“この子が二十歳になった時って、俺たち・・・50歳になってるって事?・・・

 ずっとずっと未来の事だと油断しておりましたら、あっという間に時間が過ぎて、未来が突然、紛れもない現実として、つまり既に未来ではなくなっていました。

あぁ~ウマイ!・・・缶チュウハイをグイッと飲んだ娘が、まるでどこかのオヤジのように口をついた。現在、就職活動の真最中。リクルートファッションに身を包む日々が続いている模様。その日の体と心の疲れを癒すかのように、そして何より、がんばっている自分を励ますかのように、自ら至福の瞬間を味わってのひと言のようだ。そんな彼女を前にして、仕事選びや会社捜しのあれこれやら、人生や生活の中での仕事の位置づけやらを、訥々と話すタイミングがありそうなものだが、この50の親父、実は自分も勤め帰りに既に一杯ひっかけた後で、どうやらそんなアドバイザー的資格も無いようで、たぶんお酒が不味くなると睨まれるのがおちである。いつまでもストレス社会を勝ち抜けず、ストレスに身を包む毎日を積み重ねての今、とにかく自分で選んだ仕事を頑張って続けてみなさいとしか伝えることは無さそうだ。その親父、今や唯一のストレス発散法として20年近く続いているジョギング、別段たいしたことではないのだが、続けられるうちはこれからもやめないだろうし、たぶん仕事よりも長く付き合っていくに違いない。今年も一年に一度しか咲かない桜が開花した。それを見上げながら走る時、ふと思った。はたしてあと何回見られるのだろうかと。あまり油断が過ぎると、見たくてもそれを待ってくれない時期が来るかもしれない。そう思うと自然に足が止まり、ゆっくりと見つめた。またまたあっという間の20年、なんてならないようにしないとなぁ・・・。毎日の積み重ねで人生は出来上がっていて、その毎日は、短い時間の積み重ねで出来上がっていきます。出来上がった毎日や一月や一年や五年や十年が、人生そのものです。人生は結果ではなく、過程なんです。なんて、小難しいことを時々考えながら、50の親父は一杯やってるわけで、そんなことは、若い連中には鬱陶しい講釈にすぎず、強烈なストレス社会を経験しない限り、たぶん全く採用されないアドバイスなんだろうなぁ・・・。いつもより随分ゆっくり見つめた桜を背に再び走り出すと、意地悪な春の風に早々と散らされた花びらたちが、地面をころころと追いかけてきた。おそらくあの桜の木のほうが、自分より長生きするだろうなぁと振り返ると、“一年に一度ちゃんと咲きますが、別段たいしたことでもありません”と言いたげに、枝を揺らした。ずっとずっと前方の風景が、知らず知らずのうちに目の前まで来ていると、そこに時間の経過を感じざるを得ませんが、意思とエネルギーを伴った自らの人生のプロセスのひとつとして、胸を張ってその風景を迎えたいといつも思う。振り返っても既に見えなくなった、別段たいしたことのない風景と、気ままに道を選んだ結果遭遇する真新しい風景と、動かず騒がずとも、年に一度必ず咲き誇る桜を思いながら、50の親父は自分の人生を楽しんでいるわけなんです。汗といっしょに、強烈なストレスを発散させながら・・・。

