義実家からお年賀のお菓子とお年玉が宅配便で届いた。

一応、姑にお礼の電話を入れた時にクソバイスを賜りました。

(義実家は田舎で令和5年現在も本家だ分家だいってる。親族間でもお年賀の品を贈り合う。四季折々の風習を大切にしているとか。私の実家はそういうのめんどくさいとお年玉も年賀状もやりとりなくした。)


姑のクソバイス

「◯◯ちゃん怪我の具合はどうですか?あのねえ、まだ早かったんじゃない?自転車の練習は。ねえ?」

はい!

頂きましたー!!

自転車の練習が年齢、発達に見合ってないから怪我をしたという解釈。

斬・新!


いやいや、お宅の息子(←私の夫でもあるけど)が公道で目を離したから起きた事故。

100%防ぐことのできた人災です。

お宅の息子が安全配慮義務を怠ったからです。ボケ始まったの?

令和5年第1回のクソバイスあざーす!オエー


手術翌日

朝一で外来にかかった。

術後の傷口を診て問題なし、と。

消毒され改めて包帯を巻かれた。

主治医

「縫い傷の痛みと骨折の痛み、2つの痛みがある。縫い傷の痛みは7日くらいで和らいでいくけど骨折の痛みはしばらく続く。」と。

抗生物質は飲みきるように改めて言われた。

機能については現時点ではまだわからないとのことだったので、見た目についても心配と話し形成外科行ったほうがいいか聞いた。

主治医

「どんな術式があるのか知らないけど、傷痕ある程度までは綺麗に治せるはず。でもまだ5歳だから体が出来上がってくる高校生くらいになってからでいいと思いますけど。」と。


その一週間後

また外来で傷口を確認し消毒、包帯交換。

感染もなく順調に経過していると。

素人の私から見ても手術当日より腫れが少し引いたのがわかった。

少しホッとした。


そして、現在に至る。

日毎に良くなっているようで、今は着替えの衣擦れも平気に。

のんびりお散歩したり左手でシャボン玉したり。

美術館行ったり、お絵描きや張り絵したり。

図書館で借りた本を

読み聞かせたり。

レディースデイには映画館で映画も観た。


園は校則で登園不可と決まっているわけではないけど、保護者が判断してくれと。

私の判断で休ませることにした。

(園によっては骨折はギブスが取れるまで、縫い傷は抜糸まで登園不可と規則があるらしい)

★登園をしない理由

①未就学児の集団生活の場。怪我したところをぶつける。ぶつかられる。踏まれる。が有り得る。

②利き手が使えなくなり日常生活動作すべて要介助。補助の先生がいるとはいえ常につきっきりとはいかない。ただでさえ人手不足の園側の負担大。

③術直後は娘の心が一時的に不安定になっていた。自宅で安静に過ごして情緒の安定をはかりたかった。


何かあって患部が悪化するとか、

新たな怪我をするとか、私のキャパ超える。

そんなこと起きたらまた後悔する。

子どもは子ども同士遊ぶのが一番だけど、今は安全第一。

夫とはもう2人で外遊びには行かせない。

必ず私が同行する。


次はまた年明け受診予定。

いつから登園するか判断変わるかな。


手外科専門医じゃない若い医師が主治医で。

形成外科医が一緒に手術入って綺麗に縫ってくれたわけでもない(市立病院だが形成外科はない)

まだいろいろ心配は続いてる。

ついネガティブに考え過ぎてしまう。

形成外科もある大学病院にかかれば良かったのかな、とか。

あの町医者の骨折見落とし、紹介状の宛名なし、レントゲン写真なしは今も怒りを覚える。

(そもそもレントゲン写真の画角、撮影枚数、市立病院と違いすぎてそこからしておかしかったと思われる)

