時は1970年代の終わり。80年代が見え始めてきた頃の話。

 

社会現象を巻き起こした「ピンクレディー旋風」も翳りが見え始めて、もはや2匹目のドジョウすら現れなくなった頃、突如として現れた「2代目バスボンガール」と呼ばれた、早坂あきよ、小西直子の2人組。

当時のアイドルとしては異例の、170cmオーバーという高身長が世間の注目を浴びた。

 

2人組の名前は「BIBI(ビビ)」と言う。

 

当初は「資生堂バスボン」というシャンプーのイメージガールとして出てきたのだが、それがいつの間にかレコードデビューまでしていた。

 

正直な話、歌唱力に関しては全くお話にならなかったが。

 

そんなBIBIの3枚目のシングルが「赤い傘」である。

ミディアムテンポのマイナーコードの曲ではあったが、当時小学4年生だったオイラの耳にはとても心地よい曲だったことだけは覚えている。

 

BIBIとしての活動は2年足らずであったが、インパクトだけはあったような気がする。

高身長ということでは、のちに中島はるみが受け継ぐことになるが、BIBIの残したインパクトは、コアなアイドルファンには印象的であっただろう。

 

 

☆赤い傘/BIBI(1979年) 作詞:松本隆 作曲、編曲:穂口雄右

 

 

4年ぶりとなるこのブログ。そろそろネタも溜まってきたし、いい加減に放置状態なのもアレなので、復活してみた。

 

その復活第1弾は、渡辺桂子である。

 

最近のマイブーム(この言葉も古めかしいけど^^; )は、大映ドラマの再検証で、「スチュワーデス物語」「不良少女とよばれて」「スクールウォーズ」などの王道に続き、現在鑑賞しているのが、渡辺桂子主演の「乳姉妹」なのである。

 

伊藤かずえや松村雄基などの大映ドラマ俳優の中に、一際異彩を放った存在だな〜と思い、当初は観るのをためらっておいたりして。

何と言っても彼女の代表作はこれっきりなので。

 

それが…

 

第1話を観た瞬間から、あれよあれよと言う間に魅かれていき、口ぐせのように「渡辺桂子いいじゃんよ」と呟く始末。

当時リアルタイムで観てなかったのが悔やまれるほどであり。

 

大映ドラマ特有の、出生に秘密あり、やな女キャラにいじめぬかれ、それでも健気に生きていくという王道を、彼女は見事に演じた。

大げさかもしれないけど、堀ちえみや小泉今日子のそれよりも良かったかも。全然スレてない新人のうちに演らせたのが功を奏したというのも併せて。

 

しかしながら…

 

彼女はたった2年弱のアイドル生活を捨てて、男に走ってしまう。

デビュー曲も、筒美京平大センセの作品で、その後大映ドラマの主演という輝かしい軌跡も残しながら、さっさと男のもとへ走ってしまった渡辺桂子。

 

もったいない。

前に西村まゆ子の項でも述べましたが、もったいないの一言に尽きる。

 

今回の項では、曲云々はどうでもよい。

ただデビュー曲はこの曲なのだ、ということを書くだけで、渡辺桂子のもったいなさだけをクローズアップしたい。

 

 

 

 

というわけで、これからも気まぐれな当ブログをよろしくお願いいたします^^

 

 

 

☆H-i-r-o-s-h-i/渡辺桂子(1984年)  作詞:売野雅勇 作曲:筒美京平

 

 

2014年になりまして....
何ともまあ久しぶりのこのブログ。
そろそろ書きたくなってきたので、ちょこっと書いてみっか。

ということで。


今回取り上げるのは、白石まるみである。
白石まるみというより、この曲「オリオン座のむこう」について書きたかっただけなのだが。



何しろ特記するべきことは1点だけ。

作詞:松任谷由実 作曲:松任谷正隆 

この珍しい表記は他に例を見たことが無い。
呉田軽穂名義でもなけりゃ、作詞作曲:松任谷由実でもないのだ。
呉田軽穂名義と松任谷由実名義の違いに関しては、以前ご本人がこう言ってたっけ。

「自分で歌い直したいと思う曲は松任谷由実名義で、そうでない曲は呉田軽穂名義で...」
もっとも、初のセルフカバーアルバム「Faces」をリリースした時に、その定義は覆されてしまったが。

しかし、「オリオン座のむこう」に関しては、作詞のみなのである。
荒井由実時代に、詞だけを提供するといったことはあっただろうが、作詞:松任谷由実 というのはお目にかかったことが無い。しかも、作曲は旦那さま。