 あぁ~ウマイ!・・・ジョギングのあとの一杯のビール、まさに至福の瞬間である。

 目は体の前にある。前を見よう。未来を見よう。良いふうに良いふうに考えよう・・・

27年前、今の会社に勤め始めた頃、時折唱和していた言葉である。長かったが名残惜しい学生生活に別れを告げ、初めて社会の風に触れ、これからその冷たさや暖かさ、心地よさや息苦しさを膚で感じていかねばならぬ頃である。そして、つれあいとひとつの家族をスタートさせたのも、ほぼ時同じかりし頃である。ぼんやりとした未来を、二人でぼんやり想い描きながら、何かを楽しみに前を見てここまでやってきたような気がする。冒頭の言葉は、何かにつけ序の口の人間にはひと際ありがたい言葉であって、途中躓こうが、まさかの坂を転げ落ちようが、とにかく起き上がり、そこから見える前を見て何度も進んで行けるお呪いであった。とても月並みだが、時の流れはあっという間である。四半世紀が過ぎた。おかげさまで、会社は今も健在である。すでにお酒を飲める歳になった一人娘は、今までの我が家族史のページに、大半顔を現す主人公である。幸いにして、素直に前を見て歩いてくれているようだ。時代は変われども、人の心や道はそうは容易く変わらぬもの。我々が見てきたこと聞いてきたことを、時折心に吹き込んでやれば、あとは自ずと道を見つけて行くでしょう。「最近、新聞の字が見にくくって・・・」このところ、つれあいがよく口をつく。それを聞く自分も、もうずいぶん前からそう感じている。昔、亡き祖母から聞いたことがある。「人間歳を重ねると、遠くどころか近くも見えにくくなる。あんまり先のことも、あんまり近くのことも、はっきり見えすぎてもあかん。自分にあったほどほどの所がよーく見えればええんや・・」  春に向かって年が明けた。久々に海からの初日の出を拝んだ。目の前を見ながら、どうか良い年になりますようにと祈った。家に戻り、なにげにカレンダーを眺めた。「今年で25年、銀婚式だなぁ」 「あっという間ねぇ」元旦の分厚い新聞を開きながら返事を返すつれあい、いつ買ったのだろうか、老眼鏡をかけていた。まだまだ続く未来は、いつまでもぼんやりししたものだが、何かを楽しみに、これからも前を見て行きましょうか・・・ほどほどの所、よーく見えますように・・・ 

いいにしろ悪いにしろ、いろんなことを忘れっぽくなった事は否めない。

“ですよね~”っという嫌いな言葉で、少し年下の輩に同類扱いされるが、言っとくが、君たちとは振り向きざまの視線の角度と、我が心眼の焦点距離がたぶん違う・・・。

 今年もあとふた月をきった。○○の秋たけなわだが、ここんとこ器が小さい自分を証明するかのように、あたふたと過ごしているせいで、○○の秋を満喫できずにいる。でもそんな中、家人と娘が交わす会話を聞くでもなく耳にすると、それなりに季節の移ろいを感じ、心癒される瞬間が無いでもない。・・・“あのブーツにはどれが合うの?”“ねえ、お母さんのあの薄目のセーター、私にもいいんじゃない?”“昔買ったこのアクセサリー、つけてみる?”・・・つまりはオシャレの秋である。“今日から学園祭で、もういろんな模擬店で食べてばっかり。たこやきでしょ、きしめんでしょ、やきそば、フランクフルト、ジャガバター、それからそばめし・・”“美味しそう!学園祭いつまでなの?私も行こうかしら”・・・これ食欲の秋である。“お父さんってすっごく本読んでたでしょ。北の部屋あんなにいっぱいだもんねえ。私も電車の中ぐらい本開かなきゃね”“そうよ、雑誌ばかりじゃだめよ”・・・読書の秋である。“ねえ、お父さんが有線つけると、きまってピアノソナタのチャンネルだけど・・”“なんか好きみたいねえ。まあ落ち着く感じするけど”・・・むりやり芸術の秋である。“そういえばもうすぐマラソンじゃない?”“よくまあ続くわねえ”“いつまでやるのかしら”“知らない・・”・・・スポーツの秋である。

