アメブロなpandaheavenブログ

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最近漫画の先生始めました。
好評です☆

写真を撮ったり映画を見たり。でもやっぱり普通が一番!
みんなも無理しないでね!

最近漫画の先生はじました。>たのしいのんです。

それとは別に、動画も絶好調よ、見るがいいわ
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ドキドキドキドキ  生きなよ、洗練されるために  ドキドキドキドキ


こたつ姫と「ブログ画像の相互利用」をお約束いただけました。今後、当方のブログ画像内で、コタツ姫の人形やお写真、イラストを掲載させていただきます。特段の信用のうちのことであり、著作権を侵害するものではありません。



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こういうニッチなの好きよ❤️いつか作ってみたいな。

人が集まる事によって知恵と力が持ち寄られてくる。

司馬遼太郎:著 歴史の中の邂逅2 「龍馬の死」より抜粋

 

他人に迎合しきってしまうのとは違うし、自力のみを頼みとしても成せる事はとても限定的になります。

 

それでも人が自分に投げかけてくれるものは、その人に相応なものであるだろうし、成そうと成さざるとも、その人の度量が素直に出る。

 

主張の上手さなんかに自分自身が酔うようでは口先だけの人で終わるものです。人の投げかけてくれたものを上手に咀嚼できるのは「自分の拡張」を怠りなく続ける人だけのものです。

 

自分を清潔に保ち、余白を大きく残し、一気呵成に打ち込むまでの「準備」は、地味であるし、静かに進行するものです。

誰彼の価値観にのっかからずに、しかもあくまで「自分」として生きるってことは、「器用さ」ではなく、器の話だと思うのです。

 

「自分をむなしく」しておく辛抱は、自然には備わらないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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not natureだけど好き❤️



なんにも困らない、が大丈夫なんじゃない。


なんでも起きてるけど、どうにかする、こそが大丈夫ってんだ。


起きてるの。ないんじゃないの。

すぐには分からず、食べ終わってから感じる心地よさのような感覚、身体がきれいになったような気がする・・・というあれです。

ひとつひとつの細胞が喜んでいるのです。

それを、身体の心地よさで伝えてくれているのです。

一方で、その穏やかな優しさに、脳は気づかないことが多い。

 

土井善晴「一汁一菜でよいという提案」の中から「自分の身体を信じる」より引用。

 

先生は「脳が騙してくる」と続けていますが、先生一流のお戯れで、仰っておりますけれど、なかなかの含蓄と拝察いたします。

目先の「うまい」は脳が誘導する「旨いはずだ」に強引されているかもしれない。

それを「食べ飽きる・飽きにくい」というモノサシで計って見やると勘づきやすいのでは?なるエッセイで、朴訥とした智慧から巡ってくる洗練が凄く心地良いのでした。

 

言い換えれば「旨いものがそんなに取っ付くように旨くあろうとするもんかよ」って啓示のような趣を覚えたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうじゃろうね。

AIつってもサーチエンジンの末であって人工頭脳とは毛肌が異なる。

どっから拾ってきたフレーズなんだか。

 

昨日講座で褒めたとこなのにー💦

褒めたらすぐつけ上がりよるわ💢

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上手いだけ、見栄えのいいだけ、の人ならごまんといるんです。

スタニフラフスキーシステムみたいに、レジュメ通りにしたら、「それっぽさ」まではたどり着けるんです。

 

ただ、「映像」と「舞台」の際がここに出るんですけれど、映画を含めた映像って「役者当人の業やら素養やら」と「演技外」のものまでを含めて「期待値」に含有される業界でありフォーマットなので、仕草や目つき、佇まいや立ち姿など、力を入れてても力を抜いてても「醸って出てくるもの」まで含めた「魅了」を勘定されます。

 

つまり「上手い」プラス「交換の効かないもの」を役者には求められます。

映り込んじゃうからです。

 

役者自身の生い立ちや、無意識のうちの目配せ、俯き、手癖、間合いなど、その端々に滲み出るものが「時間経過」ごと作品にカウントされる時「上手いだけじゃ足りない」が起こります。

 

交換が効くような、秀才的な上手さは、「退屈」と切って捨てられます。覚えてられないからです。

この点「下手でも妙に目に残る」という不細工な「味わい」の方が勝る刹那があります。

 

映像の良さは、こうした「その人だけの感情の引き出し」に勘付ける製作者こそが「いい作品」に導けるので、舞台役者とはまた別の因子が求められます。

 

個性的過ぎれば、それはそれで使い出がないんですけどね、それでも「個性派でいる」辛抱というか、「どうしようもなさ」が耐久の腰になるんです。



幸田にも雪が降りにけり。

家族はピークに投票へ。

どちら様もようようご注意あれ☃️

夜廻り猫199「いじめられた子」より引用

 

いじめに遭っている高校生男子。いじめてくるヤツはクラスでは受けのいい人気者。

先生も他の生徒も知らん顔をしてる。男の子はいう。

 

「僕がやられるのは弱いからだ。

 でも僕は

 だからって強くなろうとは思わない」

 

そして冒頭の台詞に続くのです。

 

彼でなくば、他の誰かがいじめの対象にされ、自分がした体験と思いをただ繰り返すだけの日常。

その中で自らの弱さを悟り、さりとて「強くなる」ことで抜け出してしまいにはさせない、

別の視野が彼には育っていた。大人でも、そうした「強さ」にはなかなか至れないのに。