これだけの話題性があり、楽曲自体もとても名曲だったにもかかわらず、オリコンチャート100位にすら入らなかった。
当時白石まるみは、フジテレビ系の「いじわるばあさん」出てたり、一応アイドルっぽい番組にはでてたんだけどな。
後に出演した「スチュワーデス物語」の方で有名になっちゃった。

その時にこの曲をリリースしてれば、もう少し日の目を見たのだろうか。
タイミングって恐ろしいね。

今くらいの季節になると、毎年思い出す「オリオン座のむこう」
今年はオリオン座のむこうでどんな人に出会えるでしょ^^

オリオン座のむこう


☆オリオン座のむこう/ 白石まるみ(1981年) 作詞:松任谷由実 作曲編曲:松任谷正隆

前回からちょっと間が空いてしまったが...

テクノ歌謡繫がりで、今回取り上げるのは「コスミック・インベンション」である。


「アイドル・バンド」というジャンルがあるかどうかは知らんが、もしあるとしたなら、「コスミック・インベンション」がその先駆けであることは間違いない。
しかも、確かな技術があり、メンバーの一人はあの、井上ヨシマサ氏なのだから。

かつては中山美穂と浮き名を流し、現在はAKB48のサウンドも手がけており、まさにアイドル史には欠かせないお方。
そんな井上氏が在籍していたのが「コスミック・インベンション」であった。
(ちなみにもう一人の男性メンバー、佐藤克己氏は、のちに「To Be Continued」のメンバーとなり、こちらも大活躍)

80年代初頭、世はYMOフィーバーであったが、そのYMOの武道館公演の前座を務めるという輝かしい実績があるのにも関わらず、世間に受け入れられるにはちと早すぎた。
ボーカルがドラムでしかも女性。それだけでも斬新なのに、テクノというジャンルを取り入れたトコに新しさを感じたのだろう。

ボーカルの森岡みま女史。
ルックスも悪くないし、歌唱力もアイドルとしては合格点。んでもってドラムを叩きながら歌っちゃうのだから、もう少し話題になっても良かったのでは。

問題はプロモーションのような気がする。
もっともっと積極的に音楽番組出ていれば、それもNHKばかりでなく、民放の軽いトコまで。


「C-C-B」や「チェッカーズ」など、のちのいわゆるアイドルバンドはタイミングが良かったのかも。
そこから一回りした頃に現れた「Zone」なんかもタイミングの妙だったのかもしれない。

pandaの「だるまさんはころばない」-コスミックインベンション「YAKIMOKI」


☆YAKIMOKI 1981年 作詞:星川スナヲ・くら美あきら 作曲、編曲:小田啓義

性懲りもなく、ポストキャンディーズを掘り下げてみる。
先日のトライアングルに続き、今回はフィーバーを取り上げてみたい。

正統派「ポスト・キャンディーズ」であった「トライアングル」に対し、ハナっからバラエティ色が強かったフィーバーであるが、トータル的に見ると、むしろトライアングルより出来が良かったような気がする。

もともと正式なグループではなかったフィーバー。
デビューのいきさつは、キャンディーズの大人気番組であった「みごろ食べごろ笑いごろ」
キャンディーズの後釜を、2つのグループで争い、最終的に渡井なおみ、岡広いずみ、北川まゆみの3人がレギュラーの座を獲得した。

その後、レコードデビューするにあたり、グループ名が「フィーバー」となったわけ。

結成のきっかけもバラエティーならば、付けられたグループ名も全く長期展望はされてないのが丸出し。
でも、オイラはトライアングルより好きだった。なぜなら、自分が出演した「クイズ・ドレミファドン」の当時のアシスタントが「フィーバー」だったから^^

そのフィーバーの名曲中の名曲が「デジタラブ」である。
今でも「昭和テクノ歌謡」を語られる際には、必ずと言っていいほど挙がる曲である。
何と言ってもその豪華な作家陣。

作詞:糸井重里 作曲:鈴木慶一 編曲:難波弘之

この3人の組み合わせってどうよ。
名曲が生まれないわけないじゃん、って感じ。

この曲から間もなく、フィーバーは自然消滅するわけだが、そのインパクトだけは忘れないだろう。


pandaの「だるまさんはころばない」-フィーバー「デジタラブ」

☆デジタラブ/フィーバー(1980年) 作詞:糸井重里 作曲:鈴木慶一 編曲:難波弘之

伊藤智恵理の....
いったい何がダメだというのだろうか。

ルックスも悪くない。むしろ美人の部類に余裕で入る。
歌唱力もずば抜けてある。アイドルとは思えないほどの上手さだ。
女優としても数々のドラマに出演経験がある。


なのに。


パッとせず消えてしまった。


かと思えば。


90年代半ばに入った頃、一人のsinger Chieriとして帰ってきた。
が、
ここでもあえなく玉砕してしまう。

ん~これはまさにタイミングの業だとしか言いようがない。
彼女がデビューした1987年というのは、おニャン子クラブ終焉の年であり、いわばアイドル氷河期突入の年ともいえる。
ここから世はバンドブームに入るわけである。

