偏見を持つことは人として最低、というのは

よく言われることだが、偏見がなければ

恋も花火も家政婦は見たも生まれなかった

のではないのでしょうか?

私自身は持っている偏見が多すぎて、

逆にその偏見がみんなを幸せにしているのでは?

という間違った思い込みを持つまでとなってます。


よく、というかほとんどの商品が

MADE IN CHINA

だったりしますが、

オレはこのメイド・イン・チャイナに対して

「こいつら絶対反日感情をたぎらせて

この商品を作ってる!」という偏見を抱いています。

もちろんそれは偏見にすぎないのですが。

他の国ならこんな感じです。


メイド・イン・ジャパン

「刑務所の囚人どもが罪を反省したふりして作ってる」


メイド・イン・USA

「ファックだのビッチだの言いながらガム噛んで作ってる」


メイド・イン・タイランド

「作ってる途中で性転換して、結果として男女共作に」


メイド・イン・コロンビア

「作り終わった瞬間、腕時計をはめてる方の腕を切り落とされた」


メイド・イン・スペイン

「天下りでやって来たマタドールたちが作ってる」


メイド・イン・ノルウェー

「母さんが夜なべして作ってる(白夜)」


メイド・イン・イタリア

「他の国の人達が一生懸命作った商品を、服にアイスクリーム

をつけるやり方で盗んでメイド・イン・イタリーと貼り付けた」


メイド・イン・キューバ

「すべての商品の仕上げはカストロ議長自ら最後の部品を組み込んで」