生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~) -21ページ目

生観日記(奈落の罪 ~自己を見つめて~)

人間とは何か?正解はあるのか?悪と共存する私の心は果たして救われるのか?自己を被写体として筆を綴った日記。ひしげる心、メンタル面の変化を見つめ、死後も何かを訴え続けたい。

引き続き過去の日記の目次です。

【85】第308号〜第809号まで

※平成10年3月10日の出来事や、H指導

員の転職が決まったことについて記している


【86】第310号〜第316号まで

※平成10年4月頃の日記で、H指導員の再
就職も決まり、私自身が他の教習所の面接に
行ったり、とうとう私も卒業生からのアンケ
ートで悪い指導員に名前が上がったり、プラ
イベートでは茨城県ひたちなか市にある自動
車安全運転センターで研修を受けたりしたこ
とが記されている。

【87】第317号のみ
※教習生のことと所長から叱咤を受けたこと
を記しています。


【88】第318号〜324号まで
※平成10年5月頃の日記ですが、この頃か
ら再び母の精神状態が悪化して仕事に身が入
らなくなったり、教習期限切れの教習をやっ
てしまい懲戒処分を受けたりと、散々な時代
に突入していくことが分かります。

【89】第325号のみ
※普段の教習での出来事の日記です。

【90】第326号〜第330号まで
※平成10年6月頃の日記です。H指導員が
他教習所に転職が決まったかと思うと、次は
S指導員の転職が決まった。また、この頃に
アマチュア無線の資格を取得している。

【91】第331号〜第336号まで
※平成10年7月の参議院選挙についてや、
母の精神疾患のこと、S指導員の退職とK指
導員も退職という事態について記しています

【92】第337号〜第340号まで
※平成10年7月頃の日記です。人の評価に
ついて考えていました。

続く

=説明=
このブログは私が25、6歳頃から書き綴っ
た日記(内心の自由と不自由)の転記です。
令和の今と考え方が異なる部分も多々ありま
す。それが成長なのか後退なのか分かりませ
ん。

アップの目的は、
①自分をみつめること
②『私』が『他者』との関わりの中で感じた
『絶望』と『再生』の内観

そして、いずれ訪れる私の死に際し、遺書の
意味も含有します。人の存在は川の流れのよ
うに『過去』に消えます。町ですれ違う人々
、電車やバスで乗り合わせる人も、この瞬間
を起点に100年後は99%が絶命し、その
人の存在があった事すら知る者は血縁者以外
にいません。

私が古い『日記』を開示する目的は、私に関
わってくれた多くの人々も活字の世界で生き
続けて欲しいと願うからです。
『死して朽ちず』
それが供養です。

私自身、マイノリティーな家庭で育ち、父は
酒乱で母に不倫され自殺未遂、そして酒が原
因で入退院を繰返し、結果的に糖尿病から尿
毒症を発症して昭和58年元旦に死去しまし
た。

また、母は遺伝的疾患で長く入退院を繰返し
、その不倫相手のYS氏と再婚しましました
が、平成6年、YS氏は失業の末にうつ病を
発症し自殺してしまいました。しかし、母が
YS氏と再婚しなければ私は100%中卒に
なっていました。何の才能がある訳ではなく
、職種は極めて限定的だったことでしょう。

私達家族は社会的に隠す事が多く、世間体を
気にし、生きづらさを覚え劣等感を抱えて生
きておりました。従って挫折癖があるのです
。私は地に足がついてないので、自分の身近
な人を愛さず(愛せず)に、いきなり世界平
和を願ってしまうような、心の基礎が脆弱で
外面を取り繕う人間に成り下がりました。

また、私のような人間は他人に対する優しさ
に欠け、そして薄情です。何故ならば、心は
常に劣等感の解決に拘泥し、自分のことで精
一杯だからです。今、政治家や実業家の二世
三世に厳しい眼が向けられています。しかし
、彼らがこの社会で重宝されるのも事実で、
その理由の1つに他者と比べて人脈、フラン
クなコミュニケーション能力が自然と身に付
くからだと私は思います。それは、二世三世
の親の周りに様々な職業の人間が出入りし、
処世術や社会との関わり合い方を学習するか
らだと思うのです。