桜が咲く少し前あたりに突然の幸運が舞い込んでから、我が家の今年は、家人も娘もそれまでの浮かぬ顔を忘れてしまったかのように、朗らかに過ごせてきている。今年の初詣で、よっぽど粘って願い事を訴えたに違いなく、さすがの神様も根負けしてくれたのか、たぶん今年に限ってという条件付きで幸運を授けて下さったのだろう。少々用心深い私は、折にふれ浮かれた様子の娘を見つけては、ツキはいつまでも続かぬと釘をさしているのだが、しかしそういう自分も、いいにしろ悪いにしろ、心浮かぬ頃のことを忘れ、物事の道理、人生の尊さへの熟慮をないがしろにしがちな時があり、とてもぶざまな格好を見せてしまう事しきりである。 今年もあとふた月をきった。“朝晩寒くなりましたねえ”同じ屋根の下の住人達とエレベーターで会っては繰り返される挨拶。その度に秋は深まり、冬がぐっと近づいてくる気がする。あいかわらず器の小さい自分だが、四季折々の風情ぐらい感じるよう心豊かに過ごすべきだと反省する。夜も更けた頃ベランダに出てみる。東の方角に早々と現れたオリオン座に、眠い目の焦点を合わせてみる。大事なことを忘れぬようにと、去年の今頃を振り返ってみる。・・“明日ミクロ経済学のテストなんだけど、よく解んないんだよねえ”“なんか聞いたことあるけど忘れちゃったわ”“ほんと、何の役にたつんだろね”・・相変わらず夜中まで浮かれた話に盛り上がってる二人の声が、ベランダまで届いた。・・はてさて、もうかれこれ何本の釘をさしたことだろうか・・忘却の秋である。

                    またまた,2004年 秋 の拙文でした。


そして、2年・・・

時が過ぎるのはホントに早いもので、あれからずっと浮かれ続けている様に見うけられる娘も、そろそろ本腰を入れて、自らの将来に焦点を合わせ、社会に出る準備にかかる時期を迎えつつある。家人はといえば、最近になって、近所の古い小料理屋でのアルバイトを一週間の時間割に加えた。料理の達人の如く、数種のお品書きを書いて腕を揮う、そんなご主人が仕切るこだわりの店らしい。そして私、実はあさってがマラソン大会。このところ、残業のみならず思うように休暇もとれず、全くのトレーニング不足の中のぶっつけ本番、しかも天気がいまひとつかも・・・それぞれがそれぞれに、○○の秋たけなわの様です。いろんなことに遭遇しては、いろんなことを忘れてゆくのが人生のようです。さてさて、大事なことを忘れてないかなぁ・・・って、ベランダからオリオン座を見上げた。

                          2006年 11月 晴天

 “毎年コレ完走しないと、一年終わらないよねえ・・・”スポーツ新聞をオヤジ風に両手で広げ、完走者一覧のページに見入りながら、娘がポツリと言った。確かにほぼその通りだ。“こんなにたくさん載ってるけど、知ってる人いるの?”“・・・いない”言われてみれば、少しぐらいいてもよさそうなのだが。

 足の痛みもすっかり消えて、二週間ぶりに走りに出た。春あんなにピンクで、夏あんなに緑だった桜の木々も、一年の役目を終えたように、すっかり枝だけになり、まるで水墨画のように寒々しい。歩道の両脇には枯葉が重なり、時折風につられてカサカサと近寄ってくる。この国の四季は、春と同じく秋もきわめて短くできているようだ。

 どのくらい前だったか思い出せないが、たぶん娘がまだ私の膝の上に勝手に乗り込んできては、まるでそこが自分の指定席のように当然の顔をしていた頃だったか、家族三人で日帰りデイズニーランド行きを強行した時があった。日帰りと言っても、帰路は夜行列車という変則計画で、昼間ひとしきりはしゃいだ後、確か東京駅を午後11時半頃発だったと記憶している。自宅着は朝方6時とか7時。当然クタクタでバタンキュー(古い!)ところがその日は、実は前々から申し込みしてあった植樹祭の日。この街の何かの記念で、某所にて一家族一本の苗木を植樹するという日。二人の気持ち良さそうな寝顔を尻目に、しかたなく一人で会場へ向かい、しかたなく一人で苗木を植え、記念に銀色のスコップを貰って帰った覚えがある。

