昨日、

久しぶりに例の男と会った。


二度と会わないつもりだったが、

お母さんの月命日にお線香をあげに来たのだ、

恐ろしい男だ。

昔は、

何も覚えようとしない男だったのに、

彼女じゃなくなったとたん、

優しくなる、

物覚えがよくなるのか、

昔は、

つき合った記念日、あたしの誕生日は、

まったく覚える気ゼロだった男なのに、

別れたとたんに、

変わるとは。。。。


でも、少し、嬉しかった。

誰かに何かを、

覚えていていてくれる、っていうのは、

凄く嬉しいことなのだ。


やく考えたら、

彼にはそこまでやってもらう義務はないのだ。

婚約をしたわけでもなく、

結婚をしたわけでもない。

昔はそんな優しい彼のことが好きだった。

でも、いつのころか、

そんな彼の優しさが分かっていたのに、

当たり前になっていたのかもしれない。

人間は慣れるという、便利な機能がついているのに、

あたしは悪いスイッチを押してしまったらしい。

そして、

あたしの方が、変わってしまっていたのだ、

虚しくなってしまった。

この前まで、

死んでほしいと思っていた彼の言葉が、

今日はすんなり耳に聞こえてくる。



今日で、4年間付き合った彼氏と別れて、

一週間がたつ。

どうして、ついてない時に、

ついてないことは重なるのだ。


今、辛い時に、誰かに支えてもらいたい。

って思う事って、

行けない事なのだろうか?


彼と別れた理由は、

『気が合わない』

そうだ。

何故、お母さん死んで、

精神的にまいっているのに、

別れを切り出されてしまった。

そんな男と4年間つき合っていた自分にも、

腹が立つし、

まだ少しきになる自分にも腹がたつ。


最後は罵り合いの喧嘩で別れてしまった。

いろいろ言われた。

「つき合っている最中にも、

 自分にはふさわしい人がいると4年間ずっと思っていた」


「大学のミスキャンパスに言い寄られている。」

「あんたと一緒にいても、生活の水準が上がらない。」



どうかあの男を不幸にしてください。

本当、

どうか死んでほしい。


一週間前に母が死んだ。


お医者さんには、

母の誕生日、6月までもたないと宣告をされた。


まるでドラマのワンシーンのように、

死亡時刻を伝えると、

親族一同が泣き始めた。

こういうシーンで主人公は、

お医者さんに、すがりながら、後悔し、涙を流すが、

わたしの涙はひどく、サラサラしたにわか雨で、

すぐに止んでしまった。



実際に起きると、

ひどく、他人ごとのようなのだ、



朝の5時から、呼吸は荒くなり、

延命治療はしなという、

母の方針により、

そのまま息を引き取った。

一瞬手が挙がって、

わたしの手を握って、

だんだん、呼吸が薄くなり、

眠るように

亡くなった。

母の病室からは、朝日がよく見えて、

小学校の教科書に載っていた

谷川俊太郎の『朝のリレー』

を思い出した。


朝の6時に母は亡くなった。

悲しさより、

わたしは、母は朝のリレーに参加出来たのだろうか、

とわけの分からない事を思っていた。