午後から会社の同期の友人とTeams を使ってチャットした。彼は、最近相次いで親戚の人を亡くしたと言っていた。物事の変遷を見ているうちに、自分の番が回ってきたかなとか思い始めたらしく、彼らしく無い妙な暗さがあったので、「ずっと家でテレワークばかりしていないで、たまには会社に出て仕事しろよ、一緒に昼飯やろうや」、と誘った所、いたく喜んでくれた。我々の事務所が日本橋にあることから、「美國屋のサービスうな丼が食いたい」と言うので、二人分のランチ予約スケジュールを入れた。
人がいなくなると言うのは、確かに心折れると思うが、それにいつまでも囚われないようにして、日常を取り戻して欲しい。かく言う自分も2年前、生死の境を彷徨っていたことがあるが、人間は簡単には死ねないらしい。他の友人曰く、「お前が生き残ったのは、神様がお前にはまだやることがあるんだよ、と言うメッセージなんだからな」、と言ってくれたことがあった。「そうなのか、自分は未だやるべきことがあるのか」、と思ったら、心が少し、軽くなったことを覚えている。
今日帰宅したら、ポストに、30 年以上の付き合い有る長年の友人から、お義父さんが94歳で亡くなったとのハガキをくれていた。でもこれが、黒一色ではなく、可愛い花柄のデザインが使われていた。悲しいことなんだけど、それだけに止まることなく、むしろ天寿を全うされたことを祝福したくなるような気持ちになる。彼及びご家族のセンスの良さを感じた日だった。晩秋の夕暮れは、物寂しい。でも、欧州で駐在員を6年半もやっていて、冬場の暗さを散々味わって帰国したら、東京の明るい晩秋の日の光も、本当に有り難いと思う。今日の日のように。