 あれから何年か過ぎた今も、時々そのそばを通って走ることがある。眺めてみても、あの時自分が植えた木がどれなのか分からない。唯、枯れることなく回りに植えられた多くの木々とともに、しっかりと成長していることは間違いなさそうだ。確かあの日、専門家の指導を聞きながら、土に穴を掘りそっと植えつけた木、何の木だったかも覚えていないが、時折そばを通ると、自分を見つけて手を振っているような不思議な気分に必ずなる。あの時夢の中の二人には申し訳ないが、あれは私一人が植えた木である。そして私よりもずっとずっと長生きする一本の木である。春から夏にかけ緑でいっぱいになり、秋から冬には色を変え葉を落とし、そしてまた若葉を出す仕度にかかる。ゆっくりとした時間の流れの中で、着実に生きてゆく彼らのそばを、一人の男があくせくとした生きざまを見せながら、走って通り過ぎる。たぶん手を振りながら笑っていることだろう。

 “来年も元気に走っていたいです。一人でも結構楽しいですよ。”・・・カサカサカサ・・・と落葉たちが足元に近寄ってきた。きわめて短い秋が終わろうとしている。

                    2004 年 秋  

   ・・・2年が経過しました。あいかわらず走っています。若干、体重は減少、体脂肪の数値は13と出る時あり。冷えたビールは毎日飲みます。昨年の秋、親父が他界した為、出場を断念したジョギング大会、今年は走りますよ。もちろん一人です。おかげさまで元気です。 

                    2006 年 秋

 ごく一般的なことだが、相も変わらず、自宅と会社を往復する毎日が続く。しかも自宅で過ごす時間の大半が睡眠となると、我が人生の軌道、如何なるものかと、少しは考えてみたい時間も欲しいが、そんな時間もなかなか見出せない。幸い、週に二日は休暇が取れ、家族との会話もそう途絶えることもなく、ごく普通の世帯主としての顔は保たれている模様。趣味のジョギングもほぼマイペースで、これに関する10年来の家族の目と言えば、当初の疑心から始まり、長い時間をかけてようやく諦めに到達した模様。体調さえ良ければ、休日の数時間をマイペースに外で過ごす。近所ではあるが、四季折々の風景と何度も繰り返し接しながら、時の流れやら自然の美しさやら、人間を含めての生物の不可思議さに心を任せている。そんな訳で休日と言えど、覚え書きをせねばならぬ類いの予定や約束事も滅多に無く、加えてずぼらな性格も重なり、毎年の手帖は白紙のページが続く始末である。先日たまたま去年の手帖を開く機会があった。ちょうど陽が次第に短くなってゆく、初秋へとさしかかる頃のページ。突然驚くほどギッシリ、日々の予定や行動が走り書きされた数枚のページに巡り会った。親父が突如逝ってしまった日から始まる二~三週間の日々、その内容を読み返す度に、異常な時間の経過を感じさせる筆跡が残像として残るようだ。忙しくて忙しくて、哀しんでいる余裕がないと言うのは本当のことで、逝ってしまった人なのに、その人の思いだけを想って、考え行動していた数日間である。いや、今思えば、その人がそうさせていたに違いないと感じる。ほぼ、やるべき事をやり終えてからの手帖のページは、徐々にいつもの様子に戻り、何も書かれていない白紙のページも増えていった。今年の手帖など、言わずもがなである。どうやらずぼらな自分にとっての毎年の手帖は、今ではあまり必要の無い物のようです。ところどころに書き込まれていることと言えば、休日の印と、極稀な出張予定ぐらいのもので、わざわざ書き込むほどの事でもなし。もちろんジョキングに出かけた記録などつけるわけもない。もう一周忌を迎える。今年も暑い夏が終わったよと、朝晩の秋風が知らせた。相も変わらず、自宅と会社を往復する毎日が続く。我が人生の軌道、如何なるものなのでしょうか。これからの秋の夜長、ゆっくりと考えてみるとするか。まあ少なくとも言えることは、手帖に何も書かれていない白紙のページが続いているほうが、たぶん正常な時間が経過しているのだろうという事である。やがて本屋には、来年用の手帖が並ぶ。あまり必要無くとも、白紙のページを続けるために、ひとつは買っておくつもりである。

