free timeを楽しもう!

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最初はハンドメイドブログだったけど
反抗期な娘、反抗期的な息子のやり取りブログにかわりつつあります。

ご訪問ありがとうございます。


大好きだった、パン・お菓子、ハンドメイド。5年前仕事を始めて日に日に作らなくなりつつあります。
けど編み小物は時々気が向いたときに編んでいる。


子どもは娘は高1、息子は小5になり、娘は反抗期、しょっちゅうケンカするし、息子は基本甘えん坊ですが、時々どこかイライラしてる感じ。
可愛かった二人は少しずつ成長して今や扱うことが難しくなってきている。


ここ最近は娘とのやり取りのブログが多いですが、あのときこんなことあったねとか、あの時こんなこと言ってたで!と思い出話をするときが来るんだろうかと思いながらブログを書いています。

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ご無沙汰してます。

前回から3ヶ月も空いてしまってますが

変わりなく元気にしてます。

いつもと変わらないということが

幸せなんだとしみじみ思います。


日曜日のルーティンは

午前中に買い物を済ませ

お弁当の作り置きを作ること

ここ最近の撮りため画像です。

白ネギの酢の物
里芋の出し煮
オクラの胡麻和え
オーブンオムレツ
春雨の中華和え
ピーマンとちくわの塩昆布あえ
ひじきの煮物
厚揚げのチリソース炒め
わかめとキュウリの酢の物
酢豚
チンゲン菜とパプリカのペッパー炒め
厚揚げの煮物
水菜とこんにゃくの醤油炒め

きのこと里芋の煮物
切り干し大根の中華和え
おから
こんにゃくのガーリック炒め
人参とオクラのゴママヨ
人参とさつま揚げのきんぴら
こんにゃくのガーリック炒め
小松菜の塩だれ炒め
パプリカのマリネ
オクラと人参のゴママヨ
春菊の塩昆布あえ
さつまいものはちみつバター
ブロッコリーと玉子の塩だれ炒め

毎週悩みながら何とかなってる副菜

メインのおかずは当日作ります。

新しくなったガスコンロでピザを焼いてみました

メチャふっくら綺麗に焼き上がる。

パンも焼けるし、機能が充実しています。

そんな感じです。

毎日の弁当作りが困らないように

日曜日は作り置き作ってる。

そんなルーティンでした。




納棺の時

父が気に入ってた服や帽子

好きな食べ物を入れた。

まつごの水

息を引き取ったあとに口元を水で潤すことを

まつごの水といいます。

死ぬ1時間前に父が看護師にお水飲ませてくれと

言い飲んだ時に

「水、美味しいわ」

と言っていたのを聞いていて

向こうでも水たくさんのんでねと

言いました。

父にはもう感謝の言葉しか出てこなかった。

娘も、もっと遊びたかったって。



通夜は雨で

何十年ぶりかに来る従兄弟が

家が分からないと、近くまで来てるんだけど

と連絡が入った。

外へ出たら丁度来てくれていて、

大雨の中、来てくれた人に、車の駐車案内することになった。



帰りも高齢の人には寄り添って送ってあげたり。

この日も眠れず、母はイビキをかいてたわびっくり


そして告別式


最後の別れの時に声を上げて泣いてしまった。


火葬場に着いたとき

これで終わりか、もう会えないな

バイバイ~


家へ帰ったらすぐに参りに来てくれた人に

弁当パックを配りに行った。

その数17件くらい。

骨上げの時間があるので忙しい

全部廻りきれない

途中で切り上げて火葬場へ。

それから初七日の法要が終わって。

一段落。

子供たちが「今日、お母さん家へ帰ってくるの?」

「いや、今日も泊まらなあかんな」

えー😱!

そんなに帰ってほしいの?

そうかそうかほっこり




次の日は墓標を建てて(実家は墓地はあるものの誰もなくなってないので墓石は建てておらず)

骨を埋め

花と線香を建てて、お参りしました。



なんだかんだとやることがいっぱいなんだけど

家に帰ることにしました。

次の日(日曜日)

朝食を食べ、一旦座り込んでしまうと

どっと疲れがやってきて

何もやる気が起こらず

一日寝てしまいました。


一日寝て身体回復

その後色んな手続き、兄が全てしてくれました。




























一週間ぶりに、記憶を思い出して

父が亡くなって2週間経ちました。

あー、もう居ないんだ

少しずつ父の死を受け入れられるように

なりました。

病院では清拭っていうのかな??

私も手伝わさせて貰いました

入れ歯も入れてあげました。

もうその時は冷たく感じてたのに

家に帰ってきてタンカーから

布団に寝かせる時は

タンカーの台に温もりを感じました。

まだ温かいんだと思いました。


それから暫くして葬儀屋さんが来ました。

そして、兄と私で葬儀の段取り?を

決めて葬儀は自宅で家族葬になりました。

それからの準備が忙しくて

兄は書類関係

私はお茶菓子などの準備、家の掃除

その間に悔やみに来てくれる親戚の

対応。

家族葬と言っても父は5人兄弟、そして従妹が

わんさか、母も6人姉妹、50人は必ず来てくれます。

父ととても仲が良かった友達も来てくれました。

仮通夜では22時半くらいまではみなさん残っていて

くれました。

それから片付けをしてお風呂に入り寝ることにしました。

10数年ぶりに実家に泊まりました。

まぁ眠れないこと。

父がよく私の家に来て子供達を何処かへ遊びに連れ

て行ってくれてたので

その事ばかり思いだし、

泣いてました。

それに入院する前に

「お母さんを頼むで」

の言葉を思い出したり

殆ど寝れてません。


続く。