“この子が二十歳になった時って、俺たち・・・50歳になってるって事?・・・”
ずっとずっと未来の事だと油断しておりましたら、あっという間に時間が過ぎて、未来が突然、紛れもない現実として、つまり既に未来ではなくなっていました。
あぁ~ウマイ!・・・缶チュウハイをグイッと飲んだ娘が、まるでどこかのオヤジのように口をついた。現在、就職活動の真最中。リクルートファッションに身を包む日々が続いている模様。その日の体と心の疲れを癒すかのように、そして何より、がんばっている自分を励ますかのように、自ら至福の瞬間を味わってのひと言のようだ。そんな彼女を前にして、仕事選びや会社捜しのあれこれやら、人生や生活の中での仕事の位置づけやらを、訥々と話すタイミングがありそうなものだが、この50の親父、実は自分も勤め帰りに既に一杯ひっかけた後で、どうやらそんなアドバイザー的資格も無いようで、たぶんお酒が不味くなると睨まれるのがおちである。いつまでもストレス社会を勝ち抜けず、ストレスに身を包む毎日を積み重ねての今、とにかく自分で選んだ仕事を頑張って続けてみなさいとしか伝えることは無さそうだ。その親父、今や唯一のストレス発散法として20年近く続いているジョギング、別段たいしたことではないのだが、続けられるうちはこれからもやめないだろうし、たぶん仕事よりも長く付き合っていくに違いない。今年も一年に一度しか咲かない桜が開花した。それを見上げながら走る時、ふと思った。はたしてあと何回見られるのだろうかと。あまり油断が過ぎると、見たくてもそれを待ってくれない時期が来るかもしれない。そう思うと自然に足が止まり、ゆっくりと見つめた。またまたあっという間の20年、なんてならないようにしないとなぁ・・・。毎日の積み重ねで人生は出来上がっていて、その毎日は、短い時間の積み重ねで出来上がっていきます。出来上がった毎日や一月や一年や五年や十年が、人生そのものです。人生は結果ではなく、過程なんです。なんて、小難しいことを時々考えながら、50の親父は一杯やってるわけで、そんなことは、若い連中には鬱陶しい講釈にすぎず、強烈なストレス社会を経験しない限り、たぶん全く採用されないアドバイスなんだろうなぁ・・・。いつもより随分ゆっくり見つめた桜を背に再び走り出すと、意地悪な春の風に早々と散らされた花びらたちが、地面をころころと追いかけてきた。おそらくあの桜の木のほうが、自分より長生きするだろうなぁと振り返ると、“一年に一度ちゃんと咲きますが、別段たいしたことでもありません”と言いたげに、枝を揺らした。ずっとずっと前方の風景が、知らず知らずのうちに目の前まで来ていると、そこに時間の経過を感じざるを得ませんが、意思とエネルギーを伴った自らの人生のプロセスのひとつとして、胸を張ってその風景を迎えたいといつも思う。振り返っても既に見えなくなった、別段たいしたことのない風景と、気ままに道を選んだ結果遭遇する真新しい風景と、動かず騒がずとも、年に一度必ず咲き誇る桜を思いながら、50の親父は自分の人生を楽しんでいるわけなんです。汗といっしょに、強烈なストレスを発散させながら・・・。
あぁ~ウマイ!・・・ジョギングのあとの一杯のビール、まさに至福の瞬間である。