よりぬきParc fermé

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 角館の日はすっかり落ちていて、ただしんと静まり返ってる。

角館の少し手前の駅から乗ってきた乗客たちが、薄暗い町中へ姿を消してしまえば、ただ一人ぽつねんと大きくも小さくもない駅のホームに取り残された。

用事も考えるべき事も無いので、ただホームのベンチに腰かけてホームの向こう側にあ黒々として何もない闇の中に目線を向けるのみである

何かを見ているようで何も見ていない様はまだ阿房列車の余韻を残してはいるのである。

そうしていると、昨晩からの取り留めのない様々な出来事が暗闇の中で反芻されて、それが映像としてそこに映っている様な気持ちがする。

しばらくの間そうして居ると、暗闇の中から眩く無遠慮な光と共に侵入してきたひどく赤い弾丸特急たる新幹線車両によってすべての余韻も森閑としたく暗闇の空気も、大鰐の溢れる湯も、雪の中に消えていった坊主頭も、林檎のほっぺの学生諸君も、ひどくぐちゃぐちゃとしたアナゴの弁当も一瞬にして角館の夜空の向こうに霧散してしまった。

 

 外気との温度差のせいか少し蒸れたような弾丸特急の車内は満員で、ネクタイをだらしなく緩めた勤め人達が陽気に缶ビールを開けては豆だかイカの干物だかを口にしながら、今日の出張の成果なぞを確認し合っていて、その飛び交う会話と会話の合間を縫うように、ワゴンの車販嬢が酒やら弁当やら珈琲やらなんやらかんやらを忙しなく運んでくる。

 その容姿は勤め人も車販嬢も都会的で画一的で、東北の山間部にいるのにこの赤い数珠つなぎの車内だけが東京のようであった。

なんだか一人だけ寝巻のままで社交場に放り出されたような居心地の悪さを感じる。

感じるけれど、それは勝手に目的もなく阿房然としてふらりふらりとマタギの山深くから運ばれてきたこちらの勝手な思惑であって、不平不満を述べるのは全くのお門違いである

お門違いであるからして黙って漆黒で何も見えはしない車窓をじっと見つめている。

同じ暗闇の車窓でも昨晩の夜汽車とは随分と趣に違いがある。

そうしていて、弾丸特急はまたしても目的地の函館とは関係のない東京の方向へ走って行くのであった。

秋田新幹線『こまち』は正規の新幹線規格の軌道である東北新幹線内にごめんあそばせと侵入し、ゆるゆると停車した。

日も暮れているので岩手山の影も形も見えはしないが、南部領盛岡である。

この地に移り住んだ友人の都城と五稜郭氏夫妻と今晩は一献の予定である。

さてどんな顔をして二人に再開しようかと考えるとなんだかくすぐったい様な気持がして来た。上野を汽笛一声で出発してから二十一時間にして、この旅で最初の予定なる用事である。

 

 

 随分と良いこんころもちである。

麦酒をずいずいと流し込み、日本酒を何合かいただいた様に思う。

この晩餐の為に昼の酒を割愛した甲斐があった。

所は夫妻が贔屓にしている小奇麗で大きな鮨屋である。

噂の通り三陸の美味い魚と肴、そして山の幸をつけ場の前に据えられた随分と長いカウンターに腰掛けていただいている。三十人は座れるかと思われるカウンターで、どの席にも鮨を楽しむ客で満員御礼であり、つけ場の中では幾人もの職人が優雅に鮨を握っている。

三陸の魚の握りの美味さは当然として、フキノトウ味噌がとても印象的であった

昨晩自宅を出てからこの時まで数えるほどしか言葉を発していないので延々取り留めなく話したように思うが、随分とお酒を頂いた様でそのほぼ全てを今となっては失念しているのである。

ところで随分とお酒を頂いているのは、実は阿房な一日を過ごしてきた私だけなのである。昼時から東北の太平洋の側はひどく雪が降っていたようで、五稜郭氏は仕事で訪れていた八戸からの帰りにその大雪にあたり、そのまま車を運転して登場した次第。なのでアルコールの類はお縄となる状況。実に申し訳ない。実に申し訳なく思いはするのだが「稜ちゃんごめんねえ」などと猫なで声を出しながらまたお銚子を頼んだりする。

 そうして随分と南部領の魚と酒を飲み食い散らかして、場はお開きと相成った。

今晩はこのまま夫妻の御宅に一泊の宿を提供してもらう予定なので、ここは阿房の私が払わねば酔った頭で考えていそいそと財布を取り出して支払いを済まようとしたが、五稜郭氏と都城に強く止められてしまい、恐縮しきりで御馳走にあずかることとなってしまった。    

であるからしてこの鮨屋の御代がいか程であるかは今もって皆目わからないのである

 

 

 先ほどまで洒落た鮨屋のカウンターで鮨を摘まんでいたが、今は素っ裸である。

湯けむりがもうもうとしていて、私の前を歩く五稜郭氏の白くて逞しいお尻がぷりぷりとしている。

 鮨屋を後にして酔いのままで夫妻のお勧めである湯屋に立ち寄ったのである。

実に大きな湯屋で五稜郭氏のぷりぷりしたお尻を見失ったら酔いも相まって迷子にでもなりそうである。したたか酔っていたので気持ちのどこかでは突然に湯けむりに包まれた様な感じがする。

内湯に少し浸かってから、屋外にある五稜郭氏お勧めの五右衛門風呂へふらふらと移動する。大人一人が入れる大きさの壺のようなものに湯がざぶざぶと注がれていて、それが二つか三つ並んでいる。

その二つに五稜郭氏と並んで身を沈めてみた。

ひどく良い湯の加減に、腹の底から全ての雑念や邪気やら倦怠感が声となって漏れ出た。

湯の壺の縁に両手をかけて、冷えた南部領盛岡の空気を吸い込み、顔を夜の空に向けてみれば、そこには大きくて真ん丸とした月が湯煙の加減でおぼろとして見えた。

ふと神奈川に残してきた妻子の顔がそのおぼろ月に浮かんで見えて、少しだけ寂しい様な会いたい様な気持ちもしたが、ざぶんと隣の湯の壺から出た五稜郭氏のぷりぷりとしたお尻を見ると、それは氏の顔のようにニコニコとして見えて、なんだか又ひどく楽しい気持ちになってくるのであった。

 

 

おしまい


2018.2 筆