ふと思い立つことがあり、このブログを再開してみることにしたのだが、
かといって何か書きたいことがあるわけでもなく、決まったテーマで書くようなこともない。

人の幸せについて考えることがある。
人と人のコミュニケーションについて考えることがある。

馬が合って自然と快適なコミュニケーションをとれる相手なら問題はないけれど、
うまくいかない相手だとしても、
自分が相手を好きならば、自分の方こそが相手に合わせるように頑張りたいと思うけど、
そうじゃない人も世の中にはいるようで、
ある意味では、その利己的な考え方を羨ましく思う考え方でもあった。


頑張って合わせても結局スムーズなコミュニケーションをとれずに悲しむくらいなら、
最初から己を貫いて失敗して悲しんでいたほうが、いくらかはマシなようにも思える。


うまく合わない相手にある一定の好意があるとして、
でも、相手にこそ自分の望むように行動して欲しいと強く望みそれを現実の思いとして実行することができる性格というのは、
ある意味では非常に女性的だとも思える。

「合わせてくれたらいいな」と思うようなことがあっても、
思うだけで、実際には相手にはそんなことを希望しないというのが大多数だとは思うけど、
その女性的な振る舞いを羨ましく思うこともある。

別にこんなことを書きたいわけでもなく、
「元気かな」と思い浮かべる人が少なからずいて、
実際、自分にとって心から大切な人というのは両手の指で数えても余るくらいの少人数ではあるのだけど、
その人たちを「大切」と思うのは、
その人たちを慈しみたいとか、
その人たちの幸せのためにがんばりたいとか、
そういう気持ちももちろん含まれるのだけど、
基本的なのは、
「その人たちが大好きだからいてほしいの。大好きだからいてもらうために大事にするの」
みたいな、
かなり利己的な感情を背景にしているようにも思える。



利己的ではあるのだけど、
「好意を寄せる相手に、自分の望む行動を望み実行を強く願う」
という感覚とは、少し違う内容の利己的とも思えるけれども、
別にこんなことが書きたかったわけじゃない。



その現実の世界で、うまくやってくれているといいと思う。
もしかすると、片手でも余る程度の、
こんな時に思い浮かべる数少ない友人たちのこと。


パン屋大襲撃
チケットとれた~★

行けるといいんだけど…汗