このブログの内容もまた先日と同様パンダとは無関係なのですが、個人的に書き留めておきたいと思い、ここに記しました。

 

 2月12日、ニャンコさんが息を引き取ってから初七日を迎えました。大抵のことであれば時間はあっという間に過ぎたと感じることが多いのですが、この1週間はいつもより長く感じました。まずこの1週間を振り返ってみたいと思います。

 息を引き取った翌日の2月7日。動物病院は休診日でしたが、血液検査をするために予約を入れてありました。前日6日の午前中の通院の際に黄疸の症状が見られたからです。この日は電話が繋がらなかったため直接病院を訪れて先生に事情を説明したところ、「ふーちゃん(猫の名前)は病気に負けたのではなく、寿命を全うしたのです。ここまで長生きしてがんばってきたことをむしろ誉めてあげてください」とお声をいただきました。そして帰宅後すぐにニャンコさんに伝えました。よくがんばったね、と。

 そのときのニャンコさんは息を引き取ったときに寝かされていた場所から段ボールに移してありました。家族で話し合いの結果、役所に依頼して処分をしていただこうとしていたからです。

 午後になってから役所に連絡しますと、午後3時ごろに業者の方がニャンコさんを引き取りに来るとのことで、それまで待つことにしました。そのあいだ、段ボールに移してあげた際に、生前よく食べていたゴハンとおやつを入れ、さらに購入してきた花も供えました。最後は身体を舐めることもしなくなったにもかかわらず毛並みはキレイでした。若い時は背中によく毛が撚ってしまうことがあり、その都度切り取ったりしましたが、いつしかその撚れもしなくなりました。

 連絡してからほんの30分後、業者の方が来られました。予定よりも1時間も早い到着です。段ボールの中身を確認していただき、こちらでガムテープで留めて引き渡しますと、助手席の足元に置かれました。これがニャンコさんとの最後のお別れでした。

 このときは予定時間よりも遅くなって待ち続けるよりも早く引き渡せてよかったと思いました。しかし、後になってニャンコさんの毛並みを少し切り取っておけばよかったと後悔しました。

 

 時間を追うごとに、あのときこうすればよかった、ああしておけばよかったといくつも思い浮かべては涙がこみ上げてきました。ニャンコさんが横になって身体が動かなくなってから、身体を温めるために電気敷毛布を使用したのですが、それよりも冬場によく寝ていた厚手の毛布を敷いてあげればよかったと後悔したこともそのひとつです。

 このときは体力を温存しているだけで、夜になったらいつものようによたよたと歩き出しては何かを訴えるように鳴くのではないかと心のどこかで思っておりましたし、ニャンコさんの前にいた先住猫は20年生きましたので、まさかその日がきょうだとは思ってもみませんでした。

 先住猫(名前:チーちゃん)は、息を引き取る10分ほど前までゴハンを食べていたそうです。この日は夜遅くに帰宅したのですが、あまりにも突然のことであったため、自分も家族も悲しむ余裕はなかったのかもしれません。

 生前は今回のニャンコさんと違って病気知らずでした。ただ、まだ若いときに右足を負傷し、病院で診ていただいたところ、あと数日遅れていれば命がなかったと言われました。そしてその右足はすでに壊死しており、手術により切断。しかし、その数日後には3本足で器用に歩きだし、健常猫と変わらぬ生活を送ることができました。しかし、たまに外に出ては野良猫に尻尾を噛まれたりするなど弱い面がありましたが、内臓のほうは最後まで強かったのかもしれません。

 

 ニャンコさんの毛を切り取っておくことはできませんでしたが、着替えるたび洋服のどこかにニャンコさんの毛を見つけることができました。まだすぐ近くにいると主張しているかのようです。また、性格が内弁慶だっただけに、家の中ではとにかくいたずら好きで、ありとあらゆる壁や襖や障子や柱に多くの「爪あと」を残してくれました。そのたびに張り替えるなり直そうかと思ったのですが、直してもすぐにやられてしまうだろうということで、けっきょくそのほとんどがそのままの状態で残っております。しかし、派手に引っ搔いた襖の傷も、爪で障子に開けた小さな穴も、今となりましてはすべてニャンコさんがここに存在したという証となりました。

 引き渡しをした数日後、毛を切り取っておくことができなかった代わりとしまして猫の髭ケースというものを購入してみました。桐製の箱で、オプションでネコの名前などを焼き印してくれるサービスもあるそうなのですが、ニャンコさんの名前を忘れるはずがありません。よって最短日で届くものを選んでみました。