そんなタイミングでデビューしたところで、メディアにも取り上げられず、日の目を見ないまま衰退して行くのは致し方ないこと。
しかし、見る人はちゃんと見ているわけで、彼女の唯一のベスト盤「アイドルミラクルバイブルシリーズ」は未だにオークション上で高額取引されている。

そんな伊藤智恵理の代表曲の一つ「トキメキがいたくて」
TBS系の昼ドラマの主題歌であったため、オイラもこの曲から伊藤智恵理の存在を知ることになる。
何という歌唱力なのか、と当時は驚愕したものだ。
作曲の岸正之氏は、当時渡辺満里奈や南野陽子などのアイドルから、稲垣潤一や山本達彦などにも楽曲提供するなど、幅広い活動をされていた。
渡辺満里奈の「マリーナの夏」松本伊代の「すてきなジェラシー」と並ぶ、3大岸正之作品の一つが「トキメキがいたくて」なのである。

シングルリリースは少なくとも、名曲ぞろいの伊藤智恵理。
伝説ではなく、「現在(いま)」の歌声をオイラは聴きたい。

pandaの「だるまさんはころばない」-伊藤智恵理「トキメキがいたくて」

☆トキメキがいたくて 1987年 作詞:戸沢暢美 作曲:岸正之 編曲:中村哲

トライアングルと言えば...
言わずと知れた、キャンディーズの後継グループである。
何せ、当初は「キャンディーズ・ジュニア」なんて名前がついていて、本家のファンの猛反発にあったとか。

トライアングルに限らず、この当時はいくつものドジョウが存在していた。

トライアングルから送れること数ヶ月。
トライアングルが「8時だヨ!全員集合」系の後継グループなのに対抗して、「みごろ食べごろ笑いごろ」系の後継グループとしてデビューした同じ事務所のフィーバー。

「やさしい悪魔」と全く同じ作家陣の「私のサタン」なんて曲をリリースしたチェリーズ。
「ソウルこれっきりですか」がスマッシュヒットしたのにも関わらず、その後暗中模索を続けたアパッチ、など。

とにかく女3人寄りゃぁいい、みたいなグループが多かったのも事実。

そんな中、正統に次世代のキャンディーズとしての後継を許されていたトライアングルであったが、現実は厳しかった。

デビュー曲の「トライアングル・ラブレター」はかろうじてオリコン30位に入るヒットを見せたものの、2曲目の「0のメルヘン」これが少々時期尚早であった。

曲を手がけたのは、数々のキャンディーズヒットを生み出した、穂口雄右大先生。
なので楽曲自体は良かった。
かつてのキャンディーズのヒット曲「その気にさせないで」や「ハートのエースが出てこない」を彷彿させるような、かっこいいサウンドだったし。

しかし、彼女らにこの曲を歌い、踊りこなせる実力が全然なかったのよね~
先ほどもYouTubeにTVでの歌唱映像がupされていたが、歌、踊り、オーラその他がまだまだド新人なのである。
彼女らにスクールメイツなどの経歴があったかどうかは不明だが、なにしろすべての面において、キャンディーズの遥か下を這っていた。
「0のメルヘン」は良い曲だけに、リリースのタイミングを図ってほしかった。といっても、この後の玉砕っぷりが早かったので、何とも言えないところだが...


pandaの「だるまさんはころばない」-トライアングル「0のメルヘン」

☆0のメルヘン 1978年 作詞:島武実 作曲、編曲:穂口雄右

大滝裕子....
この方をアイドルというカテゴリに入れるかどうか、結構迷うトコである。
今でも「アマゾンズ」の一員として大活躍中だし、むしろアイドルだった頃を知らない方が大半なのでは。

しかしながら、当時は立派な「アイドル」でおられたのである。
これは竹内まりやにも当てはまることだが、何しろルックスで方向性が決められてしまっていた時代。
ご苦労なさった方もさぞ多かろう。

話を元に戻して....