あんな病院かからなければよかった。

小児整形外科があるとこ行けばよかった。


子どもは自分でかかる病院を選べない。

治療の選択もまだできない。

代わりに判断するのが怖い。

この選択で合ってるのか。

今回の怪我、初動がともかく悪かった。

申し訳ない気持ちでいっぱい。

怪我、良くなりますように。

夫が黙っているので私が話し始めた。

私「大体2時間で終わるって。このピッチ借りたから院内にいろって。手術終わったらしばらく経過観察して異常なければ帰っていいって。」

夫「うん。」

(うん、じゃねーよ。

てめーが見てなかったせいでこんなことになってんだよ。

どうすんだよ。何とか言えよ。)

夫は無口で。

私は責める言葉を必死に飲みこんでいた。


病室に戻ったらベッドがなくて、座る椅子は乗せた荷物でいっぱい。

病棟端の談話コーナー(?)の椅子に座って待つことにした。

給水機やTVカードの販売機、テーブルと椅子が何組もあり、入院患者も何人かいた。

他者の目があるから怒鳴ったり罵ったりしないですんだ。

私「入院着の支払いペイペイにしたから。今日帰る頃には会計窓口閉まってるからまた後日の会計と合算するって。玄関も閉まってるから夜間出入口から帰れって。警備員が駐車券無料処理してくれるって。明日朝イチでまた外来かかるよ。術後の傷診るって。」

まともな会話なんてない。

事務連絡を共有するのみ。

夫の顔見ると無理。


2時間後、ピッチが鳴った。

「手術終わりました。手術室まで来てください。娘ちゃん病棟に戻るので一緒に戻りましょう。」

急いで向かうと手術室出入口から娘が出てきた。

主治医、看護師が押しているベッドに横になっている。

病棟看護師もいた。

足首からは点滴の管。

夫が駆け寄り「娘ちゃん!パパ来たよ!大丈夫だからね!娘ちゃん!」と大きな声で話しかけた。

娘、無反応。

私「まだ麻酔効いてるんですか?聞こえてますか?」

看護師「麻酔からは覚めました。さっきはお話できたんですけど、疲れもあるのかな。昨日寝たの遅かったですか?」

私「あ、割りと遅かったです。寝不足とか関係あるんですか?」

看護師「ありますね。」


会話しながらコロコロとベッドは押され、手術室目の前のエレベーターに乗った。

エレベーターの中で手術は問題なく終わったか聞いたら主治医が予定通りに終えた。と答えた。

まずそれ言ってくれよと思いつつ病室に戻った。


病棟看護師から改めて説明があった。

経過観察して、術後2時間経過する19時に飲水可となる。

水を飲んでむせこみ等みられなければ退院と説明された。

「痛み止めも適宜使ってと主治医から指示あったので必要であれば呼んでください。途中夜勤者と交替しますが、全て引き継ぎますので。」

と、病室からナースステーションに戻っていった。

娘が泣き始めた。

完璧に麻酔から覚めたと実感しつつ、痛みで泣き叫ぶ姿が見ててつらかった。

左足だけ上にあげてから振り下ろしベッドを叩いている。

それを繰り返していた。

痛みのあまり耐えられずその動きをしているようだったので、即ナースコール。

痛み止めの座薬が使われた。

座薬が効き始めた10分後くらい?にはその動きはおさまり、娘は寝てしまった。

夫とは会話なく時間が過ぎた。

飲水可の時刻が近づいたら夫が水を自販機に買いに行った。

看護師が来て見守りの元お水を飲ませた。

普通に飲めた。

看護師「問題ないですね。では、退院の支度しましょう。最後忘れ物がないかだけ一緒に確認します。ナースコール押してくださいね。」

着替える時の衣擦れも痛いらしく、泣かれたがどうにか終えた。

痛み止めと抗生物質が渡され退院した。

食事は通常通りしていいとのことで娘が食べたいものがあるファミレスに寄った。

好物を介助しながらばくばく食べていた。

ようやく笑顔がみられて、緊張や不安で張っていた私の気もゆるんだ。

夫が優しく娘に話しかけたりしていたが、やることなすこと全てなんか嫌悪感覚えた。