僕はいったい何のために生まれてきたんだろう。
僕が死んだらどうなるんだろう。
きっと何も変わらない。
きっと何も残らない。
ほんの少しの人は悲しんでくれるかもしれない。
でも、世界は変わらず動き、地球は相変わらず周っているだろう。
僕が生まれた意味は、時の藻屑となって消えていくだろう。
僕が生まれた事実を未来に残すためには、どんな手段があるだろう。
一番現実的なのは子孫を残すこと。
それ以外のことで、物理的で且つ、目に見え、手で触れえ、温かみを感じ、五感をもって触れえ、残せる物証なんて、他に存在しないだろう。
5000年前の僕の先祖が、僕の体に遺伝子の欠片を残してきたように。
5000年後の未来に、僕の生きた事実を、少なくとも生態的に残せる手段は、それしかないだろう。
未来の世界の人に、生きた影響を残せる手段はそれしかないだろう。
僕はそう思っていた。
芸術はどうだろう。
美術、文芸、音楽、建築、工芸など。
レオナルド・ダ・ヴィンチが500年前に残してきた芸術品が、今も現代で息吹いて人々を感動させてるように。
ベートーヴェンが偉大なる第九を残してきたように、偉大なる感情を残してきたように。
科学や物理の理論や法則はどうだろう。
アインシュタインが相対性理論の足跡を残してきたように、ニュートンが万有引力の法則の足跡を残してきたように。
しかし、僕にはそういった大それたことはできない。
僕は何も残せない。
墓石でも残そうかな(笑)
祈ってくれる人がいるといいけど。
狭い日本の土地にお金をかけて墓をたてたところで、迷惑以外のなにものでもないかもな。
僕は陽の光の当たらない場所で生きて、誰にも気づかれずに死んでいくんだ。
そして、僕という存在は人の記憶と共に風化して、塵へとかえっていくんだ。
でも、僕はそれでいいんだ。
今を生きていければ、それでいいんだ。一生懸命にさえあれば。
何かに夢中になり、誰かを愛し、それだけでいい。
人に軽んじられ、蔑まれ、貧窮に苦しみ、病苦に苦しもうと、僕の中だけで僕が認める幸福であれば、それでいいんだ。
ささやかな自分と生活と、人を愛せたら。
陽の光の当たらない場所
多くの人がそこで生活している。
多くの人がそこで努力したり、苦労したり、苦痛にもがいたり、争ったり、失ったり、飢えたり、裏切られたり、虐待されたり、呪い、夢やぶれ、挫折したり、孤独にふるえ、恐怖にふるえ、病や痛みに苦しんだり、自暴自棄になったり、不条理に喘いだり、生活している。
誰に知られるわけでもなく。
何気ない日常の一幕が、毎日何気なく起こっている。
陽の光の当たらない場所で、一生懸命生きて苦しみ、一生を終えてしまった輝ける人たちだって、過去にもいっぱいいるんだと思う。
たとえ現在、陽の光の当たる場所にいる人であっても、やはり陽の光の当たらない場所で、変わらず毎日夢中になって努力してたりする。
あのイチロー選手だって、いつだって孤独に人一倍素振りをしているんだろうな。
苦痛のない努力など存在しない。
努力ってのはほとんどの場合「地味」だ。
努力ができる人は、みんな「地味」の味気ない味を知っている。
その地味な労苦を長く味わってきた人だけが、人生の中にある「熱」に触れえる瞬間がある。
僕には何もないし、何も残せないかもしれない。
でも僕はそんな自分を嫌いになりたくない。
たとえ誰に愛されなかったとしても、せめて自分だけでも、自分を認め愛せる人間になりたい。
僕の思う幸福な人の第一条件は、まず自分を認め愛すことができる人だと思うから。
だから誰もが、まず自分のエゴを直視、確認し、認め、許容することからはじめなければならないのではないか。
最終的には、おかれた環境や過去から目をそらさず、認め、許容しなければしょうがない。
自分のあらゆる面に、素直になれないといけない。
自分を愛せない人って、たくさんいると思う。
それって簡単なようで簡単じゃないことだと思うから。
だから世の中には不幸な人がいっぱいいる。
僕もそのうちの一人かもしれない。
自分を愛せない人が、本当の意味で他人を愛すことが可能なのだろうか。
自分を赦せない人が、真に他人を赦すことができるのだろうか。
自分に素直になれない人が、他人に素直になることができるのだろうか。
自分を愛せない色眼鏡で、他人を見ても本当に愛せるようになるのは難しいと思う。
根拠はないけど、経験的にそう思う。
自分のことが嫌いだと、何もかもが面白くないし、そのうち世界だって呪い憎むようになってしまう。
自分を愛せない人が、他人を愛すことができる時があったとしたら、それはその他人が自分自身の愛し方を教えてくれたからだと思う。
何かを愛せるようになりたい。
その瞬間、自分だって愛せるかもしれない。
それも可能かもしれない。
何かに夢中になりたい。
何かに夢中になれる人って輝いているし、その姿は幸福の条件の一つだと思う。
それが仕事だろうが、恋愛、家庭、趣味、交流、なんであってもいいと思う。
他人の目にはバカバカしく映ることであってもいい。
何物にも夢中になれないのは、不幸の始まりかもしれない。
夢中になれることを探せる心が必要だ。
夢に恋焦がれ、夢に殺され、夢に生かされる
ずっと暗闇の中であったとしても。
ただ光の射す方へ目指す虫けらであるなら、それでいい。
光の射す方へ目指し、心半ばに倒れ、孤独に死んでしまった虫けらが
やがて死骸が風化して、何もなくなって、何も残らなくても
その虫けらは光の射す方へと顔を向け、夢中になって羽ばたいて死んだんだ。
陽の光の当たる方へと夢中になりながら、そして死んだ。
それが不幸であると、誰に断じることができるだろうか。
たとえ、最期の時まで、陽の光の当たらない場所にあったとしても
たとえ、何一つ残せなかったとしても
その目は光にあふれ続けていたから。
あなたが教えてくれたこと