一方、私の両親の場合は自己を守ることで精
一杯、人や社会との関わり合いは限られた範
囲内でした。父も母もYS氏も、それぞれが
この社会で自分の居場所を求めて懸命に生き
ていたと思います。

同時に、孤独な母の話し相手をしてくれてい
たのが母の姉(私にとっては叔母)でした。
10年前から胃癌で伊勢原市の大学病院に通
院、手術を繰返していましたが、令和3年5
月10日、86歳で永眠しました。叔母は若
い頃に離婚し、以後、独りで力強く懸命に生
きていました。叔母から泣き言を聞いたこと
はありません、常に前向きな言葉しか記憶に
ありませんでした。見事な最期だったと思い
ます。

母は7人兄弟姉妹の4女で、母を含めて血縁
者に精神疾患者がおります。叔母も自分の兄
や妹がこうした病を抱え、そのことで劣等感
や不遇を感じていたことでしょう。しかし、
叔母は母に優しく接してくれました。私はそ
れを深読みし、返って迷惑なのではないかと
考え、敢えて親戚から遠ざかって行きました
。更には、従姉妹(いとこ)の子供が警察官
であり、尚更、遠縁である母や私の存在は伏
せるべきことだと思いました。それは今も変
わらない想いです。

父方の親戚についても同じです。父には姉と
弟がいますが、伯母には幼少の頃に数回会っ
たきりです。伯父には生前父がかなり迷惑を
掛けたので、父が亡くなった後は交流があり
ません。やはり親戚付合いも、家庭が安定し
てないと互いに難しいものなのです。そのこ
とで私は住居や就職も身寄りがないので、緊
急連絡先にしても連帯保証人にしても難儀し
、年齢と共にキチンとした就職先は得られに
くくなります。最早、私は会社組織に入って
の仕事は難しく、自分で活路を開くしかあり
ません。まだまだ、我が国では家族(血縁)
が重視されます。

また、私は遅疑逡巡の癖があり、世渡り下手
で処世術が皆無です。従って年齢相応のキャ
リア形成(地位や肩書)はありません。20
代半ばから30代過ぎまで自動車教習所指導
員、30代終わりから40代は警察業務の民
間委託の仕事を10年間勤め、そのうち約9
年間を所属長の立場で部下を持ちました。慢
性的な人手不足の中、目先の運営と実績に明
け暮れ、嫌われることを恐れて叱れない上司
に終始した結果、私の意志を継ぐ後継者の育
成に失敗し、組織の統率・意思決定に不備が
生じました。

『いい人』と呼ばれても人徳がなかったのは
、その場しのぎの偽善を相手が敏感に感じ取
ったからでしょう。私は人間関係の摩擦を回
避したかったのです。上記で触れましたが、
私の幼少期、父は母を巡る不倫でYS氏との
間で激しく罵り合う場面を間近で見ました。
私は人との摩擦を極端に嫌い、リーダーとし
て問題解決能力を養うことをしませんでした
。これは致命的です。

部下を厳しく叱責すべきケースでも柔和に対
処、しかし、腹の中は怒りが渦巻いているの
です。こうして、部下に対する本当の優しさ
が無なかったのです。外面では心にもない美
辞麗句を吐き、同時に私の風貌も相俟ってそ
の言葉が形式的で軽く安っぽく見え、当然、
ストレスはMAX状態です。

今、皮肉にも教習所時代に接した幹部の威厳
や風格、貫禄を10数年後に自分が部下を持
つ立場になり痛感することになりました。あ
る年度末、私は署内で某交通課長(警視)か
ら「いくら勤務員が努力したと言っても、実
績(数字)として表れなければ管理者として
は失格なんだよ」という主旨の言葉をもらい
ました。要するに、上司として部下に迎合す
ることなく、権限を適切に使いキチンと指導
しなさいという意味に解釈しました。

心理学者の河合隼雄氏の著書の中で「100
%正しい忠告はまず役に立たない」と書いて
ありました。仮に私の指導が全員の部下に正
しく当てはまらなくても、それは仕方ないの
だと割り切るのが正解でしたが、当時は全員
に賛成されないと物事が進まないと思ってい
ました。