 地理ではなくて、昔から好きなのは地図である。国名や都市の名前を、幾つかある大陸の中から見つけて、地球全体から考えた位置関係の中で、それが記憶に刻み込まれる時の快感がいい。地球全体を見据えるという意味からとらえると、地球儀も実は大好きだ。アンティツク風の色合いのものを、時折くるくる回してみたりする時間があったりする。チュニジアという国は、いったいアフリカ大陸のどの辺にあるのかとか、サンフランシスコとロサンゼルスは、どっちが北なのかとか、日本って本当に小さい国だなあとか・・・

 たぶん幼い頃から、高い所から地上を見下ろすのが好きみたいで、特に自分に土地勘がある時などは食い入るように見てしまう。であるので、当然の事ながら鳥瞰図という部類の仲間は大好きで、まるで自分が鳥になったかのような感覚で眺めてしまうわけです。もし再び生まれ変われることが出来るのならば、大空に翼を広げて雄大に旋回する、鷲のような鳥類がいいとずっと思っている。空高く風に身を任せ、地上の煩わしさからは無縁の空間、太陽が近く、雲が近く、夕暮れ時には月も近く、一番星にも近い。地上から遠ざかれば遠ざかる程、地上での様々な出来事や思惑が徐々に小さくなってゆき、それにつれて何か大切なものが徐々に大きく見えてくる。そんな感じがするわけだ。

 好きなジョギングで時折訪れてみる所に、ひと気の少ない広大な芝生公園がある。ほんの少しだが有料であるのがひと気の無い理由だろうが、その場所の静寂さと自然が織り成す色彩と空間を流れる澄み切った風とのふれあいは、入場料を払ってもかなり余りある代物だと確信できる場所だ。実はそこでよく出会うのが、紙飛行機を飛ばす数人の老人たち。ゴムを使って勢いよく真上に打ち上げられた紙飛行機は、風と戯れながらかなりの時間の飛行の末、美しく手入れされた緑の芝生の上にゆっくりと着地する。何度も繰り返されるその光景に見入っては、しばし時間の経つのを忘れてしまう。まるで紙飛行機自信が自分の意思で飛んでいるようで、いつの間にかその紙飛行機にこの自分の心も乗っかってしまっている。たぶんあの老人たちもよく似た気持ちなんだろうか・・・人生という長い時間の経過と共に、人生という尊い存在を心の底から感謝している、そんな老人たちだ。何度も何度も打ち上げられる紙飛行機に、これまでの、そしてこれからの生の営みへの想いを乗せては、繰り返される静かな着地に微笑んでいる。そして、それを眺める自分は、何か大切なものが徐々に大きく見えてくる・・・

 やっと梅雨が明けた。夏本番、実は大好きな季節だ。ベランダから、雨雲が消えた青い広い空と、遠くの町並みを見通す。一羽の鳥が一直線に飛びぬける。空は地図や地球儀とは無縁のようだ。久々にジョギングに出かけた。土地勘のある路地を走りながら、そんな大好きな空を見上げていると、上空はるか彼方を一機のジェットが、飛行機雲を残して一直線に飛んでいった。一瞬、スタミナが蘇る快感であった。

