「お前の頭と出席日数じゃ、この2択や」


中学3年の頃、担任から言われた言葉。


当時反抗期だった私は、中学もまともに行かず、高校進学を拒否していた。


でも先生は頑張ってくれて、

くそアホ高校を2つ探しだした♡ʬ


共学と女子高で、
迷わず女子高を選んだ( ー̀ωー́ )w


入学した瞬間、間違った!と思った。


ヤンキーと、不登校組しかいない…(*´_`*)


私はしばらく話せなかったが、だんだんみんなと仲良くなっていった。



聞けば、ほとんどの家が、片親だった。


だから、みんな働いていた。


“自分の学費は自分で稼ぐ” 
 

学費を払えなくなったら、みんな学校を辞めていた。


もちろん私も働いた。



飲食店で働きながら、足りない分は

カラダを売っていた。

15歳だった。




妹は、大型連休にキャバクラで働いて、
お金を貯めていた。



女の子が無料で入れるクラブがあって、鏡張りの部屋で女の子たちが待機していて、スーツを着た男の人が来て、番号の付いた電話に出るように言われる。



そこで知らない男と朝まで過ごす。



そうやってお金を稼いで、
親の借金を払っていた。



友達の家に行くと、おばあさんがずっと誰かと玄関先で話していた。


ヤミ金だった。


帰らないと言うので、私が4万円払った。

おばあさんは泣きながら何度も私に謝った。




その友達は、お母さんに捨てられ、祖母の家に逃げてきた。おじさんは自分勝手で私にまでお金をせびってきた。


それを娘にやらせて、自分はタバコを吸って車で待機している図太い人。



最期は変死体で見つかった。


友達が言った言葉は

「やっと死んでくれた」だった。




高校生の頃、こんな感じの高校生活だった。




お金を稼ぐのに、みんな必死だった。



でもそれは遊ぶ金欲しさじゃなくて、家族や自分を、養うため。




それでも、みんな明るく生きていた。





地元の友達は、おこづかいが少ない、門限厳しい、親がうるさい・・・

そんな高校生みたいなことを言っているのが嫌で、付き合いが減っていた(笑)





引くよねー(இдஇ )!!


でも、これも私。




子供ながらに沢山経験した。


ベッドの中で、中年男を慰めてたり(笑)



今思えば、愛情に飢えていた。







悪いこと沢山したし、

傷付けたし、傷つけられたし!!


たくさん働き、倒れ、それでも遊んだ!



でもしんどくなって、友達と海行って、

抱き合って、たくさん泣いたりした。


私の、17歳の青春♡ʬ





18歳になると、もう泣かなくなった♡ʬ





私は人に言えないような、青春時代を過ごしたけれど、

あの高校に入って卒業出来たことを、

奇跡だと思っている。




今の強さがあるのは、頑張ったから。



遊びも、仕事も、悪いことも、

真剣にやった!!





私の青春時代は宝物。