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自分に合った働き方を見つけるお仕事相談室*二階堂まき

今の仕事に違和感がある・がむしゃらに頑張ることに疲れた・もっと心地よく働きたい、という人へ。あなたが自然体のまま力を発揮できふお仕事の方向性をご提案しています。

 

 

今年の夏で、一緒に住んでいた

母方の祖母が亡くなってから

まる2年が経ちました。
 

 

いまだに祖母の家には、

介護用ベッドや洋服が散らばっていて。
 

リビングには、

祖母が気に入ってずっと使っていた

置き物や食器が残ってる。


「もう、そろそろ片付けよう。
 きれいにしよう。」

そう何度も言っているけど、

母の腰は重い。

「そうだよねぇ」と言いながら、
なかなか手をつけようとしない。

 


モノが多過ぎて分別が大変だから、

というのもあるけれど、
 

片付けって、ただの掃除ではなくて、

 

「モノや空間の中に残っている

 思い出とのカタをつける」

 

という側面もありますよね。

 

 

気持ちの整理が必要だから、

エネルギーがいるんだろうなぁ。

 

でも、もうそろそろ、

片付けた方がいい気がするから、

少しずつ母をせっつきながら、

断捨離と掃除を進めています。

 

 

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祖母が亡くなったとき、

不思議と母は涙を流すことは

ありませんでした。

 

自分の肉親であるうえに、

祖母はシングルマザーだったので、

母はものすごく泣いて悲しむだろうと

思っていたんですけどね。

 

 

それに比べて、私は大号泣でした。

 

 

祖母をお願いしていた

介護施設から電話がきたのは、

真夏の日の早朝4時半過ぎ頃。

 

化粧もせず、一番上にある服を適当に着て、

走って施設に向かいました。

 

 

祖母がいる部屋に着いたとき、

そこは、一瞬で鳥肌が立つくらい

冷たい空気が充満していて。

 

 

担当医師の確認がまだだったので

施設の人は明言はしませんでしたが、

 

鳥肌が立つほど

強烈に冷房が効いた部屋のなかで

静かに眠る祖母を見たとき、

 

もう、この世から旅立ったことを

悟りました。

 

 

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どうして母は、

自分の親が亡くなったというのに、

こんなに颯爽としているのか?

 

すごく不思議だったんです。

 

 

多少はメンタルパワーで

のりきっている部分もあったと思うけど、

それにしても、お通夜やお葬式を通じて、

涙を流す姿を見ることがなくて。

 

 

たった一人の親が亡くなって、

悲しんでいないわけがない。


 

じゃあ、なぜ?

 

 

 

この答えは、

しばらく経ってわかりました。

 

 

母は、もう、やりきったんです。

 

 

幼い頃からひとりで

自分を育て続けた祖母のことを、

 

「最後は私が面倒を見て、

 ちゃんと看取るのが責任」

 

と、よく言っていました。

 

 

私たち子どもの前では

あまり弱さを見せない人だけど、

 

祖母が認知症になって

私たち家族のことを忘れてしまってから

亡くなるまでの数年の間で、

 

悩み尽くして、
悲しみ尽くして、
大事にし尽くしたから、 

 

寂しさはあっても、清々しく

祖母を見送れたのだと思います。

 

 

後悔する隙もないくらいに、

母は祖母を想い尽くしたんです。

 

 

そう感じたとき、

じゃあ、私のこの涙は何なのか?

自問自答しました。

 

 

祖母が亡くなって悲しい。寂しい。

 

幼い頃に一緒に遊んだときの

祖母の笑顔を思い出すと切ない。

 

 

でも、それ以上に、

私の涙の理由になっていたのは、

罪悪感と後悔だったんです。

 

 

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祖母が認知症になって、

数十秒前の記憶も消えてしまうように

なってきた頃、

 

在宅で仕事中の私のもとに

祖母が来たことがあって。

 

 

何度も、何度も、同じ話と同じ質問を

繰り返し私に話してきました。

 

 

最初は、よかったんです。

 

でも、話が長くなるにつれて、

だんだん面倒くさくなって、

 

全然仕事を進められないことにも

イライラしてきて、

冷たく当たってしまいました。

 

 

数分手を止めて、

顔を向けるくらいできたはずなのにね。

 

 

認知症になると、

もちろん家族も悲しいし大変だけど、

 

何よりも、本人が一番、

不安で悲しくて苦しいということを、

私はもっとずっと後に知りました。

 

 

記憶がなくなっていく不安。

 

当たり前にできていたことが

できなくなっていく怖さ。

 

誰かのお世話がなければ生活できない

自分への憤りとやるせ無さ。

 

面倒を見てくれる人たちへの

申し訳なさ。

 

 

何より、こういう不安を

ひとり抱え続けることへの孤独感。

 

 

祖母は寂しかったんだと思います。

わざわざ急な登り階段を上がってまで、

私に話しかけに来たのだから。

 

 

今さら何を言ってもタラレバだけど、

あれが、あの頃の私の精一杯でした。

 

笑顔であたたかく接することが

できたらよかったけれど、

当時の私には、その余裕がなかった。

 

 

あの時、わかってあげられなくてごめん。

寄り添ってあげられなくてごめん。

 

 

私が涙が止まらなかったのは、

こういう気持ちがあったからだと思います。

 

 

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自分にとって大切で、大好きな人。

大切なもの、大切な環境。

 

みんな、それぞれにあると思います。

 

でも、それらが、今と同じように

ずっとそばにあるわけではなくて。

 

 

恋人や友だちなら、別れが来ることもある。

家族が亡くなる日も、いつかは来る。

 

 

どうしたって別れは悲しいけど、

その「悲しみ」には種類があって、

罪悪感と後悔の悲しみもあれば
晴れやかな悲しみもある。

 

 

だから、大切なものは、

大切にできるうちに、

目一杯、大切にすること。

 

自分なりのやり方で、

後悔する隙がないくらいに。

 

 

いつかは別れや終わりが来る、

という当然のことを

日頃から意識するのは難しいですが

 

いつその時が来ても悔いがないくらい、

大切なものに愛情を注いで

生きていきたいものですね。