優しさとは覚悟です。

①部下に恥をかかせ恨みを買われたくない
②自分の指導で人間関係を悪くしたくない
③リーダーとして孤立しない為に部下に迎合

私はこうした組織の縦軸の関係を蔑ろにて依
存体質の部下を醸成してしまいました。私の
前では自由闊達に物事が言えた部下が、人事
異動先で周りに適応出来ず非違事案、交通事
故を起こしたり、体調を崩して亡くなった隊
員もいます。厳しい世界を生き抜ける指導を
しなかった私の責任は重大です。その罪も心
の中で一生負わねばなりません。組織のリー
ダーがやるべきは、人を遺すことです。

更に、私と出会ったことで元々優しい隊員が
質(タチ)の悪い性格に変わってしまうこと
がありました。私との相性もありますが、色
々原因を考えると、その隊員も劣等感から職
場で建前の自分を演じていたと思います。『い
い人役』を上司の私に取られたら、自分の居
場所が集団内で影薄くなって脅かされると焦
る気持ちがあったのではないでしょうか。

また、自分に自信のない人、劣等感の強い人
の周りにも質(タチ)の悪い人が集まります
。それは、依存して楽をしようと企む力が働
くからです。同時に私は、私に協力的な人に
も、或いは批判的で質の悪い人にも同じよう
に物分かりの良い上司として演じ続けました
。当時はそれが私に求められること、私がリ
ーダーとして組織で存在する唯一の価値だと
考えていたからです。しかしそれは、私と部
下との心理的距離感が近過ぎて指揮命令系統
は下克上となり、私の決断力が鈍りました。
リーダーが組織を動かす時、それは致命的に
なります。

『本当の優しさ』とは何か?
リーダーとなったなら嫌われてでも、自分の
信念を貫き続ける力が必要です。10人いて
10人から好かれるのは不可能です。これで
は常に他人の感情に揺れてしまいます。そも
そもこの10人それぞれが別人格で、組織や
上司に求めることも違います。一見同じ主張
をしても、両人が同時に納得するとは限りま
せん。昔流行った刑事ドラマのリーダーのよ
うに、力強く部下を統率し全員から慕われる
存在は現実には不可能。人間にはそれぞれ思
惑があったり、達成したいことが異なります

人間関係に消耗しながら妥協する『いい人』
は一時的には重宝されても、概ね自他を不幸
にします。誰かの好都合は誰かの不都合です
が、私が失敗したのは、その都合を合わせる
相手を間違えたことです。リーダーには孤独
と覚悟が必要です。私には覚悟がありません
でした。勿論、その覚悟あるリーダーを本部
がフラフラせずに、信じきることも必要です
。多少の批判や苦情で交代では、いつまでも
組織は弱いままです。その土台なくてリーダ
ーの覚悟も生まれません。しかし、本部もリ
ーダーにそこまで求めていなかったのでしょ
う。本部にもまた問題解決能力が欠けていた
と私は思います。即戦力を求める組織は、互
いの関係が常に緊張状態になりやすく、それ
ぞれの立場で護り(保身)の感情を敏感にし
ます。では、どうすれば骨のある本当に優し
いリーダーになれるでしょうか?

私は、家庭基盤(家族構成と収入)が安定し
、幼少期から自分の『心の基地』を確立した
人物が信念を貫けるリーダーだろうと思いま
す。しかし、そうでない人も『心の基地』を
保持出来れば他人の評価を一喜一憂せずに正
しい方向に組織を導けるのではないでしょう
か?

結果的に私は、親の介護問題と並行して、私
自身が体調を崩して入院、退職の途を歩むこ
とになりました。遡行(そこう)すると私の
人生は、下っ端の頃もリーダーとなった時も
、組織内ではなかなか芽を出せませんでした
。それは詰まるところ、嫌われたくない、好
かれたい、という意識が強く、誰かの支えに
なるリーダーというよりも私自身が誰かの支
え・庇護を常に必要としていました。部下か
ら嫌われたら、その組織で生きて行けないと
思っていました。しかし、本当は逆だったの
です。総てを守ろうとするものは、総てを失
うと言われています。