 地上すれすれ、よくあって20cmというところか・・・一面に芝生が敷き込まれた、平日は人っけのないだだっ広い公園に、なんとかかんとか辿り着いて、滴る汗にかまいも出来ず、幾分うつむきかげんでくたばっているところへ、おもいっきり低空飛行でまっしぐらに突っ込んでくる、この春巣立ったばかりの子燕。こちらの疲労困ぱいぶりを見こしてか、低空のまま体スレスレをかすめ、すばやくUタ-ンしては再び接近して来る。たぶんはしゃぎたい年頃だろうとほうっておく。・・・梅雨のあい間にしては上天気、自分のような暇な人間だけじゃなく、いろんな生き物が顔を出し、たぶんそれぞれに必要なことを必要なだけこなしているように思える一日だ。さっきからずっと、あまりにしつこく飛び回るので、しかたなくヨッコイショと起き上がり、ゆっくり前進することにする。もっと早く進めないのかと言いたげに、猛スピ-ドで追い抜いては、又振り返る。いったいこの俺をなんだと思っているのだろうか?・・おまえ知ってるのか?もう少したてば、見たことのない広大な海を渡らなくちゃならんのだぞ。そして又ここに帰って来なくちゃならんのだぞ。大丈夫かぁ?まあ俺と違って若いし、それだけ元気がありゃなんとかなるか。まあ、おまえのことなんか知ったことじゃないけど・・・その子燕、どうやら遊び相手が年にそぐわずってなもんで、いつのまにか追跡してこなくなった。再びトボトボ走り出す。やはりこの時期、雨は降らずとも蒸し暑く、汗をぬぐう風も無く、久しぶりの青空の下、空高く翼を広げる鳥たちが羨ましくてたまらない。きっとあそこには風があるはず・・・自分のような暇な人間に憧れてか憐れんでか、地上では“走行者優先”が暗黙のル-ルのようで、道幅のないところでは、すれ違う車は止まり、追い越す車はスピ-ドを落とす。また、歩行者や自転車に乗る人の中には、軽く会釈をする人まで現れる。長年続けていると、走行コ-スもいくつか決まり、時たま同じコ-スをたどる犬の散歩のお年寄りから、“ファイト!”などという,最近聞かなくなった英単語で声をかけてくれることもあったりする。疲労困ぱい中の時など、とうてい作れない笑顔のかわりに、片手を上げて応答したりすると、そばの犬が、“オンリ-ワン!”と吼える。いささかその瞬間、不思議とファイトが出るものだ。あと少し、もう少し先のいつもの三叉路までがんばってみるか・・・久しぶりに雨雲のない空を見上げて走り出すと、先ほど通り過ぎた電信柱の上から、一羽のカラスが“アホ-”と鳴いた。・・・いったいこの俺をなんだと思っているのだろうか?・・・

まあ、おまえのことなんか知ったことじゃないけど・・・。

おおきくなったら、なにになりたい? ・・・おはなやさん!

長かった学生生活も残すところあと2年となった春、娘が突然、花屋でのバイトを始めた。

今までのバイトと比べると時給は少ないらしいが、今のところなかなかいい感じらしい。男から見ても、生花に囲まれて仕事をしている女性って、なかなかいい感じがする。ほとんど耳にしたことの無い花の名を、当たり前のように知っている女性って、なかなかいい感じがする。仕事の内容はよくは知らないが、まわりの人たちからは、結局花が好きだから続けられる、といった言葉をよく耳にするらしい。わかる気がする。

最近楽しみができた。バイトを終えた娘が、毎回プレゼントを運んでくれるのだ。何かというと花である。仕事場では、様々な種類の花による花束やブーケを作ったりするらしく、その都度、束ねられずに残った半端な花が捨てられる運命にあるとのこと。そこに目をつけた娘は、作業着であるエプロンのポケットに、ほんの数個の短い切り花を忍ばせて持ち帰るというわけだ。瀕死の状態で我が家に連れて来られた小さな花たちは、水を張った底の浅い器の中で、見る見る間に頭を持ち上げ元気になる。そして数日間は我々の目を楽しませてくれる。花の名前はすぐに忘れてしまうが、一輪の花をまじまじと見つめたりする時間はそうは無かったことで、これまたなかなかいい感じである。親の喜ぶ顔もあってか、少なめの時給に文句も言わず、本人も結構楽しんでいる様子だ。

