・。やらされた事で挫折した場合、その感情はどこに向けられるのでしょうか。変な事件を起こさなければいいですね。
木の上に立って見ると書いて「親」ですが、可能性を狭める話ではないし、一蓮托生の覚悟と信頼関係があれば問題はない、と思うところもあります。まぁ全て結果論ですね。(ぉぃ)
俺は楽しくないと思う事なんてやめたらいい、という人間。
どんなにチャランポランでも、その日の飯が食えて、それに幸せを感じていれば別にいい訳だ。しかしそういう人間になれるのは、自分で決めて自分で歩いてきた人間だけ。もちろん全ての責任も自分ですが。
そんな俺の娘達は、勉強が好きみたいでテストも俺とは違って凄くいい点数です。というか、勉強は親が見てあげないとダメなんですね、知りませんでした(笑)
俺、家で一分も勉強したことないっすからね~。
ちなみに格闘技も実は頭のスポーツなのです。俺みたいなアホは強くなりません。しかし体で少しずつ覚える事もできるので、形だけは何とか成り立ってます。なんも考えなくても体が動くのが不思議ですね。もちろん楽しいから続けている。
・・・年末に出た試合ではムキムキにボコられましたけどね。(オチ)