高校中退者が塾長になった話。 -8ページ目

高校中退者が塾長になった話。

都内の私立高校を半年で中退し、その後10年のブランクを経て、高校卒業程度認定試験を取得。大学に進学。紆余曲折あり、塾長になった話。

本編の続き。


当時付き合っていた彼氏に、

生まれて初めて高校中退をバカにされ、

高校卒業程度認定試験を受けることを決めた。

中学時代、大した努力をしなくても、

英数国の点数は取れていた。

一方、理社は絶望的で、

1桁の点数しか取ったことがない。

そんな私が勉強をし直す決意をしたのは、

25歳の夏のことだった。


数学は少しずつ感覚を取り戻し、

因数分解を解くことが楽しかった。

生まれて初めて、

サイン、コサイン、タンジェントを学んだ。

(後に某県の人が「女性に三角関数は必要ない」と

差別発言をしたことが問題になっていたが、

私からしたら「もっと早く言ってくれれば

勉強せずに済んだのに」と心の底で思っていた。)


一方で、英語は、

文法はbe動詞からのやり直し。

単語はdog cat carといった

今では小学生でもわかるような

基礎中の基礎の単語から覚え直した。


英語と数学の個別指導を2ヶ月受け、

私は高卒認定専門の集団指導を

受けることとなった。


朝10:45から授業は始まる。

クラスメイトは、5人くらい。

高校を中退したばかりの15歳、

不登校を繰り返す高校生、

休学中の高校生など

バラエティに富んだクラスメイトばかりだった。


30代の女性が後から

クラスメイトの一員となった。

海外の学校に通った経験があり、

英語は堪能なものの、

他の科目はさっぱり。

医学部に行き、医者になろうと決意し、

飛び込んできた子持ちの主婦だった。


予備校生活はとても楽しかった。


久々に学生気分を味わい、

今まで積極性など皆無であった私が

授業中に挙手をして質問を

できるようになった。


クラスメイトの中で仲良くなったのは、

高校を辞めたばかりの15歳の女の子だった。

当時25歳の私とは10個年が離れていたが、

同じクラスメイトとして接してくれた。

彼女とは高校を辞めた時期が似ていた。

彼女も半年で高校を中退したらしい。

夢の国が大好きで、

国民的なネズミの男の子が自分の彼氏だと

言っていた。

いつもニコニコしていて、人当たりが良く、

素直で無邪気でとても良い子だった。

その子はいつも、辞めたはずの高校の制服で

予備校に来た。

理由を聞くと、

「近所の人に高校を

辞めたことを知られたくないから。」と。


高校中退者ながら私はそれまで

知らぬ間に偏見を持っていた。


彼女はとても高校中退した子とは

思えないくらい非の打ち所がない

良い子だったから。


高校を辞めた理由を聞いた。

学校で仲が良かった友達に

突然仲間外れにされたらしい。

私は同情した。


なんでこんなに良い子が

辛い目に遭わなければならないんだ。


予備校は高校生活よりは

遅い時間に授業が始まる生活だったが、

彼女は普通の高校生と同じ時間に

家を出て、授業前に自習する

とても真面目な子だった。


他にも良い子はたくさん居た。

みんな仲が良く、楽しい受験期は

あっという間に過ぎていった。


一方で私は悩んでいた。

元々苦手だった生物と地理ができないのは

わかりきっていたが、

中学時代、できていたはずの英語が

まったくわからない。


高卒認定の英語の過去問を見て、

文字が書いてあるのに

なにひとつ理解できず、

予備校のトイレに駆け込んで吐いた。


英語ができないことが苦しい。


ここで負けたらダメだ、

とわかっているものの、

体が拒否反応を起こすまでに

私は英語が嫌いになっていった。


予備校生活は相変わらず楽しくて、

授業中も休み時間も充実していた。


私は当時、スーパーのレジ打ちのバイトを

昼間から夜の時間にシフト変更し、

出勤日数も徐々に減らしていった。


だが、フリーターと言えども、

お金は必要だ。


私は再び夜の世界へ足を踏み入れ、

スーパーと夜職と予備校を駆け回る日々を

送った。


夜職の待機所で予備校の宿題をする日々が

始まった。


学歴をバカにしてきた彼氏には、

夜職のことはもちろん言わなかった。


スーパーのシフトは教えていたので、

夜職の時間は予備校で自習していると

言っていた。


クラスメイトとの予備校生活も

残りわずかとなった頃、

私は新たな一歩を踏み出そうと考えていた。


高卒認定を取った後のことについてだ。


私は中学時代、

養護教諭になりたいと思っていた。

保健室登校・不登校の経験から、

中学生の心の拠り所のひとつに

なりたいと思った。


不登校児は、特別な子どもなんかではない。

予備校のクラスメイトと接する生活の中で

そう感じ、何か自分の経験を活かせる仕事に

就いてみたいと思うようになった。


だが、養護教諭とは、狭き門であり、

私にはハードルが高かった。


考えを進めていくうちに、

養護教諭でなくても、

中学生の力になれる職はないかと考えた。


答えは見つからなかったが、

心理系の大学へ進学しようと思い、

ネットであれこれ検索した。


心理の中でも、とある学問に興味を持った。

その学問の専門家の多くは、

地方の大学に居たが、

私は実家から通える圏内の大学を探した。


昔から母との折り合いはつかなかったが、

それでも、一人暮らしをすると

体調を崩し、精神状態も不安定になり、

全てがダメになる傾向があった。


だから、実家から通える大学を探していた。


その学問の専門家は、

関東圏内の2つの大学にいると知った。


A大学は、偏差値がとても低く、

B大学は、最低でも1年は勉強しないと

入れないレベルであった。


私はA大学に足を運んだ。


A大学の入学課の人は、

すぐに専門家の先生を呼んでくれて、

私と話してくれた。


聞くと、A大学にはその学問の専門家が

その先生以外にもう1人居て、

もう1人の先生がB大学へ

非常勤に行っていることがわかった。

また、新年度からその学問の専門家が

新たにもう1人、A大学に来るという。


私は、A大学への受験を決めた。

11月の高卒認定試験まで

あと1ヶ月という時だった。

私は高卒認定を絶対に取って

このA大学へ入ろうと心に誓った。


決意を胸に帰ろうとした時、

入学課の人に引き止められた。


もうすぐ

特待生試験の受験資格が得られる入試の

締切日だとその人は私に言ってきた。


聞けばAO入試という、

面接をメインとした入試を受け、

その合格者の中から希望者は

特待生試験を受けられる、という。


私は、大学入試とは

一般入試かセンター利用のみだと

思っていたので、とても驚いた。


入学課の人は

「あなたみたいな人は面接で受かるべきだ。」

と私に言った。


私は願書を出した。

かかるお金は少しでも少ない方がいい。


こうして、

後には引けない受験祭りが始まった。