どんな地位や肩書きが仮にあったとしても心
のバランスは得られないでしょう。人は与え
られた命の時間、限られた人間関係、そして
、縁あって携わった仕事から「どう思考・行
動したか?」しかないと思います。何の人脈
、人徳、人望もなく、他人に施しを与えられ
る人間ではないですが、精々、こうして過去
に推敲を重ねた日記を遺すことしかありませ
ん。成功者のブログではないですが、小生を
反面教師、他山の石として頂き、皆様の役に
立てれば何より幸甚と思います。

ー令和4年6月ー



引き続き、私の日記の目次です。


【74】第269号〜第273号

※平成9年9月21日〜9月30日までの日
記です。教習所幹部の定年退職のことや、巨
人戦の観戦、韓国旅行記について書いていま
す。また、ブログをアップした時期が令和2
年6月だったので、新しく開業した東京メト
ロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅の写真も貼付して
います。

【75】274号
※274号は前回同様に、平成9年の韓国旅
行の続きの日記です。

【76】第275号
※275号は、令和元年から2年にかけて政
治政党である「れいわ新選組」について強い
興味があった。その中の一人の大西つねき氏
について私が考えたことを日記に書いた。い
いね!が21もついたという、私にしては珍
しい回になった。

【77】第276号〜第282号
※平成9年の韓国旅行について引き続き書い
た。また、職場だった教習所での出来事、同
時に第282号では平成9年10月15日現
在に思ったことを日記に書いている。

【78】第283号〜第287号
※平成9年11月頃の日記になります。この
頃、エジプトで日本人観光客がテロに遭い、
殺されたことや、女性教習生とのこと、また
人生の選択など、平成9年11月に思ったこ
とを日記に綴っています。

【79】第288号
※【78】同様に、女性教習生のことについ
て、その胸中を綴っている。


【80】第289号〜290号
※第289号も当該女性教習生について綴っ
ている。同時に、平成9年12月14日の所
長の朝礼について思ったことを書いています
。特に配車のこと。


【81】第291号〜第297号
※平成9年から10年の年末から年始にかけ
ての日記です。この頃は、当該女性教習生の
卒業と女性事務員の退職、更には同僚指導員
と所長の関係について思ったことを日記に書
いています。

【82】第298号〜第301号
※前回同様にH指導員への思いと、教習生の
ことについて記しています。当該指導員の退
職についてもこの頃でした。

【83】第302号〜第304号
※平成10年2月中旬の日記です。H指導員
が退職し、直ぐにS指導員も転職の意思を私
に示しました。

【84】第305号〜第307号
※過去の日記のブログへのアップロードが、
令和3年3月でしたので、ちょうど東日本大
震災から10年という節目でした。また、過
去の日記では男性教習生に考えさせらことや
、S指導員への思いが綴られていました。

続く

前回に続き、これまで書いた日記の目次で

す。自分で何を書いて来たか、自分で把握

する為にまとめています。


【68】第244号〜第250号

※平成9年8月2日から8月17日までに書
いた日記です。再び愛情考察、巨人戦の観戦
では阪神甲子園球場に行きました。また、恋
についてやその時に思うことを日記に書いて
いました。

【69】第251号〜第255号

※平成9年8月18日から8月28日までに
書いた日記です。少し仏教について考えたり
、初めて鎌ヶ谷球場にファームのゲームを観
戦したことを書いています。

【70】第256号〜第262号
※平成9年8月末日から9月13日までの日
記です。相変わらず巨人戦の観戦と、自分な
りにどう生きて行くかの心のトレーニングを
日記に書いていました。巨人戦の観戦では、
前回の甲子園球場に続いて、初めてナゴヤド
ームでの観戦について書いています。また、
日記をブログにアップロードしたのが令和2
年3月だったので、山手線の新駅、高輪ゲー
トウェイ駅を探索したことも写真に収めてい
ます。

【71】第263号〜第264号
※平成9年9月14日と15日の連日、巨人
戦の観戦に行った日記です。

【72】第265号〜第266号
※アップロードが令和3年4月でした。当時
の日記のアップロードを休み、やはり新型コ
ロナウイルスについて思うことを書きました

【73】第267号〜第268号
※ここでも当時の日記のアップロードを休み
、新型コロナウイルスのことと、ツイッター
で話題になった検察庁法改正案について書い
ています。

続く