大滝裕子という方も、なかなか方向性が定まっていなかったようで。
デビュー曲の「A BOY」では中原理恵ばりのオールバック姿だったり。
次曲の「ミリオンキス」ではガラッとイメージが変わって、正統派アイドル路線だったり。

おまけに「ただいま放課後」というドラマの第3部にも出てたのよね~しかもマネージャー役で。
「ただいま放課後」の第3部と言えば、それまでのジャニーズ路線を断ち切って、堤大二郎、大村波彦の二人を主軸に、斉藤康彦などという、かなりの青田買い状態だった。
そのラグビー部のマネージャーが大滝裕子だったのである。

これだけで、この第3部がどんなモノだったのかお分かりいただけるはず。


話を軌道修正して....



歌手としての第4弾シングル「恋のウォーミングアップ」は、ヤクルトジョアのCM曲であり、オイラも大滝裕子のシングル曲では一番好きである。
つい最近知ったことなのだが、作曲と編曲が椎名和夫氏だったの。
この頃からシンセベースとかシンセブラスとかを多用してたのね。
そりゃ好きになるはずだ、と改めて納得したり。

小柳ルミ子の後釜として、ヤクルトジョアのイメージキャラクターにもなった大滝裕子。
次のシングル「異性」も同じタイアップだったのだが、なぜかそこでシングルのリリースが終わっている。
セールス的に、今一どころか今三くらいと言ったところだろうか。
ここでもまた、「歌が上手い」と「売れる」ということが別モノだと思い知らされる。

pandaの「だるまさんはころばない」-大滝裕子「恋のウォーミングアップ」


☆恋のウォーミングアップ 1980年 作詞:三浦徳子 作曲、編曲:椎名和夫

今からちょうど33年前の2月、岩崎良美は「赤と黒」で華々しいデビューを飾ることになる。

岩崎宏美の妹というとても高いハードルに、本来のおとなしい性格が災いしてか、その後にデビューした、松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵などに大きく差を付けられるも、オイラはひたすら岩崎良美を応援し続けた。

彼女のあまりにも高すぎる音楽センスに、あと10年遅くデビューしていたら...という声もちらほら上がったそうだが、オイラはむしろこの時代だったからこそ、「岩崎良美」というブランドが確立したのではないかとさえ思う。

そこで検証したいのがこのデビュー曲「赤と黒」である。

作家陣にSHOGUNの芳野藤丸と大谷和夫を起用し、作詞がなかにし礼という一見ミスマッチのように見えて、実は素晴らしい融合ではないか。

新人ながら、デビュー直後の東京音楽祭世界大会でも、彼女は全く臆することなく、堂々とした歌いっぷりを見せたのはもはや伝説と言っていい。




デビュー曲というのは、その歌手、アーティストにとって、これからの方向性や位置づけを決める大事なものであるから、ブレーンとしても相当な時間と労力を費やしているはずである。
むしろアイドルとしてのデビュー曲というのは、その人のキャラクターがほぼ決まってしまう衒いもあるため、インパクトに重点が置かれることが多い。

しかし、岩崎良美の場合、楽曲のクオリティーに重点を置いたのではないかと思うほど、「赤と黒」は完成された楽曲であったように思う。
33年経った今聴いても、全く色あせることがない。

ただ、前々回の川島恵の項でも触れたが、「歌が上手い」と「売れる」というのは別モノ、という公式が岩崎良美にも当てはまってしまった。
しかも、彼女の場合、いつまで経っても姉の呪縛から解かれることはなかった、と本人も最近のインタビューで述べている。

しかし、今なおバリバリ現役で活動をしているし、33年もの間歌手を続けているということは、それだけで財産だよねぇ...


オイラはいつまでも「yoshilin'」のファンであり続けたい^^

pandaの「だるまさんはころばない」-岩崎良美 「赤と黒」


☆赤と黒 1980年 作詞:なかにし礼 作曲:芳野藤丸 編曲:大谷和夫

1981年デビューの石毛礼子。
若干デビュー年齢が遅かったせいか、4枚のシングルを発表して、早々と引退してしまった。
歌も上手かったし、ルックスもそこそこだったのだが、今ひとつコンセプトが中途半端だったような気がする。

アイドルで売りたかったのか、はたまたシンガーとして売りたかったのかというトコ。

その石毛礼子のデビュー曲「旅の手帖」はオリコンでもTop100以内にはかろうじて食い込んだ。
スマッシュヒットと言ったところだろう。
楽曲自体はとてもいい出来で、当時小学6年生だったオイラはよく口ずさんでいたものだ。
作曲は、この時代のアイドルには欠かせなかった網倉一也氏。
松宮恭子女史と並ぶ、70年代後半から80年代前半を彩ったお方。

石毛礼子「旅の手帖」


☆旅の手帖/石毛礼子(1981年) 作詞:松本隆 作曲:網倉一也 編曲:船山基紀