 ニャンコさんの髭はこれまで家のなかで見つけるたびに棚や台の上に置いておいたものです。なかにはぬいぐるみの頭に刺してあるものもありました。かき集めましたら合計で30本ほどになったでしょうか。猫の髭というものが一生涯でどれだけ抜け替わるのか分かりませんが、これらをまとめてニャンコさんのゴハンのお膳だった場所に供えました。大安だった2月11日のことです。また、その近くには動物病院の先生からいただいたお花も活けてあります。

 

 もともと血液検査をするために予約をしていた2日後、もう1度動物病院に訪れなければなりませんでした。ニャンコさんを最後に診ていただいた2月6日の午前中は休診日だったため、そのときの診療代の支払いが残っていたからです。

 病院を訪れ、最後の支払いを済ませますと、先生から「これまでよくがんばりました」とのお声とともに、お花をいただきました。それから「また縁がありましたら、また来てくださいね」とも言われました。猫との出会いは縁なのだそうです。また縁を作ることができるでしょうか。まだいまのところそこまでは考えられません。

 

 もともとニャンコさんはノラで、ご近所の家の近くで1日中ピーピー鳴いていたそうです。それが2005年5月30日のことでした。そして翌日、そのご近所の隣家の方に猫がいるとの話がいき、さらにそこから猫を飼っていたからとの理由でこちらに話が来たらしく、母が会いに行くと頻りに後をついてくるので一晩だけと引き取ったのがニャンコさんとの出会いでした。なお、このとき自分の家では先住猫が亡くなってから半年ほど経っており、もう猫を飼うのは止そうとしていたそうです。

 出会いは縁であるとか、巡り合わせだとか、はたまた運命などと言いますが、あのときご近所からお話を伺って母がニャンコさんに出会わなければ、その後同じ時間を過ごすことにはなりませんでした。否、そもそもこのとき、もし先住猫が生きていれば会いに行くことすらしなかったかもしれません。たまたま家に猫がいなかったので引き取ることにしたのでしょう。そのような偶然が重なり、ニャンコさんとの縁が生まれたのだと思います。

 ただ、偶然や縁のなかには「もし」という仮定も関わってくるわけで、もしニャンコさんの体調の変化、とくに体重が減ったことに対してすぐに行動を起こしていればニャンコさんとの縁はそれ以上に続いていたかもしれないと思うと、いまもいたたまれません。そのような知識を持ち合わせていなかったと言えばそれまでですが、その後明らかに体調がおかしいと気づいたときにはもうすでに遅かったのです。しかし、ニャンコさんは長い道中の通院に耐え、先生からの治療を受け、ニャンコさんなりに必死に頑張った18日間でした。また、自分たち家族にとって今となってはかけがえのない濃密な時間であり、ニャンコさんからいろいろと教わったような気がします。

 いま思えば母がニャンコさんの不調を感じたあと、鼻炎がひどくなり薬を飲み始めることになりました。薬は顆粒タイプで、ゴハンまたはおやつに混ぜて飲ませます。ニャンコさんはこのころになってようやく「ちゅーる」の味を覚えましたので、混ぜることができましたが、実は最初は匂いすら嗅ぐこともありませんでした。

 もともと結膜炎であったことから時おり目薬も点しておりました。よく眼からは茶色い涙を流しており、顔を激しく降るとその体液があちこちに飛び散ったものです。そこに鼻炎が慢性的に始まったことでいつもひどい顔をしておりました。

 最初は薬を数日飲めばその効果が表れていたのですが、だんだんと効き目が鈍くなり、やがて薬入りの「ちゅーる」を舐めなくなりました。また、その前にはゴハンをまったく食べなくなった時期があり、1日1回のカリカリのおやつだけでしばらく過ごした日々もありました。そのときはちょっと身体がおかしいのかな?程度にしか思っていなかったのですが、いま思えば十分過ぎるほど体調の変化の兆しが出ていたのです。それを汲んであげられなかったことも後悔のひとつです。

 

