自分用にメモ。
…明日は出れません。。
来週の○曜日は出れますか??
その日も出れません。。
…ちなみに次の日もお休みします。。
今まで出勤の要請なんてなかったのに、用事がある時に限って聞かれる謎。
でね、
必要とされるならば自分の用事をキャンセルにして仕事行こうかな??
とか、一瞬頭をよぎる。
しかも、来て欲しい時に出勤出来ない私は使えないやつって思われるかも。。
とかとか、一瞬で出てくる出てくる。
↑↑そして今までの思考パターンにはまって、自分責めを始める。
こともなく。
出れなくて申し訳無いけど、出勤出来ないことを伝えた私を褒めよう。
無理して出勤することにしなかった私を褒めよう。
最高最善に進んでいると信じよう。
出勤した日に、最善を尽くそう。
今日も一日良く頑張りました!!
人の役に立たない私は、価値がない。
誰かに必要とされない私は意味がない。
どこにも属せない私は、価値がない。
たまぁに、チラッと出てくる感情。
でもね、段々分かってきたんだ。
その感情、ぜーんぶフェイクッ!!
マボロシ〜
本当の私の気持ちはね、
自分で自分のことを大切に扱ってあげられなかったことが、悲しかったんだ。
誰かに必要とされなかったことが、本当に悲しかった訳じゃなくて、
自分の価値を、他人に委ねてしまいそうだった自分に気付いて、悲しくなったんだ。
洗濯物を干して、風でゆらゆら揺れているのを見るのが好き。
主人と息子が遊んでキャッキャ言ってる声を聞くのが好き。
そこに自分がいなくても、その存在を感じることで幸せを感じる。
自分がいるようでいなくて、
いないようでいるのだ。
昨日、夕方のニュースの特集コーナーで、養子縁組をした親子についての放送していて何気なく見ていたんだけど。
ある夫婦の元に、生後間もない男の赤ちゃんがやって来て。
(産みのお母さんは14歳。)
その後、女の赤ちゃんもやって来て、夫婦と子供二人の四人家族に。
その夫婦のおかあさん(子供達のおばあちゃん)が、
夫婦の元に(養子縁組として)来れた子供達は幸せだなと思ってたけど、それは違うことに気付いた。
この子達が夫婦の元に来てくれたから、私は幸せなんだと。
私、涙腺崩壊。
この人、凄いな。
養子縁組を決めたこのご夫婦も凄いし、
こんな素晴らしい事をさらっと言えるおばあちゃんも凄い。
ってことは、様々な葛藤や不安を抱えながらも、一つの命を産み落とし、自分の手では育てる事は叶わなかったけど、自分が命をかけて産んだ命によって、この世界の誰かを幸せにすることが出来たってこと。
この特集のテーマは、養子縁組の子供は幸せになったのか?みたいなことだったけど、
今すぐ答えが出ることじゃないし、私が何か言えることではないけれど、
産みの母のあなたが、その命を産んだことで、この地球の誰かが幸せになってるんだってことが、とても印象に残った特集でした。