お花屋さんとケーキ屋さん、小さな女の子の将来の夢の定番である。好きなものに囲まれ、笑顔で訪れるお客様に、いらっしゃいませ、ありがとうございました・・・子供たちの直感というのは誠に捨てがたい。幸せなひと時を演出するには、やはり花は欠かせず、それにご馳走、そして最後には甘いケーキ・・・ハッピーの代名詞に囲まれていると、それだけで自分もハッピーへの仲間入りができそうで、辛い時でも少しばかり笑顔がこぼれそうだ。子供たち、ましてや小さな女の子の悲しい泣き顔は、それを目にするだけで愛おしい。一輪の花を手渡してあげたくなる。ひとかけらのケーキを頬張らせてあげたくなる。いっときでも泣き止んで、笑って欲しくなる・・・。

ただいま~・・・今日のお花は・・・目の前に、またまたあまり見たことの無い花が飛び出した。花の名前は、持ち帰った本人も既に忘れてしまっている。さっそく底の浅い器に移す。まじまじと見つめる。次第に生き生きさを取り戻してくる。次第に優しい気持ちになる。そして笑顔になる・・・。あ~おなか減った~。ケーキ屋のバイトだったら、いつもケーキ持ってこれるかもね。でもダメダメ、太っちゃうから。ひとり言を続ける娘、どうやら花屋で十分ハッピーらしい。少しぐらいは辛い事もありそうなものだが、どうやら結局花が好きだから、と言って続けていくのかもしれない・・・。


 おまたせしました・・・と、桜の蕾がいっきに弾けた。開花まぢかになって、意地悪な北風が突然雪雲を連れて来たりしたけれど、やはり毎年弾ける時はいっきなところ、誠にこの樹木らしい。そして当の彼ら(彼女ら?)にとっては、とりたてて別段ずば抜けた事などしてませんと、涼しいいでたちに映るところがほんの少し憎らしい。ともあれいつものように、春到来を目で楽しませてくれる期間はとても短いはずだから、意地悪な春一番が吹かぬ前に、できるだけ楽しんで心弾けておこうと思う。

 歳を重ねるにつれ、時の流れはすこぶる速い。新しい年が明けたと思いきや、もう4月である。しかし、いいにせよ悪いにせよ、ここでもう一度仕切り直しができる、そんな時季でもある。街の本屋には、例年どおり4月スタートのあらゆるテキストがうるさいほど手招きしているが、たぶん結構な数の人々が目を輝かしてスタートラインに着くんだろうなあと勘ぐったりするものの、自分もかつては何度もその中の一人だったことを思えば、けっして笑えない。年間を通して継続できる人は、かなりな意志の固さを持ちあわせた人に違いなく、過去の自分の事はすっかり棚に上げ、その強固な意志を無理やり甥っ子や姪っ子に強制してしまっている始末である。初志貫徹、先憂後楽、継続は力なり・・など柄にもない言葉で説法までしでかす悪乗りおやじと、たぶん煩がられているに違いない。まあ騙されたと思って、とりあえずスタートしてくれることを祈るばかりだ。弾ける時のいきなりさと競うように、いっきに散り始める桜。あれよあれよと葉桜となり、あれよあれよと短い春が過ぎる。枝々が見えぬ程の緑葉と蝉の声でいっぱいの夏を越え、たぶん春よりも短いであろう秋を迎える頃、はたして彼ら(彼女ら)の本棚には、半年分のテキストが立て掛けてあるだろか。悪乗りおやじとしては、とりたてて別段たいした事じゃないですよ、と涼しい顔で継続していて欲しいのだが・・・

