今、あなたはあなたのお母さんの死に直面しようとしていて、こんな時俺がどんな魔法の言葉をかけたらあなたの背負う悲しみや苦悩を少しでも和らげることができるだろうと考えている。そんなものは持ち合わせていないんだけど、どうにかして俺がかける言葉や行動、存在があなたを支える何かになればななんていうことを今日は1日考えてた。

しかし思えば先生が亡くなった時、俺を支えたものが何かあっただろうか。どんな親しい人がかけるどんな言葉も当時の俺の前では軽薄で、「どうでもいいから少し"2人"だけにしてくれ」と思った記憶がある。しかし、当たり前のように流れる時間や何も知らない街を歩く人達に幾許かのショックを受けたのもまた確かだった。偉大な人の死が俺にとっても誰にとっても、この世の終わりのように写って欲しかったし、今までと同じように流れる時は残酷なように思えた。

あなたが頼ってくれるまで少し距離を置こうか。俺を頼るとも思えないけど、きっと今俺がかける言葉なんて外野の、的を射ていない表現としかあなたには写らないかもしれないから。あなたに俺のご機嫌を取らせて、気を使わせるのも違う。どんな姿でも俺は受け止めるという覚悟を基に少し外から見守っていよう。

俺の経験から言うとたくさん泣いたところでなにかが解決したわけでもないし、気持ちに踏ん切りがついたわけでもない。ただ、感情を外に出すというヒトの特権を乱用することは別に悪いことじゃない。強がらずに吐き出してほしい。痛みを伴うことだとしてもどれだけ偉大な母であったかをいつか俺に自慢してください