訪問ありがとうございます、うさ子です
こちらのブログでは
スピリチュアルリーディングを得意とする
私の整体の師匠であるぱんだ先生との
やりとりをメインに投稿していきます。
本当は、もっとすごいんだけど、それですら鱗片です」
「全然わかりません!」
「楽しいよっていうのが一番わかりやすいかな…
真実より真理の方が楽しいんですよ
」
「確かに、シータヒーリングの創始者は真実を求めたら、大切な人たちの酷い隠し事が勝手にリーディングさせられて、一度人間を嫌いになったって書いてました。
シータヒーリングの教本では
「真実というものは真実そのものであり
人はただあるがままの存在なのだ」
とありますね。
真実も真理も英語だと“truth”なので、訳が曖昧でわかりませんけれど」
でも、人の数だけ真実があります。
人はだいたい一つの真実しか見ていません。
その人の真実というのが、それぞれの人の中に一つあります。
他人の真実が認められず、自分の真実を押し付けようとするのは、真理ではなく、真実の方です。
真理はもっと色んな角度から見れるけど、最終的な大元は一つです。
だいたい似たような結論になります。
「親の愛は偉大だ」は一つの真理なんですが、偉大さの定義が人によって違います。
この違いが真実です。
例えば「おいしいものを食べるって嬉しい」が真理だとすると、「何がおいしいか」は人によって異なるので真実です。
おいしいものが何かを話し出すと、人によって好みが違うので、揉める可能性があります。
ただし、本人がおいしいと思うものを食べると「嬉しい」のは共通していますね。
真理は対立しません。
感覚として共有できることが真理です」
そういえば、私のシータヒーリングのマスターが、真理は普遍的だけれど、真実は時代によって変わるって言ってました!
何だったかな?
ある時代は黒人を迫害するのが当たり前になっていて疑問にも思わなくて、それが真実だったけど、今の人から見たらそれは人種差別だって思うように変わったのも真実だ、って言ってたかな?
真理だと、人種の差はあれどそもそもみんな同じ人間、ってなるんですかね?
もっと真理の本流になると、違う言い回しがありそうですね。
でも、私の周りは「究極の真実を知りたい」という人ばかりですよ。
究極の真実=真理とは違うんでしょうか?」
真理というものはそれを追い求めようとするものにしか扉を開かない。
真理を探究しようとしない人の前にはどうやっても真理の扉は現れない。
しかし、生まれてくるときに真理の扉を開く鍵はみんな持ってくる、だそうですよ」
「結局わかりません」
「理解するには、もうちょっとかかりそうですね。
ちなみに、真理には波があって、引いている時は
真理の部屋が動いて、部屋から出されちゃってる感じです」
「引いていても、追いかければ入ることは可能なんですよね?」
「そうですね。
でも追いかけるにも、今は真理が遠いな、ってなりやすいです。
真理を追い求めない人には扉が開かれないので、このブログ読んでも、真理は残らないと思いますよ(笑)」
「うーん、とりあえず真理の方が楽しいってことですね
そうかぁ、真理を言ってる風の人でも、なんか違うなって私でも分かるのは、こちらの波動が下がるからですね。
波動が下がる時は、実は真理から程遠い人が攻撃してきてるって分かりますもん。
真理の話なら、こちらの波動に負の影響は及ぼさないどころか、波動が上がちゃうってことですもんね
」
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