蟲師を見てました。
続の10巻収録の2話は、親子の物語でした。
蟲師は原作が先ではありましたが、アニメでドハマリした作品です。
多分、その作りがあまりにも原作そのままの世界だったからだと思います。
そして、いつもこの蟲師を見る度に、命の儚さと強さとを感じるんです。
私は昔から人ならざるものへの憧れを抱いて行きてきました。
物心着いた時には、目には見えていないものの存在を信じて、感じようと必死になっていたように思います。
感じなくても、見なくても構わないはずの存在に憧れたのは、多分、人間が苦手だったからでしょう。
友達と喧嘩をすれば直ぐに仲間外れにされる。それだけ我の強い子供でしたから、嫌われるのも仕方ないと思いました。
でも、母の影響なのか、私は人を嫌いになるという事は殆どなかったと思います。
人間は嫌いだけど人は嫌いじゃない。
簡単に言うと、人間と言うものは自分を爪弾きにし、寄せ付けなくさせる存在。
でも人は個々に違って、草木や動物と同じで命あるもの。と言う考え方だったんでしょう。
私は小さい頃から箪笥や本、茶碗やオルガン、存在する、手に触れられるモノ全てに命があるのだと思いながら生きてきました。
私がモノを捨てられない性格になった原因の一部には、これもあると思います。
引っ越しがそこそこあって、その度に捨てるように言われて捨ててきたものはありますが、捨てる時、何がそうさせるのか…泣きながら捨てたものもありましたが、ある程度大きくなってからは、あんなに大事に長年持ち続けていたモノを捨てろと言われた時、そして捨てる時、悲しくなることはなくなりました。
蟲師を見ると、小さい頃に見た風景を思い出します。
生まれてから9歳まで、自分は父方の故郷に居ました。
優しい、でも弱々しい祖母。強くて荒く酒飲みの祖父。
私は祖父母の家が苦手でした。簡単に言うと、昔ながらの日本家屋の造りで、トイレが人のいる場所から遠かったからだと思います。
祖母はいつも布団を足踏みミシンで器用に縫って作って居ました。祖父は酒飲みですから、昼間からお酒を飲んでいたことが多かったように思います。
元々言葉の荒々しい地方で、普通に話していても喧嘩でもしているんじゃないかと思う方言でした。
ある年。私の記憶では一回だけしか無いので、本当は何回か行ったことがあるのかもしれないですが、祖父の家からそんなに遠くない場所に社があったのですが、そこで祖父の膝に座って舞を見ていた記憶があります。
なんの舞なのか。全く判らないまま、私はそれを見ていた記憶があります。
その時、社の中はロウソクの灯りが暗く灯っているだけだったはずなのですが、私には舞を踊る人の周りに無数の光が見えていました。
子供の頃の曖昧な記憶なので、実は周りの飾りにロウソクの灯りが反射していたのか、もしくは舞を踊っていた人の衣装に反射するような金属があったのか。
なんにしても、祖父が私を上機嫌で連れ出した祭りはそれだけです。
でも、その時の祖父はいつもの怖い印象が無く、私は初めて祖父の本当の姿を見た気がしたものでした。
人間は嫌いだけど人は好き。
存在する全ての物には命が宿る。
人ならざるものが人知れず存在する。
父方の祖父母の家では、何度か不思議な体験をしています。
子供だったからこそだったのかもしれません。
今は、感性も廃れて毎日が平たいままです。
蟲師を見ると、胸がザワザワと静かに騒ぎます。
きっと、私の中の「人ならざるもの」が、蟲師の何かに触れるからかもしれません。
長々、おかしな独り言失礼しました(笑)
ではまた、今度。近いうちに…。