 歳を重ねるにつれ、時の流れはすこぶる速い。この地に移り住んで18年目の春だ。幼稚園バスに乗るのを嫌がっていた、とても人見知りっぽく内弁慶だった一人娘も、今のところ意外と社交的で人づき合いも不得手ではない、利口な女学生になったようです。家内は相変わらずの賢明さを発揮し、似たもの同士のぼんやり親子を先導してくれてます。家の部屋にはいろんな物が増え続け、かろうじて三人家族だから耐えられるギリギリの空間をキープしています。そして、自宅前の川沿いの桜並木は、今年もちゃんと白っぽい花びらを、これでもかと精一杯開いてくれた。“実は昨年の秋、親父が亡くなりましてね・・ご存知でしたか?” “あぁ知ってたよ・・がんばれよ!”って励まされるように、春風にヒラヒラ散ってゆく。やがて一周忌を迎える頃は、夏の太陽光線のエネルギーを受けとめた無数の緑葉が一気に変色しだす頃。一年の営みをあたり前のように繰り返す樹木を前に、我が人生の営みのせせこましさと、我が心の偏りに反省しきりである。・・・“親父さんよ、みんな頑張ってるよ。とりあえず今年は、あんたの分もしっかりと桜も花、見とくことにするからな・・”

 たぶん10年程前までは、豆が部屋中散らばったような・・・更にそれより5年遡れば、おまけにたしか鬼の面を被らされていたような・・・“今年は西南西の方向を向いて食べてね”節分といえば豆まきが定番と思いきや、最近は太巻きとやらが主流のようで、去年娘が希望の大学に合格したのも、彼女がそれを黙って食べたからと信じきっている家内は、今年もその御利益をと、売り切れ寸前のその代物をなんとかGETし、半強制的にすすめてきた。“喋っちゃだめ!黙って一気にみんな食べて!”いったい誰がこんなルールを作ったんだ?と首を捻りつつ、喉に詰まらせぬように数回ビールで流し込む。まあ味はいいが味気ない食事の始まりだ。“そういえば去年は俺これ食べれんかったなあ”“そうだよ。口内炎かなにかで大変だったじゃない”・・・そう思うと、今年はとてもありがたくもあるが・・・

“あすの朝も冷え込みはきつく、平野部でも雪が散らつくでしょう”天気予報を耳に、“2月って寒いんだよなあ”なんて他人事のように口走る・・・去年の今頃は、いよいよ私立大学の入試がスタートする頃で、そういえば、天候は大丈夫かとか、体調はどうかとか毎日気にかけていたのを思い出す。・・・“雪のため試験の開始時間を30分遅らせました”“雪のため遅刻してきた学生にも、別会場で受験できるように教室を用意しました”・・・受験生当人のみならず、家族の人たちもたまったものでなく、その心労が伺える。ニュースを見終わった娘、何かを思ってかフーっとため息をつく。心配が消えない不安の連続、それに負けじと奮起する日々の努力への啓発、時には、なるようになるさという、気休めにしかならぬ開き直り。そして誰もが知ることの無い運命の訪れ・・・少し思い出したんだろうか・・・まだまだ若い。君には振り返ることができる過ぎ去った時間の長さより、前方に続く未来の時間の長さの方が数倍あり、又その巾も数十倍広いはずだ。そして今までよりも数百倍、数千倍の人々と出会い、感動し、笑い、涙することだろうし、まことに羨ましいかぎりである。そんな未来に鬼が近づかぬよう、近づいても自ら鬼を追い払えるよう、心の中で“鬼は外!”と黙って太巻きにかぶりつく。“去年はもっと太くって、一本食べきるの結構大変だったのよねえ”こちらの味気ない顔付きを察してのことか、二人が思い出したように確かめ合って頷き合う。この俺、妙に15年程前の、鬼の面を被らされ豆をぶつけられていた頃の気持ちが蘇った。“・・・鬼は外かぁ・・”

“あしたの朝も冷えるし、橋の上はまだ雪が残ってるから、滑らないように気をつけろよ”

“お父さん、あしたから2ヶ月近く春休みだよ” “・・・・・”羨ましいほど未来が続く。  もう一度心の中で“鬼は外!”・・・・

                           2005年 節分


 さて、また一年が過ぎました。今年は南南東の向きだそうです。甥っ子や姪っ子たちの受験の年です。Happyな春が来ますよう、我が家では今年も恵方巻き、ちゃんと食べました。南南東を向いて黙って・・・親父がこっちを向いている気がしました。

                           2006年 節分