 襖や障子の爪あとや抜けた髭、そして顔を振ってあちこちに飛び散った体液や粘膜のシミなど、ニャンコさんの残した痕跡は数多くありますが、息を引き取った翌日からニャンコさんに関する身の回りのものや関連したものを整理し始めることにしました。ニャンコさんのゴハン膳に残ったお皿などはひとつを除きすべて箱に仕舞い、その残したひとつはゴハン膳に毎朝お水を入れて置いています。また、大量に購入してもそのままだったゴハンやおやつは未開封のものだけをピックアップして知り合いの方を通じて猫を飼っている方に引き取っていただきました。それからニャンコさんの使用した毛布やタオルも仕舞い、玄関先に置いてあったトイレも片付けました。ニャンコさんのものが目に入るとどうしても思い出してしまうので辛いからです。そして本来であればニャンコさんがよく寝ていた自分の布団を干したり、部屋に掃除機をかけたいところなのですが、それらをするとなんだかニャンコさんの存在が薄れてしまうような気がしていまだ出来ずにおります。とくに自分の部屋の床を見ますと、あちこちに猫砂の一部が落ちています。ニャンコさんが用を済ませたあとに両手両足に挟まってこぼれ落ちた猫砂でしょう。最後まで自分の足でトイレに行っておりましたが、最後の最後に動けなくなったとき、トイレまで連れていきますと用を足すどころかそこでへたっておりました。最後の日は食べることはもちろんのこと、水もほとんど飲んでおりませんでしたので、出るものも出なかったのでしょう。

 

 とくに通院が始まったころからニャンコさんはほぼ絶食状態が続いていたため、こちらも食欲が落ちました。ニャンコさんとは状況が異なりますが、かく言う自分も一昨年から昨年までの一定期間、なかなか食べ物がノドを通らない時期がありました。毎日空腹になるという感覚がなく、少し食べられるかなと思っても、ひと口食べただけで胸がつかえてしまう日々が続きました。それでも体重が減ることはなかったのですが、ニャンコさんが息を引き取った夜は前夜と比べて1.5キロほど落ちていました。人間は数日間物を食べなければ、あるいは食べる量を減らせばある程度体重が減るのでしょうが、精神的ショックは自分の思う以上に大きいのだと実感しました。その後も食欲のわかない日々が続きましたが、落ち着けばまた食べられるようになると思います。ただ、ニャンコさんの最後がまったく物を食べられなかったことを考えますと、自分だけお腹いっぱい食べることに罪悪感を覚えるため、まだ少し時間がかかりそうです。

 その一方で通院していたときにふと耳鳴りがしなくなったと感じました。耳鳴りは数年前から患っているのですが、もしかしたらニャンコさんがいっしょに持って行ってくれたのかもしれません。というより、ひとつのことだけに集中していたために、それを感じる余裕がなかったのでしょう。日が経つにつれてだんだんと気持ちが落ち着いてきますと、ようやくそのようなことが考えられるようになりました。

 

 初七日に再び花を購入してきました。先生からいただいたお花も健在です。それからニャンコさんが好きだったものをと思ったのですが、若いころからあまり玩具で遊ぶということはしませんでしたし、どちらかと言えば味の好みがコロコロ変わるほうで、新し物好きでした。よって新しく購入してきたゴハンを食べてくれると嬉しく思ったものですが、けっきょく新たにお供えするものは思いつきませんでした。このあとゆっくり思い出せればと考えております。

 あらためて最後の日々を思い出しますと、1日でも長く生きてほしいと思う反面、これ以上体調が回復するとは見込めず、日1日と弱っていくニャンコさんを見続けることが辛いと思っておりました。ニャンコさんとの出会いは偶然が重なってこのような縁ができたわけですが、その縁は決して短くなることもなく、また、これ以上長くなることもなく、出会いから16年9カ月後の2022年2月6日という日が上限だったのだと思います。残念ながらこの上限を増やす偶然や奇跡は決してなかったのでしょう。

 2月10日、業者さんから役所を通じて焼却処理手数料の納付書が届きました。発行日が2月8日でしたので、引き渡した当日、あるいは翌日の午前中にほかの動物たちとともに焼却されたのだと思います。このあとすぐに3連休に入ってしまいましたので、週明けにこの支払いを済ませばすべて完了となります。少し肩の荷が下りたと思えるでしょうか。

 そういえばニャンコさんには「お友達」と呼べる生き物がいなかったため、また、根っからの内弁慶でしたから、虹の橋の向こうで皆さんと仲良くできているのか心配です。もし先住猫と出会ったら、あそこの家族はああだった、こうだったとお話してほしいと思います。なにせ先住猫は20年間、ニャンコさんも17年近い付き合いがあったのですから。